第11話

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第11話

Action ― 6 俺は起きてからもずっと、昨夜の関谷先生から聴いた話を、頭の中で反芻しては必死に答えを探した。けど、何が正解で間違えかなんて事は解らない。それでも、考えることを諦めたらダメな気がした。 (正解じゃなくてもいい。何か掴むことが出来ればいいんだ) そう自分に言い聞かせるように、何回目かの反芻を始めた。 『灯里と俺が、幼馴染だって事は知ってるよね。元々は、母親同士が高校からの友達だったらしいんだ。アイツの母親が結婚してすぐに、俺ん家の向かいに引っ越してきた。そこから家同士というか、家族ぐるみの付き合いが始まった。といっても、その時はまだアイツも俺も、生まれてなかったけどね。けど、それから数年してアイツと俺が生まれた』 俺は先生の話を聴きながら、灯里先生が言っていた「家族みたいなもの」と、言った理由が解った。 知り合いとかからたまに聴く話だったけど、親同士が仲良いと本当にそうなるのかと、感心しながら聴いていた。 『何処にでもある、幸せそうな家庭が破綻したのは、灯里と俺がまだ三歳の頃だった。アイツの父親が他に女を作って、離婚届を置いて出て行ったんだ。それからアイツの母親が、少しずつ精神的に不安定になっていった。まぁ、それだけ惚れてたんだろうね。俺の母親もそう言ってたから』 好きになった同士が結婚して、子供が出来るのは一般的には普通だ。そしてその幸せは、ごく普通にある事でもある。 でもある一握りの家庭では、ある日突然、なんの前触れもなく、当たり前の日常がなくなる日が訪れる。理由はそれぞれだと思う。そして、そこから新しい日常を送れるかどうかも、それぞれだろう。 灯里先生の母親も最初は、先生の為にパートや育児を頑張っていたという。だけど無理をすれば、身体や心に綻びが生じる。先生の母親がそうだった。 『アイツと俺が五歳の頃。俺の父親がまだ、大学病院に勤めていた時だった。俺の母親が、見るに堪えないと言って、父親の勤務している病院に入院させたんだよ。アイツはうちで預かる事になった。何年かして俺達は小学生になった。幼稚園の卒園式も、小学校の入学式も、俺の両親が代理として出席した。入院させて数年経っても、病状は良くならなくてね。週に二回は行けてた面会も、とうとう行けなくなったんだ。アイツも最初は我慢してたよ。その所為かな・・・アイツあんまり笑わなくなってた。かといって、泣く訳でもなかったけど』 俺はこの時(先生は感情を押し殺したんだ)と、思った。いくら家族同様の付き合いと言っても、きっと遠慮もあっただろう。それに・・・(先生って負けず嫌いだしな)と思った。 『母親に会えなくなって半年くらい経った頃、学校の帰りにアイツが突然「お母さんに会いたい」って、泣きながら言い出したんだ。母親が入院してから、一回も泣かなかったアイツが、泣きながら俺に呟くように言ってさ。アイツの泣き顔なんて、見たことなかったから凄いビックリして・・・で、俺は俺でカッコつけたかったんだろうね。何の考えもなしに「じゃあ今から会いに行こう」って、ホント子供の考え。浅はかっていうかさ。病院に行けば、顔だけでも見れるんじゃないかって、顔だけでも一目見れればアイツが満足するんじゃないかって思ったんだよ』 (きっと、俺がその時の関谷先生の立場でも、同じ事を考えたと思う。それがどんな結果になるかも知らないで・・・) 『正面から入っても、病棟には行けない事を知ってたから、業者が出入りする入口の方へ行こうと、アイツの手を引いて裏道を通った。その時、屋上から女の人の叫び声が聴こえてきた。上を見ると、そこにはアイツの母親がフェンスを越えて立っていた。アイツが「お母さんやめて!」って叫んだ瞬間、アイツの母親は足を前に出した。アイツも俺も目をつぶった、その数秒後には、何とも言い表せない音と、屋上に居た女の人の悲鳴が聴こえてきた。俺はハッとして、目を開けて音がした方を見た。次の瞬間、近くに居たスタッフさん、警備員の人、慌てて走ってくる俺の父親や看護師さん達が遠くに見えた。俺は咄嗟にアイツの目を塞いだけど、指の隙間から見えたんだろうな。