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「わたし、今日、本当は彼氏と会う予定で」
そいつぁ奇遇だね……と口をついて出そうになったので、咳払いで誤魔化した。
「うん」
「でも急に今日『ごめん、家の用事で学校終わったらすぐ帰らないといけなくなった』って言われて」
「はい」
「だけど、わたしずっと今日を楽しみにしてたんです。高校生活で……というか、彼が人生で初めてできた彼氏だったんです。その彼がいなくて寂しいのは確かだけど、せめて自分一人でもイルミネーションを観たいな……って思って、ここに来たんです」
しっとりしたクリスマスソングが流れる中、微かに頭の中でよぎったのは、このあと彼女に降りかかったであろう災厄の予想だった。でもそれを口にはせず、続きを促した。そうじゃなかったらいいな……と思ったから。それは単にあたしの、性格の悪いマイナス思考が澱のように混ざった結果だけであってほしいと思ったから。
「いいね。イルミネーションは何人で観たって、平等に同じ輝きだもん。あいつら、電子がぶつかりあった余分なチカラで光ってるだけだし」
「そしたら、さっき、見ちゃったんです。……彼が隣のクラスの女子と二人で、この会場にいたのを」
あたしが差し出した小さな傘など、一寸先も見えないブリザードが吹き飛ばしていった。少しも彼女の唇の端をつり上げられないまま、ただなすすべもなく立ち尽くすしかない自分が、なんとも悔しかった。
現実は無情だ。彼女の場合、面と向かって振られたとかいう話ではなかったことも、余計に胸の温度を下げていく。現在進行形での浮気現場を、自分で目撃してしまうことの苦しさは計り知れない。人に騙されるということのショックはいかばかりか。そのエネルギーだけで、この公園を照らしているすべてのLED電球を破裂させることなど容易い。かく言うあたしも浮気された経験があるし、そのときのことを思い返すと、まだ顔を合わせて「別れてくれ」って言われただけマシかもしれない……とさえ思えてくる。
いや、そんなわけないだろ。どっちにしたって苦しいんだよ。別離がプレゼントになるのは、束縛や圧力、もしくは金の無心が手に負えないレベルの恋人や家族との間だけだ。あたしも、目の前で泣いている彼女も、恋人のことが好きなままで一方的にそれを送り付けられたのだから、マシも何もない。嘘は嘘だ。どいつもこいつも嘘つきばかりだ。そもそもここにいる連中全員、どうせ家には神棚と一緒に仏壇も置いてあるくせに、そのくせ聖書や十字架はないんだろ。何が聖なる夜だ、ばかにしやがって。神に祈りを捧げたら助けてくれるっていうのなら、聖なる力とやらで救ってみせろよ、あたしと彼女を。……あー、救うのは彼女が先でいいから。
心の中ではそうやって叫びながら、顔も声もわからない彼女の恋人を、伝説とかで語られてそうな巨大な剣で真っぷたつにしていた。それでもあたしは落ち着いた年上の女性としての調子を崩さぬよう意識しながら、相槌を打つ。
「……そっか。つらい目撃だったね」
「前からずっと、彼とその子は仲が良かったんです。けどそれは恋愛感情とかじゃなくて単に腐れ縁だから、って言ってて。本当に好きでいるのはわたしのことだけだ……って」
「うんうん」
「でも、やっぱりだめだったんだなって。わたしじゃ彼の一番になれなかったんだ……って思ったら、なんか涙がとまんなくなっちゃって」
「あなたが誰のことを好きになっても構わないけど、つらい目に遭ったあとも無理に相手を想い続ける必要なんかないよ」
え、と彼女が顔を上げた。マフラーから淡い色の唇がのぞく。隙間から漏れた息がすぐに白くなって、夜の空にとけていった。
いま、ここで彼女のじくじくした傷跡に舌を這わせてやるのは簡単だ。でもそれは、きっとあたしの役割じゃない。あたしにできるのは、彼女の傷に残る細菌どもを完全に殲滅したあと、少し華奢な背中を軽くポンと押してやることだ。
過去ではなく、未来に向かって。
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