第13話

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第13話

Junction ー 2 静かになりたくて、一人になりたくて、真っ暗な闇の中で、膝を抱えて目を閉じていた。敢えて目を閉じなくても、周りは暗闇しかないけど・・・こんな事は小さい頃のあの時以来だ。 静かになりたいと思うのに、色んな出来事や、沢山の人達の声が、頭を過ぎっては消えて行く。例えるなら走馬灯のようだと思った。 子供の頃に関谷と関谷の兄さんと、やんちゃをして怒られた事や、学生時代の頃の何気ない出来事、歴代の彼氏にセフレの顔までもが、鮮明に思い出せる。 (そういえば彼は・・・)と、ふと思った。彼については名前も顔も覚えてる事は何もない。なのに、彼に対してなのであろう、この記憶めいた感情は何故かハッキリと思い出せる。 そう・・・彼に会ったあの日から、いつも以上に・・・必要以上に自分の気持ちを、必死に抑え付けていた気がする。 一目見た時から、何か惹き付けられるモノがあったのだと思う。一目惚れ・・・そう、呼べる感情なのかは思い出せない。と言うより、そんな経験がないから解らないと言った方が正確だろう。 それに加えて、あまり良くない勘みたいな・・・でも不思議と、嫌という感じではなかった。ただ単純にそんな、変な予感めいた何かを感じた覚えがある。 そんな曖昧な気持ちだった所為かも知れないが、これはただの知的好奇心であり、単なる仕事だと自分に言い聞かせ、邪魔な感情に蓋をして、心の奥底に沈めて隠した。 なのに彼は意図も簡単に、するりと懐に入り込んできた。そして俺がその奥底に隠した筈の、想いや感情が詰まった心の蓋を開いた。しかも軽々と・・・無意識のうちに暴き出されてしまった。 (暴かれたって事は、彼の前で醜態でも曝したのかも知れないな。だとしたら・・・そうさせた彼に、俺は嫌悪感を持ってたんじゃないのか?) だが、そうとは限らないのが人間だ。そこまでされると逆に、嫌でも相手の事を、意識せざるを得なくなってしまう場合だってある。 そうやって意識し始めて少しづつ、彼の存在が自分の中で大きくなっていったのだと思う。その気持ちがいつしか、仕事と本音の境が自分でもハッキリと、解らなくなっていた気もする。 (もしかして、仕事とは関係ないのか?)と一瞬、そう疑問に思った。 (けど確か・・・関谷も居たから、病院内で会ってる筈なんだ。それなら、仕事と本音の境が曖昧でも、何もおかしくはないな)と、自己完結させた。 そして、そんな自分に戸惑いながらも、彼がどこか愛おしく思えて、大切にしたいと・・・そう思っている事を、自覚させられた記憶が薄ら残っている。 彼に関する記憶は酷く曖昧で、思い出したくても思い出せないのに、その感情・・・この感情だけは忘れずに、こうして覚えている。 (やっぱり大切な物はいつだって、手に入らないんだな・・・)と思った。 (いや、そうじゃない。これはきっと怖くて逃げてばかりいた、臆病な自分が招いた結果だ。いわば自業自得だ) ならば最初から素直に、自分の気持ちを受け入れていたら、何か違う結果になっていたのか・・・答えはNoだろう。 そもそもそんな簡単に、自分の気持ちに素直になれるんだったら、彼に会うよりもっと前に、大切だと思える人が出来ていた筈だ。現に、彼氏がいた事もあったのだから。 (つまり、こうして考え混んでしまうのも、こういう想いを抱いた事も、彼が初めてだって事か・・・?) 初恋という訳ではないとは思う。まぁ、初恋がどういう気持ちだったか、当時の記憶も思い出せないけれど。だから、比べようもないし断言は出来ない。けれどこの感情を、敢えて言葉で表現するなら、初恋という言葉が一番近くては一番しっくりきた。 (初恋か・・・童貞でも処女でもあるまいし今更。でも初めての感情で、初めて誰かを本気で好きになったというなら、表現的には確かにそれに近いのかもな) そんな事を考えていたら、こういった恋バナめいた話を誰かとした気がした。でも、どこかで誰とそんな話をしたのか何も思い出せなくて、もどかしくなってきた。 (話した相手が女性なら、患者さんか、看護士さんかスタッフさんか・・・まぁ、その可能性は高いな) いずれにせよ、もしこの感情を、本当に初恋と呼んでいいのなら、その相手が何故か、彼であって欲しいと思った。でも肝心の、その相手である彼の事を思い出せないのが、何とも歯痒い気持ちになる。 でも、朧気にしか思い出せないけれど、いつも明るく笑っていて、いつも優しい声で俺の名前を呼んでくれていた気がする。そしていつも真っ直ぐに、俺の事を「好き」だと言っていてくれた気もする。 (気がするか・・・なんてあやふやなんだ。なんで彼の顔も、名前も思い出せないんだろう。なのに彼のその声や、曖昧なこの感情だけは覚えてるのは何で?) そんな事を考えていたら、ある言葉が頭の中で・・・いや、頭の中というよりは、実際に耳元で言われているかのような、そんな錯覚をしそうな程、鮮明にハッキリと聴こえた気がした。 「先生には俺の全部をあげるね。だからもう何も我慢しないで」 いつ何処で言われたのかは記憶にない。けど、それを言った声の主が誰なのかは、すぐに解った。だからこれはきっと、彼が言った事なのだと・・・それだけは確信して言い切れる気がした。 (本当に欲しい物をくれるの?俺はもう何も我慢しなくていいの?) 自分しか居ない暗闇の中だという事も忘れて、誰にともなく問い掛けた。でも次の瞬間には、悪い方向へと思考が及ぶ。 (大切だと気付いた時には既に遅く、記憶も残っていないなんてな。忘れたくても忘れられない事は、いつまで経っても覚えてるのに・・・) 割り切れなくて納得がいかないから、いつまで経っても忘れられないのだと思う。そういう嫌な記憶ほど頭や心に刻まれる。 そしてそれは、楽しかった思い出や大切な記憶を曖昧にしたり、その記憶を上書きしたりする。 (思い出したい・・・)と思うのは、きっとそういう感情があって、自覚しつつあったのかも知れない。いや、自覚していたのだろう。現にこうして、彼についてあれこれ考えているのが、いい証拠だと思う。 (でも目を開けた瞬間、彼の存在も、この感情も忘れてしまうかも知れない)そう考えると、怖くなってしまった。 それでも、彼に会ってみたい。そして自分のこの気持ちが、本物なのか確かめたい。仮に、この思い出した出来事が、事実とは違っていたとしてもいい。 (それらが既に、掌から零れ落ちた後だったとしてもいい・・・)と、そう心の底から強く思った。 だけどもし、これらが全て事実だったとしても、俺は素直に受け入れる事が出来るのだろうか。そして、彼に対しても、素直に接する事が出来るのだろうか。 自分でいうのもなんだが、マトモな恋愛をして来なかったから、どうしたらいいのか今一つ解らない。なんせ、これだけの想いを抱いたのも初めてだから。 (俺はきっと、素直になんてなれないだろうな・・・そもそも、この感情を受け止めて認められるのか?) この後に及んでも尚、プラスとマイナスを行き来する。そんなハッキリしない思考が、自分でも止めるに止められない。 「お前は色々考え過ぎて、色々拗らせ過ぎなんだよ。そんなんだと、いつか本気で誰かを好きになった時、お前が困るんだぞ」 いつだったか、関谷に言われたその言葉が、痛いほど心に突き刺さる。かといって、この性格がすぐに直るとも思えない。 (やっぱりこのまま、目を覚まさない方がいいのかも知れない。会わないまま・・・思い出さない方がいいのかも知れない。そうしたら、こんな不毛な考えをいつまでも続けなくて済むのに・・・) 灯里先生の手を握り続けたまま、早く目を開けて欲しいと、それだけを願う事しか出来ずに朝を迎えた。 だけど先生の目は開かれる事はなく、代わりのように時折、苦しそうにしていた。その度に「先生、大丈夫だよ。何も怖くないよ」と、声を掛けるしか出来なかった。 (俺が先生の為に出来る事って、本当に何もないんだな)と、思うと同時に、関谷先生が言っていた事を思い出しては(やっぱり覚えてて欲しい)と、思った。 先生がこうなった理由が俺にあるなら・・・なんて、自惚れるにも程がある。もし仮にそうだとしても、忘れていてもいいなんて、本気で思う訳がない。 (俺の事、覚えていて欲しいに決まってる) だけどそれは、俺の願望であって、先生がそれを望んでいるかは解らない。