そしたらアイツは声も出せなくなって、息が乱れて・・・息が出来てない。いわゆる過呼吸になってさ。でも当時の俺には為す術がない。そうしてる間にも、少しずつアイツの視線が定まらなくなってきて・・・酸欠になり始めてたんだ。当時はどうしていいか解らなくて、気付いたら大きな声で「父さん、灯里を助けて!」って、叫んでた。本当・・・それしか出来なかった。それから数日間、アイツは意識を戻さなかった』 それが灯里先生のトラウマだという。そこだけ抜粋すると、母親が自殺した事のみがトラウマなのだと思い込んでしまう。 関谷先生は『まぁ、それ自体もトラウマなんだけどさ、その理由もアイツにはトラウマなんだよ』って言っていた。俺は意味が解らなくて詳しく聞いた。 『子供心というか、アイツにとってはさ・・・俺を残してまで、死にたかったの?っていう、疑問があったと思う。なら俺なんか生まなきゃ良かったじゃんとか、俺達を捨てた父さんの方が、俺より大切なの?好きなの?とか、そういった疑問が湧いて出た。答えも解らないまま、ただアイツの心が壊れて、そのまま暫く入院した。それからだね・・・何も、誰も信じられなくなったんだ。唯一、俺ん家の家族だけには、少しは心を開いてくれてたけど。そしてその、感情がというか思考が行き着いた所が、恋愛なんて信じられない、恋愛は人を狂わせる。この考え自体がもう、極論っていうか、暴論というか・・・殆どこじつけだよね』 『でも灯里先生は、欲しいと思ってるんですよね?その・・・無償の愛とかいうやつ。え~と、上手く言えないんですけど、それってつまり・・・愛されたいって事ですよね?』 今思うと、直球過ぎる言葉だと思う。でもそれしか出て来なかった。 『端的に言えばそういう事。アイツだけに限らない話だけどね。心が壊れてしまった子供達の、言動や行動の多くに見られる傾向には幾つかある。幼少期に親の愛情を充分に与えられなかった、という前提が有りきだけどね。忙しくて構って貰えない親に、振り向いて欲しいと願う子。親の顔色を窺いながらも、必死に良い子でいようとする子。自傷行為をする子もいれば、家出をして年齢を偽って風俗のような所で仕事をする子もいる。そしてそういう子達の多くは、精神を病んでいる。でも殆どの場合が無自覚なんだ。そういう子供が最近増えているのは知ってる?自分で気付いて、この手の病院に通院するなり、入院出来る子はまだいい。大抵の子はそうじゃない。そもそも自覚していないからね。そして、そういう子供達が今度は加害者になるケースも増えてる。ニュースでもたまに報道されてるよね。子供を虐待する親、育児放棄する親、我が子を殺してしまう親。ニュースで取り沙汰れてるからか、虐待なんかには周りがそれと気付いて、保護される場合もあるけどさ』 前にニュースでやっているのを見た事があった。そういう事件が増えている事も知っていた。ただ、被害者だった子供達が、今度は加害者になるという可能性がある事は知らなかった。そこでまた俺は、ふと湧いた疑問を投げ掛けた。 『でも先生は、そうならなかった。寧ろそういう子達や、そういう人達を助ける側になった。普通なら、トラウマに繋がるような仕事には、関わりたくないと思うんですけど・・・?』 『そう、普通はそう思うよね。高校の時に、うちの両親と進路の話をした時に、医大に進んで精神心理学を学びたいって言った。俺以外は皆が皆、反対したよ。強いトラウマの所為で、フラッシュバックを呼び起こしたり、パニックを引き起こしたり、過呼吸も起こすんだ。そんなアイツが、その道に進みたいなんて言っても、誰も「いいよ」とは言わないよね』 (なのに何で、それはただ辛いだけなんじゃ・・・) 『いま挙げた子供達とは違うケースもある・・・それが灯里。アイツに限らないとは言ったけど、アイツにはもう、それを求める相手もいなかったしね。だからかな・・・アイツは逆に捉えたんだよ。愛する事も、愛される事も諦めた。その代わりに、どうしてそういう感情を持つのかを考え始めた。自分にとっては害悪でしかなく、到底、理解する気にもなれない感情を、人はどうして求めるのかってね。アイツの言おうとしてる事は、解らなくもない。