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「しくしく、しくしく。どうして帰ってしまったの?浦島さん」
「そろそろ、泣くのを止めて、元気になってくださいよ、乙姫様」
「やっぱり私、もう一度、浦島さんに会いたいわ」
「もう一度、呼び戻そうにも、浦島さんが地上に戻って数日が経ったんですよ。ここの数日は、地上で言えば数十年。浦島さんが、同じ場所にいてくれてるかどうかも分かりませんし、それよりなにより玉手箱を開けてしまっている可能性も……」
「それでも私は、浦島さんに会いに行かなければ」
「もしかして、乙姫様自身が地上に行くつもりですか?」
「そうよ」
「それは、お止めください。地上は危険がいっぱいです。私も地上で人間の子供にイジメられましたし。それに、竜宮城を出てしまうと、乙姫様の姿が元に戻ってしまいます。乙姫様の正体が浦島さんにバレてしまいますよ」
「それは、百も承知です。私は告白しなければいけません。浦島さんに本当のことを」
「しかし、乙姫様が竜宮城を空けてしまうと、海の秩序が乱れてしまいます」
「ほんの少しの時間です。お願いです、浦島さんに会わせて」
「そこまで言うのなら、私もお供いたしましょう」
こうして、乙姫と亀は地上を目指したのであります。
そのころ浦島は、浜辺で一人、水平線に沈む夕日を眺めていました。
「浦島さん、浦島さん」
「この声は、乙姫さんか?」
浦島は周りをキョロキョロ見渡します。海の水面から上半身出し手を振る乙姫を見つけました。
「浦島さん、まだここにいてくれたんですね。良かったわ」
「私に会いに来てくれたのですか?」
「そうです」
「嬉しいです。ありがとう」
「玉手箱も開けずにいてくれたのですね」
「はい。頂いたときに、開けないように、っと言われたので。開けたらダメなのに僕に渡すので、不思議だな?っと気にはなっていたのですが……。でも、乙姫さんに言われたこと、きちんと守っています」
浦島は玉手箱を両手で高々と上げ、海の中にいる乙姫に見せたのです。
「実は、今日こうして来たのは理由があります。私は、浦島さんに真実を告白しに参りました」
「真実?」
乙姫は一度、海の中に潜り込みました。数秒後、乙姫は海面から飛び上がり、空中でくるりと一回転した後、再び海面に飛び込みました。。
乙姫の空中に浮いたとき、乙姫の全身が現れた。なんと乙姫の下半身は魚の尾ひれだったのです。
「ごめんなさい、浦島さん。私は人魚です。竜宮城では人間の姿に変身していましたが、これが本来の私の姿です」
「そうなんですね」
「あまり驚かないのですね」
「そんなことないです。まさか乙姫さんが人魚だとは思いませんでした。でも……」
「でも……?やはり、何かしら気づいていらっしゃるのですね」
「はい。私の体はどうなっているのでしょう?」
乙姫の顔がより一層、暗くて悲しい表情になりました。
「浦島さんに謝らなければいけないことがあります。あなたは不老不死の体になったのです」
「不老不死に?」
「実は、私たちの海の世界と地上の世界では、時の流れる速さが異なっているのです。海の中で数日間過ごせば、地上では何十年という月日が過ぎてしまうのです」
「だから、私が地上に戻ってきても、誰一人知っている者がいないのですね」
「前もって説明すれば良かったのですが……。私は浦島さんに竜宮城にいてもらいたかったのです。だから、私は自分の生き血をお酒に入れ、浦島さんに不老不死になってもらったのです。浦島さんも、私に『ずっと一緒いたい』って仰ってくれたので、望んでいるものだと勝手に思ってました。本当に、ごめんなさい」
乙姫の瞳からは涙がこぼれ落ちていました。
「泣かないでください。乙姫さんは何も悪くはありません」
「でも、私のことを嫌いになったのではないですか?」
「そんなことはありません。今でも愛しています」
「でも、どうして私の元から離れてしまったの?」
「それは……」
「戻ってきてください。一緒に竜宮城で暮らしましょう」
「すみません、ちょっと私に考える時間を頂けないでしょうか?」
乙姫は、しばらく考えた。
「分かりました。ただ私は竜宮城を留守にするわけにはいかないので帰ります。その代わり、亀さんを浦島さんのそばに置いておきましょう。竜宮城に来たくなったときに、また亀さんに乗って来てください。いつまでも私は待ってます」
「ありがとうございます。わがままを言って、すみません」。浦島は頭を下げた。
「それと……」
乙姫は何かを言おうとしたが、言いあぐねた。しかし意を決した表情に変わり、話を続けた。