もしかしたら先生は、目を開ける事すら、嫌だと思っているかも知れない。 「もし先生がそう思ってるなら、なかなか目を開けないだろうな・・・先生、そういうとこ意外と頑固だし」と、思わず呟いてから気付いた。 (あ〜だから、すぐこういう風に、思ったことを口にするから、ダメなんだよな。でもな〜先生相手だとつい、思った事を言っちゃうんだよな。俺の事を知って欲しいし、先生の事が知りたいから) カウンセリングだから、思った事や気付いた事は話してくれていいと言われた。だからといって、何でもかんでも言っていい訳ではない。特にプライバシーに関わる事は。 俺の事ならいざ知らず、先生のプライバシーに干渉するのは間違いだ。好きだから知りたかったなんて、そんな身勝手な理由は許されないだろう。そんなの、何の言い訳にもならないだろう。 (俺ってば、先生の優しさに甘え過ぎだよな) しかも・・・先生の過去を知らなかったとはいえ、そういう事を無意識に、無神経に言ったりしていたんだと思うと、先生に「先生の事が好き」だなんて、言う資格すらないような気持ちになる。 誰かを好きになる事に、資格だとか必要ないとは思う。だけど、何故かそう思ってしまった。もしかしたら、そう思う事すら、おこがましいのかも知れない。 (先生の事、好きになってごめんね。いっぱい傷付けて、ごめんなさい) そんな事を考えていたら、病室のドアがノックされて、朝食を持った関谷先生が入って来た。その後ろから、副院長先生と看護師さんも入って来た。 副院長先生は、俺が灯里先生のベッドの所でその手を握っているのに気付いて、ちょっと驚いたような顔をした。 「本條さん、おはようございます」と、少し眠そうな顔をして関谷先生が言った。 「おはようございます」 「その様子だと、寝てないでしょ?」 「あ〜その、うとうと程度で・・・」 俺がそう言うと、先生は「寝ないとダメですよ」と言ってから、朝食を指差しながら「少しは食べて下さいね」と言った。 「はい・・・」 点滴を取り替えた看護師さんが病室を出て行くと、先生がいつもの砕けた感じで話し出した。 「きちんと寝て食べてないってコイツが知ったら、怒られるのは本條さんだけじゃなく、俺まで怒られちゃうからね」 「お前が怒られるのは当たり前だろう。患者さんに灯里の面倒を看させるなんて、灯里じゃなくても怒りたくなる」 「もう怒ってんじゃん」 そうふざけた感じで先生が言うと、副院長先生が眉間に皺を寄せて言うので、喧嘩になるのかとハラハラしてしまった。 「違います、俺が関谷先生にお願いしたんです。だからその・・・怒るのも怒られるのも、関谷先生じゃなく俺にして下さい」 「本條さんって本当に、素直で良い子だよね」 「お前も見習え」 副院長先生が関谷先生にそう言うと、俺を見て更に言う。 「本條さん。灯里がこの愚弟を怒るのは、医者として至極真っ当な事です。それともし、灯里が貴方を怒るとしたら、貴方の身体を心配しているからです。それもまた、医者として当たり前の事です」 「本当にすみませんでした。朝食を食べたら少し寝ます。俺も灯里先生に、怒られたくありませんから」 俺がそう言うと、副院長先生が「そうして下さい」と言った。 「俺もそれがいいと思う。短時間でも休んだ方が、身体に掛かる負担も違うしね。それに、コイツが本気で怒ったら、本っ当に怖いから。なぁ、兄貴?」 「嫁さんと母さんの次に、怒らせたくない相手だな」 そう言った副院長先生の顔は、まるで苦虫を噛み潰したようだった。その顔を見て(灯里先生が本気で怒ると、そんなに怖いのか・・・いや、確かに怖そうだけど)と思った。 「え〜と、その・・・副院長先生も、怒られた事があるんですか?」 「あ、あぁ、過去に何回かあります」と、気まずそうに答えた。それを見て、これ以上は触れない方がいいと思い、黙って食事を始めた。 すると「あっ、そうだ」と急に、関谷先生が思い出したように、食事中の俺に向かって笑顔で言う。 「本條さん。今日の夜までは兄貴が、本條さんとコイツの担当です。夜の回診の時にまた二人で来ます。それまでに、何かあったら兄貴に連絡して下さい」 「解りました。