第10話

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第10話

Karte ー 5 明日は休みだから、久し振りに羽目を外しに行き付けのバーに行った。目的は勿論セックスの相手探し。 少し早い時間に行ったが、それなりに人は居た。ゲイバー特有の雰囲気の中で、一人で適度に呑んでいたら、何人かに声を掛けられた。 その中でも気の合いそうな相手を見付けた。相手は歳下だけどなかなか良い感じで、互いに名前を名乗った。 「あかりさん。綺麗な名前だね」と言われた。そんな相手は「友達からは、なおって呼ばれてる。だから、あかりさんも、なおって呼んで」と、はにかみながら言った。 「OK、なおくん」と言うと、なおは「呼び捨てでいいのに・・・」と、少し膨れっ面をして「子供扱いしてるでしょ」と言った。 「だって歳下じゃん」と揶揄うと、なおが「大差ないのに」と、ムキになって言うのがおかしくて、顔を見合わせて笑った。 なおは、ファッション関係の仕事をしていると言ったが、俺は普通の会社員だと嘘を吐いた。 そんななおが、職場での面白話をするので、時折声を上げて笑いながら、話を聴いていた。 (よし、久し振りに当たりかも。この後はホテルに行って・・・)と思ったタイミングで、関谷からRINEが届いた。 (何だよタイミング悪いな)と溜息を吐きながらも、急用だと困ると思い、なおに一言断りを入れて、内容を確認して驚いた。 RINEを見て、驚きの余り「は?何で?」と、思わず声に出してしまった。 「どうしたの?仕事じゃなくて彼氏だったり?」と聞かれて、つい「違うから」とムキになって言ってしまった。 「あ、ごめん。仕事関係なんだけど、余りの急展開に驚いちゃって」 「急いで、会社に戻らないといけなくなったとか?」 「いや、明日でも大丈夫。それに今の俺には先約があるからね」と、わざと煽る様に言った。 「期待に応えられるか、心配になってきた」と、照れる様に言う所が可愛いと思った。 (タイプなんだよな〜。これで身体の相性も合うと、最高なんだけどな~)と、関谷のRINEの内容を忘れようと、必死に自分を誤魔化した。 「そろそろ出ない?」と言うと、なおは「いいよ」と言って席を立つと、ママに「チェックお願いします」と言った。 「あ、いいよ。俺が払うから」と止めると、なおは俺の手を制して「今日は俺に奢らせて」と言う。 (歳下で爽やかでイケメン。話も上手いし、こういうさり気ない所もスマート。でもたまに可愛いとか、まじ好みなんだけど) 「じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になります」 「俺はこれから、ご馳走になりますけどね」と、悪戯っ子の様に笑う。 (ダメだ、理性が保たない・・・)と、心の中でめちゃくちゃ悶えた。でも次の瞬間、何故か頭の中で本條青葉の顔が過ぎった。 (いやいや、待って・・・あ〜も〜。関谷の所為だ。後でボロクソ文句言ってやる) 「どうしたの?」と聞かれて、俺は(切り替え大事・・・はい、リセット)と、自分に言い聞かせた。そして「何でもないよ。呑み過ぎたかな?」と、誤魔化した。 なおが少し心配そうに「大丈夫?」と言うので、俺は「外の空気吸えば、落ち着くでしょ」と言って、店を出た。 他愛のない話をしながらホテルに向かう。部屋に入ると、荷物を置いて上着をハンガーに掛ける。自然とベッドの端に座ると、なおも隣に座り、どちらかともなく唇を合わせ、舌を絡ませてキスを交わす。 「シャワー浴びないの?」と聞くと、なおは「後で一緒に入ろう」と言って押し倒してきた。 「あれ?なおくんは意外とせっかち?」 「煽ったのは、あかりさんでしょ」となおの言った一言に、本條青葉が言った「先生が刺激するような事を言うからでしょ」の言葉を思い出してしまった。 (だからなんで・・・)と思っていると、なおの手が服の中に入ってくる。 その指先が乳首を探し当て、弄び出す。条件反射のように、身体が少し反応する。それを見たなおが、俺の服を脱がし始める。 「あかりさんは、乳首の感度も良いんだね」と、嬉しそうに言うと、片方の乳首を弄りながら、もう片方の乳首に舐め始めた。 「あっ・・・」と小さく喘ぐと、なおは「ねぇ、もしかして、ここだけでイける?」と言う。 