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第3話
Action ― 2
一通りの問診が終わって、俺は関谷と二人でカウンセリングルームに居た。
お互い、それぞれに行った問診中の録音を聴きながら、黙々とカルテを作成していた。
「出来た〜!あ〜疲れた〜!」と大きい声で関谷が言う。
「この位で情けない」
「いやいや、考えもみろよ。今朝の一件から俺達ずっと働き詰めだぜ?」
(そう言われれば・・・)と思った。
「これで何事もなく帰れたら、幸せなんだがなぁ〜。今日に限って当直とは・・・医者になんてなるんじゃなかった」
「今更だろ。嫌なら開業医にでもなるんだな」
揶揄う様に言うと、関谷は膨れっ面をして言った。
「それはもっと嫌だね。それより灯里の方は終わったのか?」
「あ〜まぁ、終わった・・・かな」と言ったものの、何かスッキリしない。
「なんだ珍しい。何か気になる事でもあるのか?」
「ん〜、何か違和感があるんだよな」
俺がそう言うと、関谷は「俺の方はこんな感じだな」と言って、野崎というマネージャーから見聴きした診断書を俺に渡した。
「まぁ、外からの所見から判断するに、精神疾患ではない」
そう言い切った関谷に、俺はその診断書を見ながら「そうだろうな」と言って、自分の書いた診断書を関谷に渡しながら、話を続けた。
「現段階で目立った所見としては、不眠症に摂食障害と言った所だな。ただ、こういった職業柄、プライドが高い上に、例え自覚症状があっても、自分でどうにかなると思い込んで、最悪取り返しのつかない状況になる人間が多い。でも彼はこうして、言われるままに診察を受け、入院も承諾している」
「確かに。いくら公にしないとはいえ、芸能人ともなれば、この手の病院は避けたいと考えるのに、そうじゃないしな」
関谷は腕を組んだまま、大きく頷きながら言った。
「それだけじゃない。俺は演技される事も想定して話をしていたが、彼は答えられる事はきちんと答えていた。それこそ、馬鹿正直にな」
普通の患者でも、最初は警戒心から本心は決して明かさない人間が多い。たまに、自分からアレコレと話す人間もいるけれど。
「それって・・・」と呟いて、関谷は院内用の携帯を取り出した。そこには、野崎マネージャーとの会話が録音されている。
俺の携帯には、本條青葉との会話が録音されている。
「灯里はこっちを聴いてみろ。俺は本條青葉の方を聴いてみる」
俺は、関谷の携帯と自分が携帯を交換して、野崎マネージャーとの話の内容を聴く事にした。
最初は当たり障りのない会話。続いて、本條青葉の異変について。俺は会話を聴いてるうちに、段々と気が重くなってきた。
(この野崎って人、本條青葉信者か?ひたすら、青葉くん青葉くんて言って・・・。いくらマネージャーだからって、主語の殆どが青葉くんてどうなんだよ。しかもめちゃくちゃ褒めるじゃん。これ、マジで本心から言ってんなら、ちょっと・・・いや、かなり引くな)
そう思いながらも、幾つか気になる箇所があったので、巻き戻しをしながら、メモを取った。
最後まで聴き終わる頃には、正直ウンザリしていた。
「どうだった?」と声を掛けられ、関谷の顔を見ると、どことなく楽しそうな顔をしていた。
「俺には、この人の方が疾患がある様に思えてきた」
「言うと思った。まぁ、俺もそう思ったけどな。でもこれがこの人の仕事なんだろうから、仕方ないかって気もした」
「それにしちゃあ、過保護過ぎるだろ。相手はもう、成人してる大人だぞ」
俺がそう言うと、関谷は腕を組んで「俺には何となく解るけどな」と言った。
「例え相手が成人していようが、立派に働いていようが、心配はするし、何かあったら助けたいって思うだろ」
「お前も過保護だもんな」と、茶化して言うと、関谷は「お前だからだろう」と言った。
少し怒った様な関谷の言葉に、俺は何も言い返せずにいたら、お互い無言になってしまった。
その沈黙を先に破ったのは、関谷だった。こういう時決まって、何も言い返せなくなる俺を気遣う様に、関谷は沈黙を破る。
「それで、灯里は何が気になったんだ?」
「あ、え〜と、最初はこの辺かな・・・」と言って、携帯を音量をスピーカーにして流した。
ー本條さんがカウンセリングを受ける事に対して、何か思う事はありますか?