宜しくお願いします」 俺は口の中の食べ物を、急いで飲み込んで答えた。副院長先生も「此方こそ宜しくお願いします」と言った。そして、付け加えるように「ちゃんと休んで下さいね」と言った。 「はい、大丈夫です。これ食べ終えたら少し寝ます」 「約束ですよ〜」と言いながら、関谷先生が笑う。俺もつられて、笑いながら「約束します」と言った。 「では、また午後に来ます」 「俺は夜にまた来ますね」 副院長先生と関谷先生が、そう交互に言い残し、二人は病室を後にした。 (約束したけど、寝れるかな・・・)と、自信なげに思いながら、残りの食事に手を付けた。 暫くして食べ終えると、灯里先生の傍に行ってその顔を見詰めながら、先生の手を握って「怒られたくないから、隣で少し寝ますね」と、小さく呟いた。 そして、先生のベッドと並んで置いてある、自分のベッドに潜り込む。 (もし寝れなくても、目を瞑って横になってるだけでも、多少はマシかな?) そう思っていたのに、いつの間にか眠っていたらしい。ふと人の気配がして、そちらへと目を開けて見ると、看護師さんが先生の点滴を取り替えているところだった。 「あ、すいません。起こしちゃいましたね」 「大丈夫です。あの、今って何時ですか?」 「今は・・・夕方の4時半です」 「え、夕方?!」 夕方と聴いてビックリして、思わず大きな声を出してしまった。 「昼食を持ってきた時も、気持ちよさそうに寝ていたので、声は掛けずに、食事だけ置いておいたんです。夕食に影響しないようなら、今食べても大丈夫ですけど、どうしますか?」 俺はテーブルに置かれた、昼食を見ながら「影響しない程度に食べます」と言った。 「解りました。なら、食器はその時に回収します」 「お願いします」 点滴を取り替え終えた看護師さんは、そのまま病室を出て行った。その姿を黙って見送ってから、俺は自分のベッドから降りて、先生のベッドの傍に行って、その顔を覗き込んだ。 「先生、おはようございます。俺、ちゃんと寝れましたよ。こんな時間ですけど、これから少し昼食を食べます」 そう声を掛けて、俺はテーブルに置かれた昼食を食べ始めた。すると、テーブルの上に放置したままのスマホが、通知を告げるようにランプが点滅していた。 (そうだった。野崎さんからのメールに何も返信してなかった。これきっと催促のメール・・・だよな) そう思いながらスマホをロック解除をして、メール欄を見る。思った通りメールの相手の殆どが、野崎さんで残りはDMだった。 DMにざっと目を通してから、野崎さんからのメールに目を通す。昨日の続きのような内容のメールと、返信がない俺の体調を心配する内容のメールが殆どだった。 (本当に心配性なんだから)と思ったが、いつもならすぐに返信する俺が、今の今まで何も返信していないのだから、野崎さんじゃなくても心配するだろう。 (取り敢えず、体調は何ともないって返信して・・・よし。それと、退院か・・・どうしよう。俺の意思で退院出来るのは解ってるし、仕事だってある。そういうの全部解ってる。解ってるけど・・・) 退院する事に俺はどうしたらいいのか、どうしたいのか解らず、整理のつかない気持ちを持て余した。 (どうしたらいいのかは解ってるんだけど・・・) この際、先生の記憶の中から、俺の存在が消えていてもいい。だけど、先生がまだ目を開けてくれてないし、先生の声をまだ聴いてない。こんな状態の先生を残して退院したくない。 (でも、それは俺の我儘だよな。野崎さんだけじゃなく、事務所にも迷惑掛けちゃうし。だからって、このまま退院するのも嫌というか・・・したくない。せめて先生が目を開けて、先生の声を聴いてからがいい) 考えれば考える程、どうしたらいいのか解らなくなる。きっと、頭では解っていても、気持ちが追い付かないとはこういう事なのだろう。 (早く仕事も復帰したい。でも、先生を一人ここに残しておきたくはない。我儘なのは解ってるけど・・・) なんだか同じ事をずっと、延々と考えてる気がしてきた。しかも堂々巡りをしている所為か、なかなか答えに辿り着かない。 (誰かに相談したら、何か違うかな。でも誰に・・・そうだ、また関谷先生に相談したらいいんじゃないか?