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第4話
Karte ― 2
本條青葉の、二回目のカウンセリングを行う日がきた。
先週、入院した翌日の朝の回診で、彼はカウンセリングを快諾した。意外に思ったが、本人が望むなら却下する理由はない。
ーそれでは始めます。前回と同じように、答えたくない事には、無理に答える必要はありません。
「解りました」
ーえ~と、あれから何かご自分で気付いた事や、思った事はありますか?
「原因になる様な事ですよね?」
ーそうですね。でもそれ以外の事でも良いですよ。自分自身についてとか。過去、現在、未来の事でも、例えば・・・今日はよく眠れたとか、そんな些細な事でも良いんです。
「あ、前よりは眠れてる気はします。って言っても、時間にするとそうでもないんですけど」
ー体感としてそう思えるのは、良い傾向だと思います。他にはありますか?
「食事が食べれるようになった事が、嬉しいです」
本人の希望もあって、今週の初めから特別食を配膳する事になった。
特別食とは、お粥を主食とした、胃に優しく消化に良い副菜を加え、全体の量を少なくした物だ。
それでも最初は完食出来ずにいたが、回数を重ねる事に、完食する回数も増えた。
(若いだけあって、回復も早いな。もう少し増やしても良いかもな・・・)と考えていたら、本人が「もう少し量を増やして貰えないですか?」と言ってきた。
「無理してませんか?」
「いや、違います。単に、物足りない気がする事があるので・・・」
「ん〜そうだな。でも普通食はまだ早いので、今と同じ特別食で、量を増やす様に伝えておきます。あと、無理に全部食べようとしないで下さいね」
「解ってます」
ーでは続けます。眠れるようになった気がする、食べれるようになった気がする。それらの体感は、良い傾向と言えます。ご自身としてはどう思いますか?
「良い傾向ですか?でも自分では、もっとちゃんと寝て、食べたりしないとダメだと思ってるんですけど・・・」
ーそれは最終目標です。でもご自身が今、そう思っている事は全て、前向きな思考ですよね?俺はその気持ちが大切だと思います。
「そうなんですか?」
「そうですよ。中には出来なかった事に対して、悲観的になってしまい、結果的に症状が悪化するケースもあります」
「そういえば昔からよく、ポジティブ思考だとか、悩みとかなさそうなんて、言われてました」
ーでは、そういった周りからの声を聴いて、どう思いました?
「まぁ、そうだなって思ってましたよ。基本的に、難しい事をあれこれ考えるのは苦手でしたから。でも仕事の事は、いつもちゃんと考えてます」
(それが原因だとは思わないのか)と思った俺は、ちょっと話の方向を変えてみる事にした。
ー前回あまり、仕事の話を聴けなかったんですが、今日は少し仕事の話を聴かせて貰っても良いですか?
「良いですよ」
ー子供の頃から、俳優の仕事をしてるそうですが、今日まで続けてきた理由は何ですか?
