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 幸せになる、約束をしよう。  次に生まれる時には、その最期の時まで微笑んでいられるように。  今まで歩んで来た道は、茨の道だったかもしれない。これから歩む道も、あるいは茨の道になるかもしれない。  それでも。  幸せになりたいと願うならば。  パキンと小枝を踏んだ音が緑に飲まれた。男は自身の胴回りよりふた回りも大きいだろう巨木に手を付き、軽く息を吐いた。目深に被った黒のフードを煩わしそうに脱ぐと、フードと同じ色をした髪が現れる。短く切られた髪に、健康的に焼けた肌を持つ彼は、旅人然とした格好をしていた。はっと目を引くような容貌ではなかったが、凛々しい顔立ちに切れ長の目が印象的な男だった。一見強面にも映るが、灰簾石のような群青色の瞳は澄んでおり、奥に理知的な光を灯していた。  その瞳が、うっすらと眇められた。  ここに入ってからそれほど先へと進んではいないが、彼の目にこの『森』は随分と痩せて映っていた。  比較的大きな『森』である。樹齢何百を数える巨木は天高くそびえ空を覆い、楔のように大地にしっかりと根を張っている。緑の大地と呼ぶに相応しく若葉が芽を出し、遮られた光の中でも若葉は競い合うように大地に緑を這わせる。土も水も循環され、異変は見当たらない。だが彼の調べた限り、この『森』は他の『森』に比べて痩せている。弱っているわけではない。土にも水にも汚染は見られない。ごく健康的な『森』だ。  巨木に手を置いたまま、鼓動を感じ取るように彼は群青色の瞳を閉じる。細く感覚を研ぎ澄ませ、『森』全体を探索する。 (何にもないな……)  異変がないことは先の調査でもわかっている。すでに試料採取も終えている。だがどうにも変な感覚が抜けず、彼は普段滅多に入ることのない『森』の奥へと足を向けた。  光を覆うほどの樹葉は、普通の森であれば自身の成長を阻むものになる。光を受けてこそ育つ樹木は、それを遮られると影響が顕著に現れる。だが、ここは踏み締める大地にも水分と養分が行き届き、光の摂取不足など微塵も感じさせない。普段人が入ることのない場所故に、自由気ままに枝を伸ばす木を傷つけぬ様、彼は慎重に奥へと進んだ。  どれほど奥へと入っただろうか。彼は不意に視界を掠めたものにはっとした。樹木以外の色を見つけられない視界に、明らかに場違いな色を見つけたのだ。  見つけたものに、彼は叫ぶことも忘れて群青色の瞳を大きく見開いた。  少年が、一本の樹木に食われかけていた。
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