最後の朝に

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 一ヶ月前、この騒がしい隣人が引越してきた。出がけの騒音と流行歌の鼻歌。意を決して独りになった僕にとって、苛立ちしかなかった。  そんなある夜、話し声で目を覚ますと、どうやら電話中のようだ。 「……うん。けど、もう少しやってみたいから。え? そんなん、お母さんに言われなくたって、わかってるって!」  床に何かを投げつけるような音がした。今度こそ文句を言ってやろうと思ったけど、数秒の沈黙のあと、嗚咽混じりの弱々しい声に、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。 「……才能ないし。もう、だめだなぁ……わたしって、本当……」 「そんなことない!」  気づけば、自分でも驚くほど大きな声をあげていた。  理由なんて何もなくて、ただの勘にすぎなくて、それでも生きている君はそれだけで頑張っている。  彼女は僕に戸惑う様子もなく、壁の向こうで微かすかに笑ってくれた気がした。 「……ありがとう」  誰かに感謝されたのは僕のつまらない人生で初めてだった。  今でも彼女のことは何も知らない。気味悪がられて引っ越されても困るから、ずっと聞けないでいる。 「もう少し早く逢いたかったな」  いつの間にか夜が明けてきて、体が角砂糖のように溶けていく。  あぁ……明日からちゃんと起きられる?  忘れ物したら駄目だよ。   「君の今日が幸せでありますように……」  最後の朝に、ただ置いてきぼりの言葉と白い吐息に似た埃が朝日に照らされて、キラキラと名残惜しそうに漂っていく。
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