「なんだかカウンセリングというより、雑誌のインタビューみたいですね」
「あ、そうなんですね。こういう質問はよくあるんですか?」
「ありますよ。どのインタビューでも最初はそれを聞かれるんです。同じ雑誌や出版社だと、次からは違う内容になりますけどね。映画やドラマなんかの宣伝も兼ねていたりしますから。それに毎回同じ内容じゃあ、聞く人達も読む人達も飽きますから」
「へ〜なるほど。記者の方達も色々考えているんですね」
「先生だって、患者さんに同じ質問ばかりしないですよね?」
「言われてみればそうかも。でも普通の回診だと、決まった事しか聞かないですけどね」
彼の問い掛けに、そう感心したものの、回診の時の事を思い出したら、思わず可笑しくなって笑ってしまった。
「あっ!やっと笑ってくれた」と、急に大きな声で言ったので、ビックリしてしまった。
「え、あぁ・・・俺だって、面白ければ笑いますよ」
「あ~残念、また元に戻っちゃった」
「揶揄うのはやめてくれませんか」
「違います、揶揄ってないです。俺いつもそこの窓から外を見てるんですけど・・・」
必死に訂正しながら、窓の方を指さしながら言う。
「先生がたまに、他の患者さんと楽しそうに話してるのを見掛けるんです」
「まぁ、それも仕事ですから」そう俺が言うと、待ってましたといわんばかりに言った。
「それです。仕事でもいいから、俺にも笑い掛けて欲しいなって、いつも思ってました」
「はぁ?」とつい素が出てしまって、慌てて口を押さえた。
「あ、それ。それも良いな〜って思ってました」
(それってどれだよ)と思いながら、俺は彼の発言の意図が解らず、言葉が出てこなくて無言になってしまった。
「先生って・・・あ、そういえば。先生、他の患者さんやスタッフさんに「あかり先生」って呼ばれてますよね?」
「そうですね。一部の方達は、俺の事を下の名前で呼びます。それが何か・・・?」
実際下の名前で呼ぶのは、本当に一部の患者達と、一部のスタッフ達だけだ。
(院内だと他に・・・あ、購買のおばちゃんが何故か「あかりちゃん」て呼ぶな。後は関谷と、関谷兄しかいない・・・でも仕事中は、下の名前では呼ばないしな)
そんな事を考えていたら「あかりって、どんな字を書くんですか?」と、声を掛けられて我に返った。
「灯に里であかりですけど」
「俺も先生の事、灯里先生って呼んでも良いですか?」
唐突な申し出にちょっと躊躇ったが、他の患者達やスタッフ達がそう呼んでいるのに、嫌ともダメとも言えない。
「良いですよ」と、溜息混じりにそう答えると、満面の笑みで「やった〜」と、子供の様に喜んだ。
(さっきから本当になんなんだ)と内心、呆れつつあった。俺は話が大幅に逸れている事に気付いて、話を戻そうとして話し始めた。
ー先程の質問に戻ります。ずっとこのお仕事をされている理由って、何かあるんですか?
「そうだった、話の途中でした。えっと・・・特に理由はないかな?強いてあげるなら単純に、楽しくて面白いのと、やり甲斐があるって事ですかね」
ー楽しくて面白い。でもやり甲斐がある分、それだけ大変なのではないですか?例えば、自分とは真逆な性格の役を演じないといけない時もあるでしょう?
「そうですね。そこは自分にない部分なので大変です。でもそういう役にこそ、やり甲斐を感じますね」
ーなるほど。それだけ真面目に仕事に取り組んでるという事ですね。
「好きですから」
ー小さい頃から俳優の仕事をしていて、今では大活躍してますけど、周囲から嫌な事を言われたり、僻まれたりしませんでした?
「ん〜、あると思いますけど・・・」
ー言いにくかったら言わなくても良いんですよ?
「いや、言いにくいんじゃなくて・・・なんて言えば良いんだろう?えっと・・・、自分では気付いてなくて、後から誰かに指摘されて気付くって感じ・・・かな。ごめんなさい、上手く説明出来なくて」
ー大丈夫ですよ。え〜と・・・相手が嫌味や僻みで言っている事に対して、それとは気付いていない。つまり本條さんは、そう捉えてないって感じですか?
「そんな感じかな〜。あまり覚えてないんですけど、小学生の高学年のくらいかな?その頃に、少し気にしていた気がします。でもその頃から、難しい事を考えるのは苦手だったし、そういう気持ちを引き摺るのも嫌だったから、気にしないというか、気にしないようにしてました」
「ん?それだと、相手の悪意には気付いていたし、そう捉えていたとなりますけど?」
「あぁ・・・そうか。ん〜気付いたら、そういう事は気にしない様にしていたから・・・」
そう言って、彼は口元に指を当てながら、何かを考えていた。
俺はさっきからの会話と、その仕草から『本條青葉の中の本当の本條青葉』を垣間見た気がした。
(矛盾しているんだ。いや・・・これが、無意識に抑え付け続けた結果だな。言い換えるなら、自分なりに自己防衛策を作り出して、身に付けたんだろう)
「ん〜確かに、そう言われてみるとそうなのかも知れない。気付いていたけど、あまり深く難しく考えないように、ってしてただけなのかも」
(無意識ゆえの無自覚か・・・)
ーじゃあ難しくない話にしましょうか・・・何が良いですかね・・・。
「あ、それなら俺が灯里先生に質問したいです」
「いつもの逆ですね」
「そうです。先生だけが俺の事だけ知ってるのは、フェアじゃないでしょ?」
「一応これ診察の一環なので、フェアとかそういう問題じゃないです。それに、患者さんにあまり、プライベートな話はしない事にしてるんです。すいません」
「やっぱりダメか〜」
「でもそうだな・・・まぁ、答えられる範囲で良ければ答えます」
(また変な流れになったな。まぁ・・・適当に答えればいいか)と思った。
それに、質問の内容次第では、彼が今何を考え、何を感じているのかが解るかも知れないとも思った。
「やった!あ、嘘でもいいですよ。それが嘘か本当かは、俺には解らないですから」
(何だそれ。それって質問する意味あるか?)と思ったが、とりあえず付き合ってみる事にした。
ーえっと、じゃあ・・・。灯里先生がこの仕事を選んだ切っ掛けって何ですか?
