4人が本棚に入れています
本棚に追加
2丁目会場の、東側にある出口に差し掛かった。そのまま右に折れ、南へ下りれば繁華街に辿り着く。大人しく家に帰る気にはなれなかった。こんな日に独りぼっちで家にいて、何をしろというのか。行きつけの店とかは特にないけど、こういう時でないと新しいことに手を出せないのが自分だというのも、よく理解している。一人でサクッと飲めるお店とかないものかな。もう今夜はそれを見つけて、強引にクリスマスプレゼントを創り上げるしかない。それしか自分の慰め方が思いつかない。他人に慰めてもらおうなんて思うこと自体が間違いだ。生まれるときには愛に囲まれていても、どうせ死ぬときは独りぼっちだし。
そうしていざ足を進めようとしたとき、ふいに後ろで鼻をすするような音が聞こえて、振り返った。
あたしより頭ひとつほど背の低い女の子が立っていた。スカートの柄からして、コートの下に着ているのは学校の制服なのだと思う。マフラーに顎から下を埋めていて、鼻の下がうっすら濡れている。それらが道路を挟んで反対側にまだ続くイルミネーションの光を、きらりと跳ね返していた。
それだけなら、あらあらお若いわね……と思いながらも手を差し伸べずに踵を返していたと思う。けれど実際にそうできなかったのは、目元も同じく濡れていて、この瞬間、頬にまた新しい光の筋が引かれたのを見てしまったからだ。
きっとこの子も、同じことを感じている。クリスマスソングが耳を突き刺し、雪の結晶ひとつひとつが身を切り裂く感覚を。シャンシャンと鳴り響く、おまえはこのままではずっと独りぼっちだ、という警報音を。
シンパシーだね、という言葉を正しく使えるときが来たのだ。友人カップルが幸せの絶頂にいる中でその言葉をひたすら誤用していて、共感性羞恥が止まらなかったのを思い出す。そうかそうかシンパシーか、だったらドラム缶の中かどっかで永遠に同情し合ってろや……と思っていた。
でも、今は違う。
もしも今日、この世界であたしにしか救えない存在がいるとするなら。
同じ痛みを抱えた者同士で、血を流す傷口に掌を翳し合えるのは、きっと――。
「……え」
ハンカチを顔の前に差し出してあげると、彼女は濡れそぼった瞳をこちらに向けてきた。
「まず、拭きな。こんな時間に、しかもこんな場所でぐしゅぐしゅ泣いてたら、悪い男に捕まるよ?」
そういえば、男だけを悪者にするな……と言われて喧嘩したこともあったっけ。あのとき、冷静に考えたら「男とか女でなく今はてめえに怒ってんだよ」って言えばよかったな。頼んだことをやってくれてなければ誰だって怒るだろ……と思いながら、彼がすっぽかした夕食の支度をしたのを思い出した。
彼女は、ありがとうございます、と鼻声で言いながら目元を拭っている。指先もきっと心と同じく凍えているに違いない。その手をそっと包み込むように握ってあげられるのは、この場所できっと、あたし一人だけだ。なにも失っていない満たされきった人間たちに、この痛みや冷たさなど、1℃たりとも分かるはずがない。オーブンの中でターキーと一緒に汗でもかいてろ。
獲物をサーチするみたいに周辺のカップルに目線を這わせていると、気が付いたら彼女はハンカチを胸に抱くように持っていた。
「あの……」
「いいから。まず、こっち来な」
手招きをしてみせたら、大人しく彼女はあとについてきた。そのまま道路を反対側に渡って1丁目の会場に入ると、すぐそばにあるベンチに座った。拳ひとつくらいの間をあけて、彼女も腰を下ろす。踏み固められた足もとの雪はきっと白いはずなのに、今はイルミネーションの緑色をぼんやりと映し出している。
自分でも(なにやってんだ)と思った。この積極性が、どうして異性に対しては出せないのか。
いや、別に出せないから悪いってことなくない? そんな風潮になってる世の中のほうがよっぽど悪いでしょうに。
頭の中の押し問答を片っ端からミュートしながら、あたしは年下の女の子に警戒心を抱かれないよう、そっと訊いた。
「ま、ひとつも知らない相手にだからこそ、話せることもあると思うんだよね。今日はどうしたの?」
「とにかく何かあった、ってことはバレてるんですね」
「まあねえ。クリスマスの夜、イルミネーションの会場で、ひとりで泣いてる女の子に何も起きてないと思うほうが無理あるでしょ」
もっとも、あたしは自分の身に降りかかったこと、まだあなたにバレていない自信があるけどな。
胸の中で呟きながら、次の言葉を待った。絶対に交わらない矢印のすれ違いのなか、どうしてあたしは彼女と重なったのだろうか。これこそが運命だというのなら、まあ納得ができる気もする。運命だってよ。くだんないな。ぜんぶ最初から決まっている人生なんて、つまんないだけじゃん。
やがて彼女がぽつりぽつりと話し始めるまで、実に4組のカップルが目の前を通り過ぎていった。
最初のコメントを投稿しよう!