「ん”・・・無理だと思う・・・」 「そう?イケそうだけどな」と言って、執拗に乳首を攻めてくる。 「あ”っ、んん・・・焦れったい」と言うと、なおは俺の下も全部脱がして「じゃあこっちも・・・」と言って、チンコを扱き出した。 「あっ、それ・・・は、ん”ん”っ・・・」 「気持ち良い?」 「いい・・・」そう言うと、なおは手も身体も離すと、自らも服を脱ぎ出した。そしてローションを俺のアナルに垂らし、指で解し始めた。 指が増えて、悦い所を探すように俺の中で動き始めると、それに合わせるように、俺の身体も反応する。 「あっ、んっ・・・そこ、あ”っ・・・」 「あかりさんの身体、どこもやらしいね」と、笑いながら言うあおに、俺は「だって、気持ち良いから」と言った。 「煽るよね。我慢出来ないから挿れるよ」と言ったなおの目に、彼のあの目が一瞬重なって見えた。 (目の前に居るのは別人なのに・・・あ・・・)と、何かが解りそうだと思った時、なおが中に挿入ってきた。 「っ・・・あっ、そんな奥・・・」 「奥突かれるの好きなんだ。ホントやらしい」と言うなおの目を見ると、また彼のあの目が重なる。 「なっ・・・(んで・・・)」そう、咄嗟に口に出た瞬間に目を閉じた。それもまたいけなかった。目を閉じると余計、彼の顔が浮かんでしまった。 (なんで今、出てくるんだよ・・・これ絶対、関谷の所為だ・・・) いや、認めたくないけど違う・・・関谷の所為じゃない。なおの目が彼に似てるから?それも違う・・・似てるけど似てない。だからなおの所為でもない) 「あかりさん、何か違う事考えてるでしょ?」 「え、そんな・・・」 「今はこっちに集中してよ」と言って、奥まで突きまくってくる。 (そうだ、今はただ気持ち良い事だけ考えよう) 家の最寄り駅に着くなりスマホを取り出すと、時間もお構い無しに関谷に電話を掛ける。数回の呼出音で繋がった瞬間、関谷の声も聴かずに「一体どういうつもりだよ」と、苛立ちを込めて言った。 「どういうって言われてもなぁ」そう言って、すっとぼけて言うのがまた腹立たしくて、俺は一気に捲し立てた。 「お前わざとRINEしただろ。今日俺が当直明けで遊びに行くって知ってた癖に。それで一体、本條青葉と何を話したんだよ?」 「ん?セフレと一緒じゃなかったのか?なんだ新しい男の物色か」 (揚げ足取りやがってコイツ・・・いや俺が墓穴掘ったんだな)と思いつつ、気を取り直して言う。 「それは今、どうでもいい。ちゃんと質問に答えろ」 「急だったんだよ。それに一応、お前の受け持ちでもあるから、報せておこうと思ってRINEした。話の内容は、ただの恋のお悩み相談」 「いつも事後承諾のお前が、事前に報せてくるなんておかしいだろう。それに恋のお悩み相談って、ふざけてんのか?」 今目の前に関谷が居たら、あまりの苛立ちに、間違いなく殴っていただろう。 「ふざけてないって。あ、付け加えるなら、最近は体の方も調子が良いみたいだぞ」 「あぁ、それは看護師から聴いてる。食欲も睡眠も良いらしいな。ってだから、話を逸らすな」 「逸らす気はないって。恋のお悩み相談て言い方は、確かに悪かったけど。でも、話の内容は本当に、恋愛相談だった」 流石の関谷も、ここまできて嘘は言わないだろう。それでも・・・(わざわざ報せてきた意図が解らない。何か企んでんのか?)と、ついつい勘繰ってしまう。 「あ、もしかしてお楽しみの最中だったか?」 「おっさんか」 「実際28だぞ。若い子から見たらお前も俺も、充分おっさんだろ」 「お前が言うと、それ以上に聴こえるんだよ」そう言って笑うと、関谷が急に真面目なトーンで言う。 「灯里・・・彼はお前が心底、欲しいと思っている物を持ってる」 急に投げ掛けられた言葉に、口から出た言葉は「はぁ?」と、何とも間抜けな一言だった。 「だから付き合えとか言う気か?お前、自分で「付き合えって言ってる訳じゃない」って言ったの忘れたのか?」 「覚えてるよ、今もそう思ってる。こういう事は無理強いするもんじゃないし」 飄々と話す関谷を相手に、怒りのあまり、声も出せずにいる俺を察したのか、関谷は「ずっと疑問だったんだけど・・・」と言って一旦、言葉を切って再び話を続ける。 「なんで灯里は彼の事になると、そうやって感情が抑えられなくなるんだ?」 「え・・・」と、思わず息を飲んだ。確かに関谷の言う通りだと思う。