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「そのタバコ、新しく発売したやつか。それ、美味い?」
会社が入っているビルの一階の端。喫煙所でタバコを吸っていた俺はいきなりそう問いかけられた。
スマホを触りながらタバコを吸っていた俺は顔を上げる。
そこにいたのは何度かこの喫煙所で見たことのある男だった。見た感じ俺よりも十歳ほど上の男。
同じ会社で働いているわけではないので、おそらくこのビルの中に入っている他の会社の社員だろう。
俺は軽く会釈をして返事をする。
「え、まぁ、美味いっすよ。でも前吸ってたやつよりも軽いんで、本数増えちゃうんですよね」
「そうか。ちょっと気になってたんだよな、それ」
そう言いながら男はポケットからタバコを出して、火をつけた。
細くて長い指でたばこを挟み、薄い唇で咥える。
その動作がやけに色っぽくて俺は視線を外せなかった。
すると男は俺の視線に気づき、首を傾げる。
「どうした?」
「いや、何でもないっす。えっと、何度かここで会ったことありますよね?」
俺がそう言うと男は小さく笑った。
「ああ。このビルの喫煙者も減ったから、喫煙所にいる奴の顔は覚えちゃうよな」
「そうっすよね」
俺は煙を吐きながら頷く。
だが、その視線はずっと男の横顔を見ていた。
高い鼻と長いまつ毛、きめ細かく白い肌。
シンプルに美しいと思ってしまう。
俺の視線がくすぐったかったのか男は鼻の頭を掻いた。
「時代の流れだから仕方ないけど、喫煙者の肩身狭いよな」
男はため息がちに煙を吐き出しながら言う。
「間違いないっすね。仕方ないっすけど」
俺はそう言ってから、タバコの灰を灰皿に落とした。
男は同じように灰を落とし、伸びをする。
「あーあ、窮屈だよな。タバコも仕事もプライベートも。もっと自由でいいと思うわ」
「た、確かに、自由でいいっすよね」
自分に言い聞かせるように俺は言った。
自由でいい。
今、その言葉は俺の心に刺さる。
背中を押された気がした。
一歩踏み出してみるか、と俺が考えた瞬間に男はタバコの火を消して灰皿に捨てる。
「じゃあ、行くわ。お互い頑張ろうな」
「あ、も、もうっすか?」
「仕事中だしな」
そう答えながら微笑む男。
そして男は喫煙所を出ようとする。
離れていく背中に俺は思わず声をかけた。
「あ、あの」
自分でもやってしまった、と思う。
呼び止めてしまった以上、何か言わなければならない。
男は足を止めて微笑んだ。
「どうした?」
「あ、あの、名前聞いてもいいっすか?」
「何だよそれ」
思わずそう問いかけた俺に男は笑う。
少し笑ってから、ポケットに手を入れて、何かを取り出した。
そして取り出したものを俺に渡す。
「神崎。それが俺の名刺」
貰った名刺を眺めているうちに神崎は喫煙所から出ていた。
俺は慌てて喫煙所から顔を出し、声をかける。
「俺、長瀬っす」
それを聞いた神崎は振り返らずに右手をあげた。
そんな背中を見送りながら俺は胸の高鳴りを感じる。
多分こんな風に始まるものなんだな、と思いながら俺はタバコの火を消した。
性別も年齢も超えて新しい火は着いたのだ。
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