「それと、その玉手箱は、不老不死を解くためのものです。開けると煙が出て、あなたは普通の人間に戻ります。ただ、今まで過ぎた時間は、すぐにあなたの肉体に影響を及ぼします。煙が天に舞い上がるほどの瞬間しか生きていられないでしょう。どうか、その選択だけは選ばないでください」
乙姫はまた瞳から涙をこぼした。そして海の中に潜っていきました。
亀は乙姫から言われたように、しばらく浦島のそばで過ごしたのです。浦島はずっと砂浜から一歩も動きませんでした。何回も何回も、水平線に沈む夕日を亀と一緒に眺めて暮らしたのです。
ある日のこと、浦島は亀に話し掛けました。
「亀さん、付き合わせて悪いね」
「いえいえ、滅相もありません。助けてもらった恩もありますし」
「亀さんも不老不死なのかい?」
「いいえ、そんなことありません。ただ人間の寿命に比べたらはるかに長く生きられます。だいたい万年と言われています。だから、こうして浦島さんに付き合っている時間なんて、些細なものです」
「私は最近よく思うんだ。人間というのは、わがままな生き物だなって」
「へー。どうして、そう思うんですか?」
「こうして不老不死になって、年も取らないし、病気もしない。それどころか、お腹も減らず、眠くもならず、疲れも知らない。こんな良いことばかりなのに、何一つ嬉しいことがないんだ」
「嬉しくないのですか?」
「これは竜宮城にいたときからそうだった」
「竜宮城も嬉しくなかったのですか?」
「もちろん初めは嬉しかったさ。竜宮城の美しさに感動し、ご馳走に舌鼓を討ち、鯛やヒラメの舞い踊りにワクワクした。でも毎日毎日、同じものに触れていると、それに慣れて何も感じなくなってきたんだ。きっと、人間という生き物は、幸せの中にいると幸せであることが分からなくなるんだと思う」
「へー、そういうものなんですか?人間って。私には理解できませんね。普通に竜宮城の暮らしは最適ですけど」
「私は怖くなったんだ」
「怖くなった?何にですか?」
「乙姫さんにも慣れてしまうんではないかってことに。すごく愛おしけど、ずっと一緒に過ごしていると、この愛おしさも薄らいで無くなってしまうのが怖かったんだ。だから私は、逃げるように地上に戻ったんだ」
「そんな理由があったんですね」
「しかし、地上に戻ってきても、私は不老不死になっていた。何の苦痛を感じない体になっていた。空腹を知らなければ、何も美味しくないように、苦痛がない体は、何の喜びも感じられなくなっていた」
「別に喜びが無くてもいいじゃないですか?生きて行くのに必要なものですか?」
「感情は人間にとって必要なものなんだ。私も今更、気が付いたのだけど」
「私たち亀は、快適に暮らしさえすれば十分ですけどね」
「でも、私にはまだ一つだけ感情が残されている。愛という感情。こうして乙姫さんに会えない日が、乙姫さんを愛していると実感できる。この感情だけは手放したくはない。亀さん、私は竜宮城には戻らない」
「えっ、そんな……。この浜辺に、ずーっといる、ってことですか?」
「いや、私は玉手箱を開ける」
「そんなことしたら、そんなことしたら、乙姫様が悲しみます」
「私は決心した。乙姫さんには悪いが、私は玉手箱を開ける。乙姫さんと永遠に一緒にいることより、乙姫さんのことを一生愛することに決めた。だから玉手箱を開ける」
浦島は玉手箱に結んでいた紐を解いた。そして蓋を開けた。
玉手箱からは白い煙がモクモクと天に向かって舞い上がった。浦島はその煙を浴びると、見る見るうちに、おじいさんになっていきました。
「亀さん、乙姫さんに伝えてくれ。私は生まれ変わって、あなたに会いに行きます。告白しに行きますっと。何度も、何度も、生まれ変わるたびに何度でも」
浦島はそれを言うと息を引き取りました。
浦島の遺体はすぐに骨となり、砂となりました。それだけ月日が経っていたのです。もう砂浜の砂と区別がつかなくなってしまいました。
亀はその砂に向かって、独り言のように言いました。
「毎回、満月の夜に、この浜辺に来ます。昼間に来て、人間の子供たちに見つかるのはコリゴリなんで。浦島さん、生まれ変わったときは、ここで私を見つけて声を掛けて下さい」
亀はそれだけ言うと、海の中へと消えていきました。
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永遠というのは時間を越えた「瞬間」なんだ。
だから、愛に燃える瞬間が永遠で、その後に続こうが続くまいが、どのような形であろうと、消えてしまってもそれは別なことだよ。
岡本太郎 (芸術家)
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