でも俺から言わせると、どうしたら人を愛せるのか、どうしたら人から愛されるのかを知りたがってるようにも感じるんだ』 『でも先生は、それが怖いんじゃ・・・』 『そう、それはアイツも解ってる。でも人間って常に相反する感情を抱えて生きてるでしょ?それに、一歩間違えたらミイラ取りがミイラになる事も、覚悟の上で決めたんだと思う』 人を愛する事も、愛される事も普通の事だと思っていた。好きという気持ちの延長線上に、愛という感情があって、それはごく自然に湧き上がる感情だと思っていた。だから(そういう気持ちっていうか、感情って意識する事なのか?)そう思った事が、顔に出ていたのだろう、関谷先生に見抜かれていたようだ。 『普通ならね・・・普通の人なら、意識せずに出来る事でも、意識しないと出来ないって人もいる。でも俺の立場からすると、意識するから余計に出来なくなるんじゃないかと思ってる。恋愛に限らず、意識する事によって変に構えてしまう事ってない?例えば本條さんなら、意識するあまり、演技に無駄な力が入り過ぎてしまったり、とか?』 『あぁ、たまにありますね。勿論それで上手くいく時もありますけど、意識し過ぎて逆に、不自然だと注意されたりします。ん~と・・・つまり、先生は意識し過ぎてるって事ですか?』 『そう感じるんだよね。だって感情ていうのは、頭で考えたからって、絶対答えが出る物でもないでしょ。それに、答えが出たからと言って、じゃあそれが絶対か、と聞かれたら微妙だと思うんだよね。まぁそれでも俺達みたいな医者は、そうなった原因やら何らを突き止めて、病気と判断しないとダメなんだけどさ。アイツの長所は、仕事には関しては勤勉で真面目。患者さんや病気に対しても真摯に向き合う。でもそこが短所でもある。何でもかんでも理由付けしようとして、考え込んでしまう。それが時に、自分を雁字搦めにしてるんだよ。世の中には、思考では解決出来ない事もあるし、意識せずとも自然とそうなるって事もある。でもアイツにはそれが出来ないんだよね。頭が堅いっていうのかな・・・まぁ、これはあくまでも俺個人の、アイツに対する評価だけど』 ここまで話の内容を、何回思い返しても、どこに答えがあるのか本当に解らない。この後は灯里先生の、今に至るまでの恋愛話で終わった。その話には、あまりヒントになりそうなものはなかった。 関谷先生も「具体的に、これといった攻略法がなくてごめんね」と、すまなさそうに言ったが、俺は「いえ、知れただけで満足です」と返した。決して強がりではなく、本心からそう思った。 (だって何も知らないからって、気付いたら傷付けてて、あんな顔をさせるよりはマシだ。解らなかったとか、知らなかったの一言で片付けて諦めるより、解りたいと思う気持ちの方が大切なんじゃないかな・・・)と考えていたら、突然スマホからメールの着信音が鳴った。 枕元に置いたスマホを取りながら、心の中で(きっと野崎さんだな)と思ったのは、メールを送ってくる相手が野崎さんしかいないからだ。時間的にも野崎さんの確率が高い。 (事務所に居るのかな)と思いながらも、俺はメールを開いて内容を読んだ。そこには、最近の俺の体調の良さを聴いたからなのか、そろそろ退院を考えよう、といった内容が書かれていた。 確かに、いつかは退院するとは思っていた。病人が元気になれば、退院するのは当たり前だ。だけど、自分でも解るくらいに、良くなってきたなと思い始めたのは本当に最近の事だ。 そりゃあ、早く仕事もしたい。何より、外に出たいと思う。けど(体調管理は・・・自信ないな)と思った。仕事はしたいけど、復帰したらまた仕事に夢中になって、元の生活に戻っちゃう気がする。 (まぁ・・・きっと野崎さんの事だから、食事から何から色々と気を使ってくれるんだろうな。でも・・・)と、ここでまた、灯里先生の事が頭の中を支配し始める。 (仕事もだけど、先生の事も、俺の中ではまだ何も解決してない)そう思うと、複雑な気持ちになった。 このまま退院してしまったら、先生との接点は失くなる。話したい事も、聞きたい事もまだ沢山ある。先生の言う「本当の俺」を、自分でも知りたいと思い始めてる。 芸能人と医者という関係では、難しいかも知れないけど、せめて友人としてでもいいから、少しでも一緒に居たい。 (恋愛感情なんてなくていい。恋人にして欲しいなんて言わない。