「特に切っ掛けがあった訳じゃないです。単純に人間の身体で、目にも写真にも映らない部分だから、その解らないって部分を知りたかっただけですかね」
「確かに、心の中はレントゲンでも見えませんもんね。じゃあ次の質問します」
「どうぞ」
ーありきたりなんですけど、趣味ってなんですか?
「答えもありきたりですけど、読書と・・・」そう言った瞬間、被せるように「なんか難しそうな本ばっかり読んでそう」と言った。
「そんな事ないです。普通に漫画も読みますよ」
「それはそれで意外だな~。あ、読書以外にも趣味ってありますか?」
「料理ですね」と言うと、今度は凄い勢いで身を乗り出して「灯里先生が料理?!」と言った。
「ずっと一人暮らしなので、自然と自炊の習慣が身に付いてしまったんです。その延長っていうか・・・今では、料理をする事が気分転換になってます」
「俺、灯里先生の料理食べてみたいです!」
「な"っ・・・いやいや。本條さんのような超有名な方に、振る舞う程の料理じゃないです」
「え~、食べてみたいな~」と、少し甘えるように言う。
(リップサービスにしては大袈裟・・・)と思ったが、元より彼は嘘を吐くタイプではない。
(ならこれも無自覚?だとしたら、これは一体なんなんだ)と思いながら、何気なく見遣った壁時計を見て(そろそろ時間だな)と思った。
「本條さん。申し訳ありませんが、そろそろ時間です」
「えっ、もう?」と言って、確かめるように時計を見る。
「楽しい時間って本当、あっという間だな。そうだ、灯里先生。カウンセリングって、週一でしか受けられないんですか?」
「必要なら二回までは可能ですけど、本條さんには必要ないと思いますよ」
彼の場合、本来なら月一で充分だ。そもそも入院患者でも、そう頻繁には行わない。
大抵は週一で、後は診察等で様子を診る。その時に異変などがあり、必要だと思えばその都度、カウンセリングの増減を行なう。
彼に関しては、彼の無自覚を自覚させる事が最優先事項だと判断した。それでも、週一で充分だと思う。
(でもいまここで週二を希望されたら、無下に断る事は出来ない)
俺がそう考えていると、思った通り「週二を希望したいです」と言い出した。
(わかり易いのか、わかり難いのかどっちなんだ)と、思わず呆れてしまった。
そして俺は小さく溜息を吐くと、苦し紛れに言った。
「本條さん、焦らなくてもいいんですよ?前にも焦るのは良くないと言いましたよね?」
「いえ、焦っている訳じゃなくて・・・」と、言葉を詰まらせる。
(なんだ?)と、首を傾げて彼を見る。
「俺、もっと灯里先生と話がしたくて・・・。だから週二にして欲しいんですけど・・・こんな理由じゃダメですか?」
予想外の言葉に、俺は思わず「はぁ?」と、再び素が出してしまった。それを誤魔化す様に軽く咳払いをし、気を取り直して言った。
「すいません。え〜と・・・まずは、スケジュール等の確認をしてから、返事をしてもいいですか?」
「期待してますね」と、彼は笑顔でそう言ったが、目の奥がなんとも妖しく光っていた。
(え、なんだ今の・・・)と一瞬、ゾクッとした悪寒の様なものを感じた。
普通ならそれを、目が笑っていないと言う所だが、瞬間に見せた彼のそれは、そういうのとはまた違う類の、何とも言い難い笑顔だった。
「そ、それじゃあ・・・俺は、次の患者さんが待っているので行きますね」
そう言って、椅子から立ち上がろうとしたその時、今度は真剣な目で「灯里先生。最後に一つだけ、質問してもいいですか?」と彼は言った。
「手短にお願いしますね」
ー恋人、もしくは好きな人はいますか?