『青葉くんは、良くも悪くも嘘が吐けないんです。だから逆に、話している事を疑われないか気になります』
ー普通は隠したり、嘘を吐きますよ。しかも本條さんは俳優さんですからね。演技をする可能性だってあー
『青葉くんは、そんな事しません!あ、すみません・・・』
ー大丈夫です。野崎さんから見て、少なくとも本條さんは、そういう人間ではないという事ですね?
『そう思うのは、私だけではないと思います。確かに多少の隠し事はすると思います。場を和ませる為に冗談も言います。でもそれは、青葉くんなりの気遣いです。ご家族は当然ながら、我々や現場のスタッフ、共演する方達にも、青葉くんは滅多に隠し事や嘘を吐きません。相手が誰であれ、いつも素のままで接しています』
俺はここで一旦、再生を止めた。そして、関谷に「さっき言いかけたのってこの事だろ?」と聞いた。
「そう。野崎さんも、灯里と似た様な事を言ってる」
「この人が言うと「うちの子の言う事を信じて下さい」って感じに聴こえるけどな。けどこれで、本條青葉は馬鹿正直な人間だと確信したよ」
今時、こんな馬鹿正直に、世の中を生きていられる人間が存在する事の方が、俺には信じられなかった。
なんせ人間は、隠し事は当たり前にするし、嘘だって平気で吐く生き物だ。
「天然記念物かよ」そうボソッと言うと、関谷が笑いながら「確かに珍しいよな」と言った。そして続けて「他にも何かあるのか?」と聞かれ、俺は再び携帯を弄り出した。
「この辺だったかな・・・」と、再生ボタンを押した。
ーこれだけの信頼とキャリアがあると、そうそうスランプになったり、こうしてストレスが溜まる事も少ないと思うんですが?
『そうですね、殆どありません。というか、私が気付かなかっただけかも知れませんが』
ー何か心当たりはありますか?
『心当たりというか・・・スランプと言えるか解りませんが・・・。数ヶ月前に少しだけ、落ち込んでいる様に見えた時がありました』
俺はここで一時停止を押して、関谷の方を見て言った。
「この数ヶ月前って言うのが、本條青葉から聴いた、自覚症状が出始めた頃とそんなに間が開いてないんだよ」
「つまり・・・野崎さんから見て、落ち込んでいる様に見えたって頃から、少しづつ異変が生じたって事か」
「そう。それでこの後・・・ほんの少し早送りして・・・ここかな?」
ーその監督の一言が、本條さんにダメージを与えたと?
『それしか他に思い当たらないんですよ。それから暫くの間、少し悩む姿が見られる様になりましたし。でも監督の仰りたい事もその・・・解らなくもないと言いますか・・・』
ー僕は一介の医師なのでピンと来ないんですけど・・・色気が足りないという事はないんじゃないですかね。確かその手の雑誌の特集等にも出てましたよね?
『映画と雑誌とはまた違うんですよ。映画は役になりきって演じますけど、雑誌は見せ方で演じるんです。動きのあるなしでは、全く違います』
ーなるほど。でも実際、見た目も含めてこれだけの人気ですし・・・下世話な言い方をするなら、恋愛するにも困らないでしょう。そっちの経験だって豊富なのではないですか?
『青葉くん、実は恋愛経験がないんです。なのでその・・・そっちの経験も・・・』
そこでまた俺は停止ボタンを押した。
「あ、ここな。これは灯里じゃなくても、言いたい事は解る。これだろ?」
そう言って、関谷は俺の携帯を早送りすると、目当ての所で再生ボタンを押した。
ー最後に性欲処理をしたのっていつですか?
『せっ、性欲処理・・・ですか?えっと・・・覚えてないです。その、俺・・・付き合ってる相手いませんから』
ー俳優さんですから、スクープになっても困るでしょうけどね。でもお相手がいなくても、自慰行為くらいはするでしょう?
『じ、自慰行為は・・・何回かはした事あります・・・あまりした事ないですけど・・・』
ーえ”っ?あ、すいません。では、そういう気分になったりはしないんですか?
『そういう気分?』
ーん〜、単刀直入に聞きます。欲求不満になったり、セックスしたいとは思わないんですか?
