仮想図書館の司書

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 ——エンター・ザ・ヴァベル  週末を迎え、再びヴァイブラリーへ没入する。  目を開けると、カモメが飛ぶ青空が一面に広がっていた。帆船を模擬したヴァイブラリーは、ギシギシと音を立てながら海上を漂っていた。優しい潮風が頬を撫でると、日々の疲労感が洗い流されていくのを感じた。  甲板から船内へと繋がる扉を開くと、一転して静かな暗がりに一枚板のテーブルの置かれた受付があった。  さっそくあの人の元へと赴く。私の心の安らぎ、カエデさん。 「……こんにちは」  カエデさんの長いまつ毛がぱちりと開くと、瑠璃色の大きな瞳に吸い込まれそうになった。 「あら、如月さん。お越しいただき、ありがとうございます。今日はお休みですか?」 「はい、『アルルの時報船』の続編を読想したくて。先日知り合いの方に話をしたら、すごく興味を持ってくれて、さっそく物語の続きを話してあげようかと思いまして」 「そうですか、きっと如月さんが楽しそうにお話しされたからなんでしょうね」 「お年寄りの女性なのですが、雰囲気がとても良くて……」  カエデさんみたいに、と言いそうになって口を(つぐ)んだ。 「それではこちらの本をどうぞ」 「ありがとうございます。あの……また後でお話させてください、ご迷惑でしょうか」 「いえいえ、楽しみにお待ちしております」    革張りの黒ソファに座り、ホログラムが施された表紙のヴァベルを開くと、目の前に異世界の港町風景が自分を覆うように広がっていった。  なだらかな山沿いには色とりどりの家屋が立ち並び、道行く人々は皆、羽衣のような衣装を着ている。港のほうに目をやると、時報船が停泊しているのが見えた。  やっと見つけた。  急いで時報船のほうに歩いていくと、船上で作業をしていた青年がこちらに気づき、驚いた様子で声をかけてきた。 「アルル、君はなぜここにいるんだい?」 「時報船の汽笛が聞こえなくなったから、気になって追いかけてきたの」 「そうかい、あの汽笛は君の鼓動の音だよ。だからここに彷徨ってきてしまったんだね。君がここに来るのはまだ早い、もう一度汽笛を鳴らすからお帰りなさい」  青年はそう言うと、船にぶら下がっていた大きな紐を思い切り引っ張った。  ボウーという汽笛が港に鳴り響くと音の振動は大きな風と呼び、アルルはその風に巻き上げられて、遥か彼方へ飛ばされていった——。
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