彼の事を考えたり、彼の相手をしていると、感情が不安定になり易いとは、自分でも薄々は気付いていた。 (解らない・・・)そう思った。自分の考えや気持ちに、上手い説明も理由も付けられないのが、酷くもどかしい。 実際、彼の前で感情が抑えられなくなって、取り乱した事もある。それどころか、隠しておきたい感情も悟られていた。 最初はあの笑顔が嫌だった。いかにも有名人ですって感じの、あのキラキラしたオーラも、あの気安さもウザイとしか思わなかった。 (なのに何だよ、このモヤモヤしたような変な感じ。気持ち悪い・・・) 「まぁ、お楽しみの最中に邪魔したのは悪かった。今度からは気を付けるけど、灯里もそういう時は電源切っておけよ。相手にも悪いだろう」 「お前が言うな。ったく、お陰で集中でき・・・」 (しまった)と思った時には遅かった。関谷が茶化すように「へぇ〜・・・本條さんの顔でもチラついた?」と言った。 「俺、お前のそういうとこ嫌い」 「図星か〜。なら、どうして顔がチラついたのか、考えてみろよ」 「だからそれはお前が・・・あ〜ムカつく。明後日、お前の顔見た瞬間に殴ってやる。一発殴らないと気が済まない」 「元宮先生、院内で暴力はダメだろう?全く、見掛けによらず、血の気が多いんだから」 見掛けによらずとは酷い言われようだと思ったが、実際そういう事もよくあった身としては、反論のしようがない。 「本っ当に、余計な事は言ってないだろうな?」と、念を押すように聞くと、関谷は「当たり前だろう」と言った。 (怪しいけど顔が見えないから、これ以上は追及しにくいな)そう思って、話を終わらせる事にした。 「とりあえずこの件は一旦、保留にする。マンションに着いたから切るぞ」 「はいはい。まぁ、ゆっくり休めよ」 「言われなくても。じゃあまた病院でな」と言って通話を切って、部屋の中へと入り戸締りをした。 ソファに横たわって、深く溜息を吐く。夕方から出掛けてから、ほんの数時間。なのに必要以上に疲れた気がする。 アラームをセットしようと、手に取ったスマホのホーム画面に、RINEの通知が届いていた。相手はなおだった。 通知を開くと、無事に家に着いた事や今日の事、そして次はいつ会えるかという内容だった。 (いつもなら一晩限りなのに、連絡先まで教えちゃったじゃん)と再び溜息を吐いくと、なおに(また連絡するね。おやすみ)と返信した。 我ながら素っ気ない、という自覚はある。けど、次があるかどうかも解らないのに、変に期待をさせるような返信はしたくない。 こうした遣り取りも、相手によっては受け取り方が違ってくるから、慎重にならざるを得ない。何をどう勘違いしたのかは解らないが、相手によっては執拗に通知を送ってくる奴もいる。 心の中で(そういうのが面倒臭いんだよな)と、思いながら「ん〜・・・」と大きく伸びをすると、スマホを持って寝室へと向かった。 着替えてベッドに横になると、ふと(なんで本條青葉なんだ・・・)と思った。 いくら関谷からのRINEを見たからといって、目の前には好みの相手が居る。その相手に抱かれていたのに、どんなに切り替えようと思っても、相手に集中出来なかった。 (そう、あのゾクッとくる目が、何処か重なって見えて・・・ん?なおは単に欲情していただけだ。それはなおに限らない。他の奴等だって大体が・・・いや、何か違うな。でも、最初から欲望丸出しで寄ってくる奴等や、セフレとも何処か違う)と思った。 (そもそも何で俺は、なおに本條青葉を重ねた?多分そこから、何かが違うんだ)そこまで考えたが、疲れているのか眠くなってきて、上手く思考が働かない。 (もうこれ保留。とりあえず寝よ・・・起きたらシャワー浴びて、買い物にでも行って、気分転換に料理でもしよう) 「灯里先生、ちゃんと顔見せて・・・声も我慢しないで聴かせて?」そう言って彼は、俺の腕を優しく掴んで押さえ付けた。 指先で俺の唇を撫でると、口の中に指を入れる。無理矢理こじ開けられた口の間から、快楽に喘ぐ声が漏れる。 「あ”っ、ん”・・・」 「先生の中、熱くて気持ちいいね。セックスってこんなに気持ちいいんだ。あ、相手が先生だからかな」 そんな事を言う彼は、いつもと雰囲気が違う。欲情した目で俺を見ているけど、ギラギラしていない。がっついてる訳でもない。 なのに解き放たれた本能か本性なのか・・・ギラギラしていないのに、獲物を狙う目で見詰めてくる。