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「あと、少なくとも、あたしは思うよ」
「なにをですか」
「こんな可愛い子をクリスマスにひとりで放り出すなんて、見る目ない男だなーって。きっとイルミネーション観ながら『綺麗だね』とか言ってるけど、頭ん中は隣の女の胸か唇か、お尻しか見てないんじゃないの? そんな奴にみすみす渡すくらいなら、あたしがあなたのこと奪ってあげたい」
軽口が過ぎただろうか。
でも、実際問題、彼女はかわいらしい女の子だ。好きな男に浮気されてさめざめと涙を流すその姿だって、ちょっと胸のななめ上の優しいところを、親指でぐいぐい押されているみたいな感覚があった。初めて男に振られたとき、涙の一滴もこぼさないまま「マジあり得ない。お前だけ~とか、ずっと~とか言ってたくせに。いっぺんエンマにベロと背骨抜かれてくればいいのに」と友達に愚痴りまくっていたあたしとは大違いだった。
すると、目元を細い指で拭ったあと、今度は彼女があたしに訊いてきた。
「お姉さんは、恋人、いらっしゃらないんですか」
「いたよ? 今日の明け方くらいまで」
「えっ」
彼女は目を丸くしていた。さっきまでの声色が嘘みたく、ハンドベルの音みたいな高い声だった。大きな瞳はまだちょっと潤んでいて可愛らしかったけれど、いったい彼女の元恋人とやらがどんな女とこの会場を歩いていたのか、ほんの少しだけ気になったりもした。
「お姉さんも今日、別れちゃったんですか?」
「別れたんじゃないわよ。振ったの」
苦笑しながら返した。もちろん実際は違う。でも、今の主役は彼女であって、あたしではない。ここで自分の悲恋話を披露してしまったら、相談者と回答者がまるごと入れ替わってしまう。だからこっちから振ったことにした。これは強がりなどではなく、れっきとした彼女への配慮である。
そう自分に言い聞かせていると、彼女は初めて微笑みをみせながら言った。
「じゃあ、もしかしたら私たちが今日ここで出会ったのは、運命かもしれないですね」
「どうしてそうなるの」
「私があそこまで歩いてきて涙が止まらなくなったのも、お姉さんが一人でこの場所を歩いていたのも、こうして巡り合う運命だったからかもしれないでしょう?」
「あたしが彼を振ったことも、運命だったと?」
「そうじゃないですか? でないとわたしは、ずっとこの会場の片隅で、一人で泣いていることしかできなかった。でも今は違いますから」
彼女はベンチから立ち上がって、わたしの前に進み出ると、両手をこちらのほうへ差し出してきた。まさにこれから、あたしの腕をぐいと引っ張って、立ち上がらせようとする差し出し方。
いや、その立ち上がらせ方って、まさしく恋人同士がするものであってだな。
……あー。
「今だけでもいいから、運命論を信じて、わたしと一緒にイルミネーションを観てくださいませんか」
人懐っこい笑みを浮かべながら、彼女はそう言った。振られた直後にもかかわらず、彼女は早くも、運命なんて頼りないものを杖代わりに歩き出そうとしているらしい。
愛も憎しみも運命も、結局は後付けの理由でいくらでも彩れてしまうものだ。今日別れた男が初めての恋人だったと言っていたし、彼女が身をもってその事実を知るにはまだ経験が足りないことなど、想像に難くなかった。
それでも彼女はきっと、今は支えになるものに手をつきながら、ぐっと力を込めて立ち上がりたいと思っているのだろう。一人で涙が涸れるまで泣いても救われることはなくて、相手の鼻をあかしてやることもできないのだから。
なにより彼女はもう、自分が悲しみに暮れている理由もないことに気づいた。そう気づく片棒を担いだのは、他ならぬあたしだ。
だとしたら、あたしにも責任の果たし方というものがあるだろう。
「今だけね」
苦笑いしつつ、そっと自分の手を差し出す。彼女の指先が触れたときに、それよりも冷たいものが手の甲のあたりに落ちてきた。
孤独感を引きちぎったみたいにちらちらと舞う雪は、あたしと彼女が会場をぐるりと一周するまで降り続いていた。
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