『そう言われてみると・・・あまり思った事ないですね。そもそも恋愛経験がないんです。だからそういう事が、よく解らないというかその・・・』
そこで関谷が停止ボタンを押して、笑いを堪えながら言う。
「これってつまり、童貞って事だろ?つーかこれ、最後わざと質問しただろ?」
「最初は普通の事だよ。それがストレスになったり、逆にストレス発散になるんだから、聞いておかないとな。いやまぁ・・・確かに、最後は余計な事だったけど」
「いやいや、もしこれが灯里じゃなくて俺でも、聞いてたかも知れないけどさ」と言って、関谷はとうとう声を出して笑い始めた。
「結局の所、俺としてはこれが無自覚症状だと思ってる。野崎マネージャーの話とも合うしな」
「これが原因って・・・童貞で経験不足による事がストレス?いまどき童貞だっていいだろう?」
「そうは言っても、常に周囲の期待に応えなきゃならないって、意識があるからこそ、何気ない一言にも敏感になるんだろう」
俺にはよく解らない世界だけど、どんな職業に就いていようが、プロ意識やプライドが高ければ、無意識にストレスが溜まる。
「イケメン俳優のクセに面白過ぎる」
「それだけ真面目なんだよ」と言って、俺は片付けを始めた。
「なぁ、灯里。原因て言う割りにこの部分だけ、随分と簡略じゃないか?」
「そこは細かく書く必要ないだろ。それこそ人権侵害だ」
「優しいじゃん。俺には冷たいのにな」
そう言いながら、関谷も片付けを始める。
「俺は患者にしか優しくしないんだよ。じゃあ、俺は帰るから」とドアに手を掛けた時、背後から関谷が言う。
「遊ぶのは勝手だけど、選ぶ相手は間違えんなよ」
「なんだそれ」そう言って振り返ると、関谷が心配そうな顔をして「変な男に引っ掛かるなよって言ってんの」と言った。
俺はドアを開けながら「これでも、見る目は確かなんだよ」と言って、カウンセリングルームを後にした。
俺はロッカールームへ行き、私服に着替えると、スマホと私物の荷物を持って、職員用の出入口から外に出た。
スマホの電源を入れると、明るく照らし出された画面には、メールやSNSからの通知を告げる一覧が並んでいた。
(そっか今日は月曜日か、週明けは人が来ないからな・・・)と思いながら、ロックを解除して、一つ一つその内容を確認していく。
メールの殆どが思った通り、馴染みの店からの呑みの誘いと、数人のセフレからの誘いだった。
(ん〜どうするかな。無性にそういう気分だけど。とりあえず、コイツはないな。でもこの人も・・・何か気分じゃないしな〜)てな事を考えながら歩いていたら、横断歩道の信号が赤になってしまった。
信号が変わるまでの間、あれこれ悩んでから、信号が青に変わった瞬間、俺は(適当な相手でも探すか)と、いつもの店まで歩き始めた。
「あっ、ぅんっ・・・」
「ここがいいのかな?」そう言って男は、バックから更に奥を突いてくる。
「ぁん・・・はっ・・・」
「自分から腰振ってるよ。乳首も敏感で可愛いね」
(煩いな。俺が動かないと、悦いトコに当たらないんだよ)と、心の中で悪態を吐いた。実際、今日の相手は期待に反してハズレだった。
「あっ、ん”っ・・・もっと、突いて・・・」
「いいよ。でもあんまり激しいと、俺イっちゃうかも・・・」
そう言いながら相手は、頑張って腰を振った。
(下手な上に早漏かよ。これなら玩具の方がマシだな)と思いながら、自分で前も擦り始めた。
「いいよ、イっても・・・俺もイきそうだ・・・から・・・」
「そんなに締め付けられたら・・・イくっ・・・」
「ん”・・・っ」
なんとか相手のタイミングで、自分もイけたが、白け過ぎて早々に帰りたいと思った。
「俺、シャワー浴びてくる」と、言って俺はバスルームへ行った。
シャワーを浴びながら(マジでハズレだったな。あの早漏野郎、自分で言うほど経験ないだろ。もし次誘われても断ろ)等と考えていた。
案の定バスルームから着替えて部屋に戻ると、相手の男は「連絡先教えて」と言ってきた。
「あ〜悪いけど俺、同じ人と次はないんだよね」と言い、鞄から財布を取り出して「はい、これ俺の分。じゃあね」と言って部屋から出た。
ホテルから出て時計を見ると、ギリギリ終電に間に合う事に気付いて、急いで駅に向かい、最終電車に乗り込んだ。
電車の窓に写った、自分の顔の向こうに見え隠れする街の灯りをボンヤリと眺めた。
セックスは好きだ。良い事も悪い事も、難しい事も、何も考えなくて済む。一時的でも、その快楽に身を委ねていればいい。