ん〜でも、関谷先生も大変そうだしな・・・どうしよう) そんな事を考えた所為か、気付いたら昼食に手を着けるのを忘れていた。半分しか減っていない昼食を、見ながら(でももう、こんな時間だし・・・って、もう少しで6時になるじゃん) と、我ながらビックリした。 (時間も忘れる程、考え事をしてたとか・・・。入院してからこういう事多くないか?前に先生が、悪い事じゃないけど、考え過ぎは良くないって言ってたのに。そうだ、先生は・・・) 俺は先生のベッドの傍に置いてある椅子に座って、再び先生の手を握った。その瞬間、本当に気の所為かも知れないけど、ほんの一瞬だけ、握り返されたような気がした。 (単なる身体の反射だと思うけど、ちゃんと此処に先生が居るんだなって実感する。でも意識がないのに、此処に居るって表現は、なんか変な気がする。こういう状態の時って、意識は何処にあるんだろう?) なんだか急にとてつもなく、先生自身が今何処に居るのかと、ふと不思議に疑問に思った。身体は間違いなく此処にある。だけど意識はない。 (う〜ん・・・こういう事も、専門に勉強というか、研究してる人も居るのかな?いや、居るだろうな) 考えるべき重要な事を忘れ、俺は自分でも全く、意味の解らない事を考え始めた。 「ねぇ先生・・・先生は今、何処に居るの?早く戻って来てよ。ねぇ、灯里先生・・・」 真っ暗闇だけど寒くはない。寒くはないけど、何故か人肌が恋しいというか、温もりが欲しいとは思う。こんな事を思うのも、きっと彼の事を考えていたからだろう。 考えないようにしようと思っても、考えてしまうのは、それだけ意識しているからだ。思い出さない方がいいのかも知れないと思ったのに、ふとした弾みで思い出そうとするのは、思い出したいという気持ちが強いから。 (本当に俺って矛盾だらけ。いや、俺に限らず誰しもが、矛盾を抱えて生きてる訳だけど・・・) 結局、自分がどうしたいのか解らずにいる。このまま此処にずっと居たいとも思う。でも彼に会いたいとも思う。 (俺ってこんなに優柔不断だっけ・・・違う。単に怖いからだ。いい加減、このトラウマとも決別したいな) 怖いから、踏み込めないし、踏み込ませない。今までの自分なら、この事を特に気にした事もない。トラウマを克服したいとも、思わなかっただろう。 (う〜ん・・・この心境の変化は、間違いなく彼の存在にあるんだろうな。きっと、後悔する覚悟で、会うしかないんだろうな) 後悔する覚悟でというのも、何ともおかしな言い方だと思う。それでも、そのくらいの気持ちがないとダメだと思った。 (会いたい気持ちが強いなら、怖いとか言ってられない。多分これを逃したら、俺は一生このままだ。別に幸せになりたいとか、そういうのじゃなく・・・) 自分でも上手く説明出来ない感情が、次々と溢れ出てくる。それでも、今の自分に出来る事、今の自分がやりたい事がそれだった。 幸せになりたくない訳じゃない。でも、今の自分にとっては、そんな事どうでもよかった。とにかく、自分の中で大きくなっていく、彼への気持ちや想いを、彼へ伝えたかった。 (逃げてばかりの俺とは決別するんだ)と、思った時だった。薄らと光が見えた気がした。 (此処に光?)そう、不思議に思いながらも、その光の方へと目を凝らした。すると、何かが聴こえる気がした。 (これは何処から聴こえて来るんだろう?しかも、いつもみたいに、複数の声じゃない・・・誰かが俺を呼んでるんだ・・・) そう思った時、耳元でハッキリと、俺を呼ぶ声が聴こえた。 「・・・灯里先生」 (この声は・・・)と思った瞬間、俺は目を開けた。 「本・・・條さん・・・?」 「先生・・・灯里先生!解りますか?此処は病院で、俺は本條青葉です!」 「うるさいですよ。此処が病院で、貴方が人気俳優の、本條青葉さんって事くらい解り・・・」 そこまで言って俺は、彼の顔を見て泣きそうに・・・いや、涙が溢れてしまった。 「先生、大丈夫ですか?どこか痛いんですか?今、関谷先生を呼びー」 「待っ・・・まだ呼ばないで下さい」そう言って俺は彼に抱き着いた。
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