「いません」
「あれ?関谷先生は・・・?」
「はい?なんで関谷?あ・・・えっと、どうしてここで関谷先生が出てくるんですか?」
(いや、ホントなんでここで関谷の名前が出てくるのか不思議なんだけど)
「二人を見ていたら、凄く仲が良いんだなって思ったんで、気になったから聞いてみました」
「あぁ・・・幼馴染なんです。付き合いが長い分、他の友人達よりは仲が良いかも知れません。気心が知れているという感じですかね。ですがそれ以前に、俺も関谷先生も男ですけど?」
「解ってます。あれ?先生はそういう事に、偏見があるんですか?」
(勘が鋭いのか、単なる興味なのか。大体にして、この質問の意図はなんだ?)
「偏見はないですよ。患者さんの中にも、自身の性そのものや、恋愛としての性指向について悩んでる方もいますから。あ、すいません。本当に次行かないとならないので、これで・・・」
「そうでした。今日もありがとうございました」そう言った彼は、いつもの屈託のない満面の笑みを浮かべていた。
病室から出た俺は深呼吸して、次の回診に向かうべく、廊下を歩き出した。
外来の診療時間外になって暫くすると、一階のエントランスや出入口、待合室には静けさが訪れる。
(関谷は診察室かスタッフルームか・・・)と考えながら、とりあえず関谷の診察室のドアをノックした。
「どうぞ〜」と、どこか間延びした声が返ってきた。
俺は中に入ると「まだ仕事してたのか?」と聞いた。
「あぁ、診断書。あと少しで終わるから、適当な座って待ってろ」
こっちを振り返る事もなく、関谷はそう言った。俺は言われた通り、傍にあった椅子に座った。
本條青葉のカウンセリングが終わった後、いくら切り替えても、ふとした瞬間に頭を過ぎるのは、意図の読めない言葉や質問の事ばかりだった。
(ん〜・・・どっちが本当の本條青葉なんだろうな)と考えていたら、関谷が伸びをしながら「終わった〜」と言った。
俺が「お疲れ」とだけ言うと、関谷は「何かあったのか?」と聞いてきた。
「大した事じゃないんだけど・・・」そう前置きをして、俺は話を続けた。
「本條青葉から、カウンセリングを週二にして欲しいって言われた」
「う〜ん・・・週二ねぇ。それで、灯里の見解としてはどうなんだ?」
「今の状態から判断すると、週一も必要ないのに、週二はもっと必要ないと思ってるんだけど・・・」と俺は、そこで言葉を濁した。
今日のカウンセリングで感じた矛盾や、彼の意図の読めない言動を、カルテを見せて話をした方がいいのか解らなかった。
(けど・・・説明のしようがないんだよな・・・)
「でも本人が希望してるなら、それなりの理由でもない限り拒否出来ないだろう?」
「だよな。それが理由で悪化しました、とか言われても困るしな」
「それより、肝心のスケジュールが組めるのかが問題じゃないのか?」
そう聞かれて、改めて予定表を見ながら答える。
「実はどこも埋まってるんだよ。ズラすにしても、今からじゃ遅い。だから休憩時間、残業、休み・・・のどれかを減らすしかないな」
そう告げると、関谷は苦笑いを浮かべながら言った。
「ちょっと元宮先生~。仕事熱心なのは結構ですけど、うちの病院はホワイトが売りなんで、ブラックな事するのやめて下さ~い」
「あははっ・・・ふざけるなよ。でも仕方ないだろ。それとも他になにか方法あるか?」
「う~ん、良い方法か・・・」そう言って、関谷は黙って考え込んでしまった。
「断る理由ならある。ありのまま正直に、スケジュールが組めないって言うか、週二にしても成果は見込めないって言うかだ」
「思ったんだけど、一回目は灯里が担当して、二回目は鈴木先生が担当するってのはダメなのか?」