でもせめて、先生の傍には居させて欲しい・・・) そんな事をグルグルと考えていたら、急に病室の外が騒がしくなった。俺の病室は個室で、病棟の奥にあって、あまり人は来ないと聴いていた。だからちょっと珍しい思った。 (部屋から出ずに、少し覗くくらいなら大丈夫かな)と思って、ベッドから降りて病室のドアの近くまで行った時、聴き慣れた関谷先生の声が聴こえて来た。 「酸素の用意はしてある?あと点滴も用意して」 「ボンベはいつでも使えます」 「点滴の用意して来ます」と、次から次へと声が飛び交う。俺は(急患の人かな?)と、暢気に思いながらドアをそっと開けた。その瞬間、俺の目に映ったのはベッドに横たわった灯里先生の姿だった。 俺は反射的に病室から出て「灯里先生!」と、駆け寄ろうとした。すると、看護師さんの一人が「本條さん、部屋に戻って下さい」と言って俺を制した。 その手を振り解いて近寄ろうとする俺に、今度は関谷先生が「本條さん。後で伺いますので、今は部屋に戻っていて下さい」と言って、隣の病室へと入って行った。 その場に取り残された俺に出来る事はなく・・・かといって、言われるまま病室に戻る気にもなれなくて、灯里先生が入って行った病室のドアの所で、膝を抱えてうずくまった。 (先生の顔、いつも以上に白かった。呼吸器マスク?も着けられてた。きっと過呼吸を起こしたんだ。意識なさそうだったけど、大丈夫かな。過呼吸を起こすなんて、何があったんだろう・・・こんなに近くに居るのに・・・) そんな事を考えていたら、鼻の奥がツンとして目頭が熱くなってきて、思わず泣きそうになった。すんでのところで堪えたのは、今一番、苦しくて辛い思いをしているのは、俺じゃないと思ったから。 (今一番、苦しくて辛い思いをしているのは先生だ。きっと・・・泣いて、助けて欲しいと思っている・・・) 自分でも訳の解らない事を考えていたら、病室のドアが開いて、看護師さん達が話しながら出て来た。 「それじゃあ、その旨を副院長に伝えておきます」 「また点滴が終わる頃に来ます。ってあれ、本條さん?」 「え、本條さん?」と驚いたように言って、関谷先生が病室から出て来て、俺の顔を覗き込んできた。 「あ、本條さんも俺が診るからいいよ」 「解りました」と言って、看護師さん達が足早に去って行くのが解った。 「全く、部屋で待っていて下さいって言ったのに。まぁ、呼びに行く手間が省けたと思えばいいか。本條さん、話は中でします・・・立てる?」 俺は下を向いたまま、黙って頷いた。すると、関谷先生は「早く中に入ろう」と言って、俺を病室の中へと引っ張って行く。 中に入るなり開口一番に、関谷先生が「本條さんを泣かせる程、心配させちゃったんだね」と言った。俺が「え、泣いてないですよ」と、言おうとしてやっと気付いた。 あれだけ、灯里先生の方が・・・と思っていながら、涙を堪える事が出来ていなかったのだ。俺は関谷先生が差し出してくれたハンカチを、躊躇いながらも受け取ると、それで涙を拭いた。 「本條さんを泣かしたって言ったら、野崎さんに怒られるな。いや、怒られるだけじゃ済まないかも」 俺は「すいません・・・」としか言えなかった。 「本條さんもしかして今、自分でもどうして泣いたのかって、不思議に思ってる?」 「だって・・・何があったのか、俺には解りません。だけど今一番、苦しくて辛くて、泣きたくて助けて欲しいって思っているのは、灯里先生でしょう?そう思ってたのに、俺が泣くなんておかしいじゃないですか」 「そう?本当に、おかしいって思ってる?」 「え、だって・・・」そう俺が、言い淀んでいたら「灯里の代わりに泣いてくれたんじゃない?」と、先生が言った。 「どういう事ですか?」 「本條さんの事だから、昨日の話を聴いた上で、必死に、コイツの気持ちを考えたんだと思うんだよね。あぁ、攻略法を考える意味でもね」 「そりゃあ、まぁ・・・そうです。でも、全く解らなかった。寧ろ、余計に解らなくなった気がします」 そう・・・いくら思い返してみても考えは纏まらず、同じ事ばかりグルグル考えているだけなのに、それでも想いだけはどんどん募っていく。単にこのまま諦めたくなかっただけだ。 「本條さんが泣いたのは勿論、好きな人のこんな姿を見た所為っていうのもあると思う。誰だって心配するよね。