でもどんなに身体の相性が良くて気持ち良くても、どうしても足りないと思ってしまう。その埋まらない心の隙間がもどかしい。
ふと車内の中吊り広告に目を向けた。そこには新商品なのだろう、スポーツドリンクを持って微笑む、本條青葉がデカデカと写っていた。
(そういえば芸能人だったっけ・・・)と思っていたら、近くに居たOLらしき女性二人が、その広告を見ながらはしゃいでいる。
「はぁ~眼福。このポスター欲しいな~」
「青葉って彼女いるのかな?」
「そういえば、その手の噂とか話って聴いた事ないよね」
「事務所が上手く隠してるだけでしょ」
「でもさぁ・・・」と、本條青葉について話に華を咲かせている。
(なるほど・・・世間からはこんな風に思わてる訳か)と思った。盗み聞きをする気はなかったが、近くで話をされると嫌でも耳に入ってきてしまう。
芸能人ともなれば、やはりイメージが最優先なのだろう。そしてそのイメージを壊さないように、細心の注意を払って生きていかない。そんな世界で生きていくのは、生き難くはないのだろうか。
今日初めて彼の存在を知り、簡単な問診をした。結果的に彼は、バカ正直で素直で真面目で、良くも悪くも純粋だと思った。
だからこそ、こういう世界で生きていくのは、向いてないんじゃないかとも思った。
偏見かも知れないが、芸能界は皆が皆、足の引っ張り合いで、中には身体を使ってまで、上にのし上がろうとする奴もいる筈だ。
(よく今まで、染み一つ付けず、傷一つ付けずに生き残ってきたな)
車内アナウンスが流れて、降りる駅に着いた事に気付いた。降りる間際に、女性二人がまだ彼について話している。
「もうほんと一回でいいから抱かれたい」
「一般人なんか相手にしてくれないって」
そう話ながら笑っている。俺は二人の会話を後に、ホームへと降り立った。
駅から自宅マンションまでの数分を、歩きながらさっきの女性達の会話を反芻していた。
自宅に着くと、ポストから持ってきた手紙をテーブルの上に投げる。荷物を置いて、着替えると、そのままベッドに寝転がった。
俺が今日会った本條青葉と、世間から見た本條青葉との違いに、改めて本條青葉という人物について考えてみる。
(確か子供の頃から芸能界にいて、子役の頃から大人顔負けの演技力があって、今や押しも押されぬトップスター・・・ね)
そういえば、本人も「この仕事が本当に大好きで、天職だと思ってます」だとか、言ってた覚えがある。
真っ直ぐに、穢れを知らない純粋さで、真面目に答えていた。それを聴いた時、俺には何かが引っ掛かった。
(ん〜何か違和感・・・え〜と、こういうのなんて言うんだっけ?ん〜喉まで出かかってるのに・・・出てこない・・・)
ベッドに寝転がっている所為か、段々と眠気が襲って来て、思考が上手く働かない。その事を思い出すより先に、違う事が頭を過ぎった。
(実は年齢=彼女いない歴で、あの顔であの歳で童貞って・・・おもしろぃ・・・)と、薄れゆく意識の狭間でそう思った。
「昨日から入院している、本條青葉さんの治療方針についてですが・・・簡易的ではありますが、僕と元宮先生が作成した治療計画書を読んで下さい」
関谷がそういうと、この会議室に集まった、医院長を始め、看護師長や主任スタッフが、一斉に治療計画書を読み出した。
「体力の回復を優先。食事と睡眠の習慣性が身に付き次第、退院可能・・・。これを読む限り、重症ではないという事だね?」
「はい」と俺が答えると、別の疑問が上がった。
「職業柄、今ここで習慣性を身に付けても、また元の生活に戻ってしまいませんか?」
「俺もそう思います。ですが、本條さんにとっては、仕事が出来ないのもストレスになり、長期入院は逆効果になると思ってます」
「僕も元宮先生と同じ考えです。重い精神疾患は見当たりません。ですから所見欄にも、軽度の鬱と書きました」
俺は心の中で(それしか書きようがないんだよな)と思った。
「元宮先生の所見には、摂食障害と不眠症と書いてありますが?」
「あぁ、これからの経過にもよりますが、恐らくその二つが原因で、鬱の様な状態になっているんだと思ったんです。どちらかというと、鬱から発生したのではなく、この二つから鬱が発生したように思えたんです」
(本当の原因は違う所にあるんだけどな)と思いっていると、また誰かが言った。
「そうなった原因も、また何かあるんですよね?」
「あると思います。ただ、昨日の段階ではまだ、そこまでの診察が出来ませんでした。カウンセリングの有無もまだ、本人に確認していません」
