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 再会を喜んで場所を移すと、雛菊は誰に聞かれるでもなく事の経緯を語り始めた。  種明かしは、実に単純なものだと言う。 「簡単に言うと、『鳥』の役目の対価、と言ったところでしょうか」  『鳥』として役目を終え、雛菊は短い生涯を閉じた。『世界樹』が創り出した『鳥』としての器と、異界より呼び寄せた魂がここで完全に切り離された。雛菊であった魂は、大いなる意志の源へと辿り着く。  そこで、一つの選択を迫られた。 「選択?」 「えぇ。魂の正しき在るべき場所に戻るか、新たな世界の生命の流れに与するのか、を」  元の世界に魂が還れば、新たな生を受けて一から人生をやり直せただろう。人ではなく、生き物の紛い物ではなく、ただの人として、もう一度歩き出せることが出来ただろう。  そして新たな世界に与するためには、剥き出しの魂に何が起こるかわからない危惧があった。元の世界との因果を完全に断ち切るために、魂の洗礼が必要だった。  どちらを選択したとて、雛菊に損はなかった。例え多少の危惧を孕もうとも、雛菊に迷う必要はなかった。 「だが、戻って来た前例はないだろう?」  『鳥』にしても、『世界樹の鳥』にしても、ここに戻って来た『鳥』は誰一人いない。神話と呼べる時代から、『世界樹』は『鳥』を誕生させてきたはずだ。その数は想像を超える。その全ての『鳥』が選択を迫られるのならば、今までにもこの世界に帰って来た者はいるはずだ。  だがその前例がないからこそ、先の悲劇は起こったのだ。 「選択の時は、瞬きの間です。一瞬でも迷えば、魂は在るべき場所に戻ろうとします」  魂が本来在るべき場所は、ここではない遠い異界だ。遥か遠く離されてなお、魂は在るべき場所に戻ろうとする本質を持ち、世界はそれを引き戻そうとする力を持つ。  だから無理矢理攫い、『森』が創った器で魂を引き留めている。その力が働いているが故に、『鳥』は短命であるのだ。 「思うに、例え天秤が水平であっても、望郷の念が僅かにでもあれば、魂は向こうに引き寄せられてしまうのではないでしょうか」  瞬きの間の選択。どちらの世界も選べないと逡巡した時、魂の奥の奥にある望郷の念が在るべき場所に戻して行く。そして二つの世界を天秤にかけられるほど、この世界で『何か』を得た『鳥』は多くない。だから今まで誰も戻って来ないのだ。 「そんなに、この世界に戻りたいと思う『鳥』はいなかったのか……?」  辛い日々を送り、生命さえ投げ出した世界にもう一度還りたいと。生き物として不確かだが、それでも新たに生まれ直したこの世界に愛着を持つ『鳥』は誰一人いなかったのか。  その事実は、少し悲しい。 「『鳥籠』の『鳥』は、少し感情が希薄なので……」  生まれて間もなく『鳥籠』に入れられるせいか、人との関わりを持たない『鳥』は、当初の緋桐がそうだったように感情が希薄だ。この世界のことを知り、愛着が湧くまで感情が育つことが少なく、また育ったとしても持てる時が短い。  この世界と元の世界と、天秤にかけられる『鳥』は稀だ。  雛菊が、そっと緋桐の手を握る。 「だから緋桐、強く望んでください。この世界に戻りたいと。想いこそが一番大きな力です」  瞬きの間でも、魂が奥に隠し持つ望郷の念に引っ張られないように。強く。ただ桂樹のそばに帰りたいと。  願えば、叶う。  強い瞳に、緋桐はしっかりと頷く。  桂樹を想って帰れるならば、それは難しいことではない。緋桐にとって、それは息をするように簡単なことだ。  桂樹を想う心が力になる。その想いの強さだけなら、誰にも負けない。 「雛姫が還ってくるのに二年かかったのは、理由があってですか?」  選択が瞬きの間であったのなら、すぐにでも還って来られたのではないのか。  還って来られると言う確信があれば、二年と言う歳月は長くない。だが連理はそれを知らず、この二年は絶望の淵で暗闇を見ている日々だっただろう。  桂樹の質問に、雛菊は困ったように笑った。 「魂がこの世界に与するために必要な歳月でした」  魂の洗礼を受け、それに見合う体の構築をするために必要な歳月だった。無理矢理魂を引き留めず、引かれ合う力も働かない体は、この世界で人と同じ時間を持って歩く事が出来る。 「緋桐にどれだけの時間が必要になるかはわかりません。でも、二人なら大丈夫でしょう?」  強く還りたいと願うことも。その時を待ち続けることも。お互いの想いが確かに通じ合っているはずだから、難しいことではない。  希望に満ちた晴れやかな気分で、二人は大きく雛菊に頷いて見せた。  未来に絶望しか見えなかった。いつか確実に来る別離は、常に二人の胸に暗い影を落としていた。  そこに、光明が射し込む。  他ならぬ雛菊が還ってきたことにより。
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