だけど人間て、それだけでそんなに泣けるものじゃないでしょ?」 「状況によるんじゃないですか?」 「確かにそれもあるね。だけど今のこの状況も、本條さんのその気持ちも違うよね。本條さんは自分が悲しいと思うより、コイツの方が遥かに悲しいと思ってるって、感じたんだよね」 「だって・・・」と、また言葉を詰まらせて言った。 「少なくとも、俺はそういう風には考えないよ。ただ家族が心配で、出来るだけの事をやってるだけ。家族同然と言っても、俺にはコイツの心を救う事は出来ない」 そう言った関谷先生の顔が、少し寂しそうに見えた気がした。きっと先生も、灯里先生を助けたい、救いたいと思っていた筈だ。だって、ずっと傍に居たんだから。 「そもそも、コイツにそんな事は求められてないんだけどさ。それでも心配はするし、幸せになって欲しいとは思うよね」 「灯里先生の事、そういう意味で好きなんですか?」 「それはない。ん~、強いて言うなら、家族愛と罪悪感かな。昨日も話したけど、俺の軽率な行動で、コイツに不要なトラウマを植え付けたような訳だしね」 「でもそれは、先生の為を思ってした事でしょ?」 「そうだよ。でも結果的に、大きな消えないトラウマという傷を残した。俺にとってきっとそれは、生涯消えない、消せない過去だよ」 (あれ?それはそれで、関谷先生にとっての、トラウマみたいなものなんじゃないのか?)と思った。昨日も感じたけど、あの時の事は誰の所為でもと思った。 きっと、灯里先生はその事で関谷先生を、恨んだり憎んだりしていないと思う。逆に先生の事だから、我儘を言った自分が悪いと思っていて、それに対して罪悪感を抱いてる関谷先生に、罪悪感を抱いてるんじゃないかと思った。 「俺は、解らないながらも先生に「灯里先生は俺が幸せにします」って言いました。そして、未だに解らないながらも、改めて思った事があります」 「話して貰ってもいい?」 「はい。俺は遅かれ早かれ、退院する事になります。そうなると、灯里先生との接点は失くなります。芸能人と医者という異なる世界では、例え恋人じゃなくても、友人である事自体が難しいかも知れない。それでも俺は、先生の近くに居たい・・・誰よりも傍に居たいと思いました。知らない、解らない、出来ないってだけで諦めたくないです」 俺の我儘で幼稚な発言を、笑うでもなく茶化すでもなく、関谷先生は静かに微笑んで「やっぱり本條さんらしいな」と呟くように言った。 「今のコイツは、過呼吸が過ぎて酸欠状態。一応、脳のCTは撮るけど、脳には異常はないと思う。発作の原因は恐らく、パニックによると考えられる。いつ意識が戻るのかは解らないけど、今は呼吸も安定してるから、そんなに時間は掛からないと思う」 淡々と説明する関谷先生の意図が解らないまま、俺は(意識は戻るんだよな・・・)という、不安が過ぎる。 「本條さん、昨日に続いて申し訳ないんだけど、お願いがあります」 「はい、何ですか?」と答えたものの、ふと(俺に出来る事だよな?)と、今度は違う不安が過ぎった。 「コイツの・・・灯里の意識が戻るまで、傍に居てやってくれないかな?本條さんのベッドや食事、回診などの根回しは、俺が責任を持つので・・・」と、先生には珍しく、言い淀むように言った。 「え、えっと、それは俺がさっき、灯里先生の傍に居たいって言ったからですか?」 「そうじゃなくて・・・いや、それもあるかな?というか、そうする事が、本條さんにとってもコイツにとっても、良いような気がするんだ。医者のクセに曖昧な言い方をして悪いんだけど・・・」 「いえ、それは気にしません。でも俺が傍に居て良いんですか?家族の方じゃなくて良いんですか?」 「本條さんだから、傍に居てやって欲しい。コイツの気持ちを考えて、それに寄り添える相手は、本條さんしかいないと思ったからね」 「それは買い被りな気がします」 「まぁ、これは単なる個人的なお願いだから、断ってくれてもいいよ」 「いえ、俺で良いなら引き受けます。どうせ自分の病室に居ても落ち着かないですから」 「ありがとう」 (先生・・・何も出来ない俺だけど、せめて傍に居させて下さい・・・)
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