昨日は結局、そこまでの診察が出来ず、早々に引き上げてしまった。カウンセリングに対して、少し懐疑的だったから、了承するかは解らない。
「てな訳で、僕と元宮先生・・・と言っても、主に元宮先生を中心に、治療を進めたいと思います。あと、本條さんは芸能人なので、噂好きな女性スタッフには、くれぐれも口を固くする様に伝えて下さいね」
関谷が言うと、看護師長を含めたスタッフ達が笑った。
「では他に、何もなければこれで終わりにしたいと思います」
関谷がそう言うと、皆が一斉に立ち上がって、それぞれが会議室を後にした。
俺も皆に続いて会議室を出て、廊下を歩いていた。そして、歩きながら今日の予定を、頭の中で確認する。
(今日は朝イチで本條青葉の診察に行って、回診して・・・午後は外来が三とカウンセリングが二
。まぁ、何事もなければ今日はのんびり出来るな)
本條青葉の病室に行く前に、ナースステーションに立ち寄る。
「あぁ、本條さんなら今朝は少しだけ、ゼリー飲料を半分ほど口にしてましたね。点滴は続けてます」
女性の中堅看護師がそう言うと、俺は立て続けに聞いた。
「睡眠の方は?薬はちゃんと飲んだよね?」
「あ、それは俺の目の前で飲んだので、大丈夫です。でも夜中の見回りで覗いた時、本條さん「なかなか寝付けない」と言ってましたね」
「薬飲んだからって、すぐに良くなる訳じゃないからな。他に変わった様子は?」
「特にないですね」と二人が言ったので、俺は「了解」と言って、本條青葉の病室へと向かった。
病室のドアをノックして、中へ入ると「あ、元宮先生。おはようございます」と、元気な声が飛んできた。
落ち着いているがよく通る声。だが不思議と煩いとは感じられなかった。
(昨日はあまり意識してなかったけど、この手の声好きかも)と仕事中にも関わらず、邪念が働いてしまったのは、昨夜の消化不良の所為だろう。
「おはようございます、本條さん。朝早くからすみません」
「大丈夫ですよ」と本條青葉は、満面の笑みで返事をする。俺は思わず(キラキラし過ぎだろ)と思った。
「昨夜はあまり眠れなかったようですね」
「あ、はい・・・。薬も飲んだのに・・・」と、そう言って俯いた。
「まぁ、入院初日でしたしね。慣れるまでは皆さん、大体そういうものです」
俺が言うと、本條青葉は安心したかの様に「そうですか」と言って、顔を上げた。
「それで・・・早速で申し訳ないんですが、治療にも影響するので、一点だけ確認したおきたい事があります」
「なんですか?」
「本條さんは、カウンセリングを希望しますか?前にも言いましたけど、強制ではありません。治療自体は普通の診察だけでも充分です。ですがもし必要なら、治療計画の中に組み込みたいので、こうしてお伺いしてます」
俺がそう言うと、彼は暫く考え込んだ。
(そりゃすぐ判断出来ないよな)と思い、俺は助け舟を出すつもりで、付け加えるように言った。
「入院したばかりですから、返事は今すぐじゃなくてもいいですよ」
「あの、カウンセリングは元宮先生がするんですよね?」
「そうです。カウンセリングを行う医師はもう一人いますが、一応、俺が本條さんの担当医なのー」
「あ、俺は元宮先生にお願いしたいです。カウンセリングを受けるなら、元宮先生がいいです」
本條青葉は、俺の言葉に被せる様にそう言って、再び満面の笑みを浮かべた。
(だからキラキラし過ぎだってば)と、再び心の中で呟いた。
「では、カウンセリングを行うという事で、宜しいですね?」
「はい。お願いします」
「カウンセリングは、心のリハビリだと思って下さい。あくまでも、治療自体は薬が主になります」
俺はそう言いながら、持っていたクリアファイルから、書類一式を取り出し、本條青葉に渡した。
「それによく目を通しておいて下さい。注意事項も書いてありますから。読み終わったら、最後に同意書があるので、そこに署名と捺印をして、医師か看護師に渡して下さい」
俺がそう言うとまたしても、満面の笑顔で「解りました」と言った。
俺は本條青葉の病室から出ると、大きく溜息を吐いた。
昨夜の女性達ではないが、確かにあんな風に笑顔を向けられたら、例え相手が異性であっても、同性であってもドキッとしてしまうだろう。
(いや、ドキってなんだよ・・・)と思いながら、回診に行く為に廊下を歩き始めた。
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