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6
朝日が『森』を照らし出す。
生き物の棲息を許さないそこはひどく静かで、それ故独特な雰囲気を持っている。緑を濃く染める陽の光は清浄に白く、その中に浮かび上がる『森』は威圧感さえ感じさせる。対する湖の水面は凪いで、白む空を映し、角度によって朝の清浄な光を弾いて瞳を射る。
緋桐はキラキラと輝く水面にぼんやりと顔を向けていた。瞳を射る光も気にならないのか、白い頬を赤く染める顔は昨日と変わらず表情が浮かばなかった。
桂樹は朝食を用意して昨夜と同じように緋桐に与え、天幕を片付けた。
本来急ぐ旅でもなかったのだが、急ぐ理由が出来てしまった。
「緋桐」
桂樹の低音が、朝の清冽な空気の中に溶ける。大声でなくてもよく通る桂樹の声は、だがしかし湖に顔を向ける緋桐に届くことはなかった。
桂樹は緋桐の側まで歩み寄り、彼の目線と高さを合わせて緋色の瞳を見つめる。桂樹の深い群青の瞳とは対照的な、鮮やかな赤だ。
「これから少し歩く。なるべく負担をかけないようにするが、覚悟はしてくれ」
桂樹は荷物を背負い、そう断りを入れてからおもむろに緋桐を抱き上げた。
一年の大半を『森』を巡る任務に就く彼ら樹術師は、技術面はもちろんのこと、体力が非常に重要だ。『森』までの道のりは徒歩に制限され、任務に必要な荷物を背負い、時として道無き道や、険しい山道、渓谷を行く。発展途中の薄い少年の体重が増えたところで、桂樹には足枷にもならなかった。
緋桐は促しさえすれば、自立歩行も困難ではない。だが、歩は遅くこれから下る道を歩かせるには危険が伴った。道さえ整えば自身で歩いてもらうつもりで、桂樹は少年の体になるべく負担にならないよう道を下った。
途中緋桐の様子を見て何度か休憩を取り、昼を過ぎる頃、桂樹は彼の変化に気づいた。
昼食のために火を起こしていた時、座していた緋桐の頭がふと天を仰いだ。桂樹はその動きに群青の瞳を瞬き、それから届いた音に表情を緩めた。
「緋桐にも聞こえるのか……」
ぽつりと漏れた声に優しさが滲んだ。
桂樹の切れ長の群青の瞳は、人を威圧するのに向いている。本人の意思は関係なく、彼は強面で剣呑な雰囲気を纏っている。精悍な顔付きがそれに拍車をかけているが、ふと口元を緩めて笑うと、彼は思いの外表情が変わる。
柔らかく緩んだ顔を、桂樹は緋桐に習うように空へと向けた。
「相変わらず美しい歌声だな」
風に乗って桂樹に届く声は、一日に数回世界中を巡る。誰もが聞くことを許さないその歌声は、聞こえる者に美しい旋律と共に、心臓を直接叩くような衝撃を与える。体の奥の奥から何かが湧き上がってくるような、ざわざわした感覚を抱かせる。だがそれを歌声として聞こえる者は多くなく、聞こえない大多数の人々はその歌声により起こる皮膚感覚に、畏怖の念を抱いている。
緋桐が桂樹をじっと見ていた。空から顔を戻した桂樹はその反応に大きく群青の瞳を見開き、それから表情を緩めた。
緋色の瞳に光は戻らず、表情に何かの感情が浮かぶことはなかったが、桂樹に説明を請うているように思われた。
「『鳥』を知っているか?」
答えが返ることは期待せず、桂樹は先を続ける。
「『鳥』は『森』に力を与える存在だ。その歌声で『森』に恩恵を与え、世界の均衡を保ち、やがてそれは『世界樹』に還る。『鳥』は、『森』のための存在だと言われている」
西の王都に、『鳥』たちがいる『鳥籠』がある。『森』のため、ひいては『世界樹』のためにある『鳥』たちは重要な存在だった。
『鳥』は世界の調和を保つために歌う。純然と世界のためにある故に、『鳥』の歌声は必ずしも人にとって有益に働くとは限らない。均衡を保つために、ある時突然日照りが続き、作物は育たず、恐ろしい生き物が跋扈して人々を襲う時もある。
彼らの歌声は美しく力強いが、その匙加減により人の運命を左右することも出来る。
『鳥』が歌う時、人は膝を折り両手を合わせて聞こえない声に向け祈るのだ。
厄災ではなく恩恵を、と。
中には『鳥』を悪しき生き物だと呼ぶ者もいる。だが世界は古からそうして成り立ってきたのだ。
遥かなる昔、神話と呼ばれる時代に、『世界樹』が『鳥』を生み出した時から。
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