その視線を逸らす事も出来ず、逆らう気も起こさせない。 寧ろ(ずっと俺だけを見ていて・・・もっと俺を欲しがって)とすら思った。頭の中がフワフワして(まるで麻薬か、媚薬みたいだな)と、馬鹿な事を思った。すると彼は、優しく笑いながら言った。 「先生には俺の全部をあげるね。だからもう何も我慢しないで」 その言葉に答えようとした時、ピピピ・・・ピピピ・・・とアラームが聴こえてきた。俺は驚いて飛び起きた。と同時に、思わず「え、夢・・・?」と呟いた。 夢の中で俺を抱いていたのは、間違いなく本條青葉だった。顔も声も彼だった。 (ちょっ・・・え?どういう事?寝る前に考えていたから?それにしては・・・) 寝起きなのと混乱する頭では、上手く整理が出来ない。しかもやけに生々しく、リアルだった。だから余計に、混乱しているのだと思う。 (とりあえず顔洗って、コーヒーを淹れて朝食。考えるのは後回し)そう、自分に言い聞かせた。 とは思ったものの、朝食を口に運びながらも、チラチラと頭を過ぎるあの夢を思い出しては、ついつい考えそうになる。何にでも、意味を持たせようとするのは、恐らく職業柄なんだろう。 意味を持たない、説明がつかない事象なんて、世の中には沢山ある。それこそ精神心理学ではなく、科学や哲学の分野だろうと思う。だけど、人間の行動や感情と結びつく事象は全て、心へと回帰する。 夢にしたってそうだ。人間は寝ている時に、その日の出来事や情報や行動などを、整理すると一般的に言われている。 そこにフロイト診断を加えると・・・(つまり俺は関谷の所為で本條さんを意識し、自分で心の奥底に抑え付けている感情を、彼に受け止めて欲しいという願望がある・・・?)そう思うと、余計に混乱し始める。 「嘘だろ・・・」と、口に出さずにはいられなかった。考えるのは後回しにしようと思っていたが、どうしたって頭を過ぎるので、観念して考えてみる事にした。 関谷は昨夜の電話で、彼は俺が欲しいものを持っていると言っていた。そして夢の中で彼はそれをくれると言い、更に「だからもう我慢しないで」と言った。 (何で彼なんだろう・・・) 思えば、なおに彼を重ねてしまったのも不思議だった。確かになおは好きなタイプだ。なら彼は?と聞かれたら、好きなタイプだと認めるしかない。 (でもタイプだからって、好きっていうのは違くないか?好きだからって付き合うって言うのも・・・ん~解らない・・・) いくら苦手とはいえ、誰かを好きだと思ったり、誰かと付き合う経験した事がない訳じゃない。ちゃんと恋人だっていた事もある。ただ続かないだけだった。 続かない原因は俺にある。昔から恋愛に対して、周りほど興味を持っていなかったし、恋愛感情そのものに懐疑的だったから。特に自分の性の対象が、同性だと気付いてからは余計、そう思うようになった。 どんなに好きになって付き合っても、どこか冷めている自分がいた。その所為か、相手の深い所までは入り込まなかったし、逆に相手を自分の深い所までは入り込ませなかった。 そんな関係が長く続く訳もなく、大体の場合、相手に他の相手が出来て別れる事になった。そして皆決まって「俺の事、本気じゃなかったんだろ」と言った。 (俺だって、今度は大丈夫って信じて・・・そう、思ってた頃もあったんだけどな)と、言い訳じみた事を思った。 (まぁいっか、とりあえず出掛けよう)と、俺はとっくに空になった食器を片付けて、出掛ける支度を始めた。服を選びながら(ついでに洋服も見るか・・・本屋にも行きたいな)と、あれこれ考えた。 休みの日に、一人で昼間から外へと出掛けるのはいつぶりだろうと思いながら、まずは洋服屋へと足を運んだ。 色々見ていると商品棚の上に、ページを開いた状態の雑誌が置かれていた。この店の商品が掲載されているのだろう。最初こそ写真の洋服にしか目が行かなかったが、よく見るとモデルは本條青葉だった。 (いや、俳優だってモデルの仕事はするだろう)と、自分に言い聞かせて雑誌から目を逸らした。 洋服屋を出て(次はどこへ行こうかな・・・)と、考えながら歩いた。そして映画館の前で足を止めた。観たいと思っていた映画がやっている。 (時間あるし観ようかな)と思いつつ、ふと(他に何かやってるかな?)と、張られているポスターの列を見て、何枚目かのポスターを見てギョッとした。 (いやいや・・・俳優なんだから、映画にだって出るだろう)そう思いながらも、心の中で(改めて見るとイケメンだな)と思った。病院での彼しか知らないから、とても新鮮な気持ちになった。 それにしても、おかしな話だと思った。この映画に出ている主人公本人は、今は病院で療養中。映画の撮影自体は、とっくの前に終わっているからなんの支障もないのだろうけど。 同じ日本に住んでいて、同じ時間軸で生きているのに、こうして俯瞰してみると、彼と俺とでは次元そのものが違うと感じる。いつかだったか、電車内でのファンらしき女性達の会話を思い出した。 (あぁ、なるほどな。これが所謂、雲の上の存在だとか、住む世界が違うって事か)それでも彼のファン達は、もしかしたらと淡い期待を抱く。 期待とは違うが、確かに俺も彼が入院も通院もせずにいたら、何の接点もなく過ごしていただろう。ましてや、芸能人だとかに興味のない俺には、彼の存在を知らないままだった可能性もあった訳だ。 そんな事を考えてる俺の横を、訝しんで通り過ぎる人達の視線で我に返った。結局、映画は次の機会に観る事にして、俺は本屋へと方向を変えた。だがその本屋でも、至る所に本條青葉が視界に入ってくる。 (このポスターって彼だったのか。あれ?このフェアのポスターも?)等と、馴染みの本屋にも関わらず、今まで見過ごしてきた自分も相当だと思った。 (そういえば前にこのポスター所で、ファンらしき女性達が騒いでたな)と思い出した。と、同時に(やっぱり何か違うんだよな。いや、仕事の顔なんだから当たり前だろうけど・・・)と思った。 それと同時に、俺はある事に気付いた。それを確かめたくて、彼の写真集や彼が載っていそうな雑誌を、片っ端から見た。だが目当ての写真は、一枚も載っていなかった。 (やっぱり・・・あの閉ざされた向こうのあの目、あの顔は何処にもない。その片鱗すらない) そう思いながら手にした、最後の写真集。その最後のページを見て、柄にもなくドキッとした。その写真は、顔付きや雰囲気は他のと変わらないのだが、上半身裸の姿でコチラを煽るように見ていた。 (いやいや、何で今これを見て夢を思い出すかな・・・)そう、自分にツッコミを入れずにはいられなかった。 (俺の知ってる彼とも、夢の中の彼とも、雰囲気や印象は違うのに・・・いや、夢の所為だなこれ) そんな事を考えていたら、突然スマホが鳴り出したので、慌てて人気のない場所へと移動した。 「休みなのに悪い。明日でもいいとは思ったんだけどさ・・・」 「何だよ歯切れの悪い」 「あ~ついさっきな、本條さんのマネージャーの野崎さんから、退院について色々と言われたんだよ」 俺は関谷の言葉に、一瞬にして動揺が身体中を駆け巡り、一気に脈が早くなるのが解った。 「あぁ、もう一ヶ月ちょっと経つしな。でもまだ、安定し始めたばかりだぞ?」 いつか退院する事は、患者にとっては当たり前の事だ。通常は一ヶ月から三ヶ月。彼の場合は、体調管理さえ怠わなければ、いつだって退院は可能ではある。 「それで急遽、明日の午後イチでカンファレンスをする事になった。休みのとこ悪いが、それまでにお前の意見書が欲しい」 「えぇ〜それはお前が書けよ」そう強気で言ったものの、スマホを持つ手が震える。 (彼が退院する・・・いなくなる・・・)そう思った途端、呼吸が苦しくなってきた。 (退院するのは当たり前だけど・・・ヒュッ) 「そりゃあ俺も書くけど、カウンセリングしてんのは灯里だから、そっちの意見も必要だろ?」 「はっ、はっ・・・わかった・・・」 「灯里?どうした、大丈夫か?」と聞かれても、呼吸が乱れ始めて、上手く答えられない。 「っ・・・はっ、はっ・・・ゴホッ・・・」 「発作か、今どこに居る?すぐ迎えに行くから、そこで待ってろ」 「っ・・・はっ、ゲホッ・・・ほん、や・・・」 「紙袋も薬も持ってるな?すぐ行くから。それまで絶対、そこでおとなしく待ってろよ」と、関谷はそう言って電話を切った。 俺は鞄から紙袋を取り出すと、呼吸を整えようと、吸ったり吐いたりを繰り返した。なのに今日に限って上手く呼吸が出来ない。 途中で酸欠になり始めたのか、意識がぼーっとしてくるのが解る。 (本條さん・・・俺、なんっ・・・いつも・・・)
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