「あ、それは考えてなかった」と言うと、関谷は訝しげに聞いてきた。
「というか・・・そもそも、どうして週二にしたいのか、っていう理由を聴いてないんだけど?」
その問い掛けに、俺は「俺ともっと話がしたいんだってさ」と、端的に小声で答えた。
「は?どういう・・・え?もしかして気に入られたの?まさか惚れられた?」
「いやいや、違うだろ。それはないだろ。っていうか俺は、二回のカウンセリングは納得してないから」
「だろうな。ただでさえ、週二は必要ないって言ってるんだから」
「けど・・・」と俺が言い淀んでると、すかさず関谷が「けど、なんだ?」と、子供をあやす様に、優しく聞いてくる。
無駄に付き合いが長いお陰で、俺の扱いには誰よりも長けている辺り(さすが関谷)とは思うが、子供扱いはいい加減やめて欲しい。
「今日のカウンセリングで、ちょっと気になったって言うか・・・変な引っ掛かりを感じたんだ。それの正体がなんなのか知りたい」
「気になった事って?」
「ん~、それを上手く説明出来ないんだよ。だから、カルテにもその事はまだ書いてないんだけどな」
俺はそう言いながら、関谷にカルテを渡した。そのカルテを受け取ると、読みながら関谷が「これが偽造カルテか〜」と、笑いながら言った。
「人聞きの悪い言い方するなよ。書いてある事はちゃんとした事実だ。でも、俺個人が気になった事については、まだ何とも言えないから・・・」
「なるほど。単に灯里自身が気になっただけで、病状として成立するのか解らないって事だな?」
「そう。だから確信が持てるまでは、カルテには書かないし、関谷以外に話すつもりもない」
「まぁその辺の事は、信用してるからいいとして。問題は、カウンセリングをどうするかだな」
関谷にそう聞かれて、再び頭を悩ませる。引っ掛かりの正体を探るには、週二にするしかない。でもそれには色々と問題がある。
(やっぱ休憩時間や休みを削るか、勤務時間の延長以外しかないよな・・・)
「灯里の事だから、週二にするとしたら、どうせさっき言ったみたいに、休みを減らすとか何だとか言い出すんだろ?」
「チッ・・・」
扱いに長けていると言うことは、思考パターンまで筒抜けになっているという事だ。
「そう怒るなって。灯里の気持ちも解るが、労働基準法は厳守だ」
「なら断るしかないな」
「でもそれだと、灯里が納得いかないんじゃないのか?」
納得するしないの問題ではないだろう。病院の方針である以上、それに反する事は出来ない。
しかも個人的に感じたあやふやな心象で、病院に迷惑は掛けられない。
「いや、断るからいいよ」そう俺が言うと、関谷は困り顔で言う。
「まぁ、向こうの言い分も私的な理由ではあるし、無茶ぶりとも言える。大体にして、灯里のスケジュールの都合がつかないんじゃ仕方ないな」
「今日ちょうど当直だから、回診の時にでも話してくる」
俺が腕時計を見ながら言うと、関谷が「それだっ!」と、急に大きな声で言った。
「うるさっ、急になんだよ」と睨みながら、俺は関谷の顔を見る。
関谷はドヤ顔で「当直の時間内に、カウンセリングするのはどうだ?」と言った。
「はぁ?当直中って、夜だぞ?下手したら夜中だ。寝ろって言ってる医者が、睡眠妨害してどうするんだよ」
「でも、当直日なら残業扱いにはならない。しかも休みを返上しての診察じゃないから、ちゃんと給料も出る。まぁ、週に二回はないし、休憩時間や急患が出た場合の調整は都度必要になるし、下手したらキャンセルになるけどな」
(なるほど。上手く遣り繰りすれば、確かに方針に反する事もないから、病院に迷惑は掛かんないな・・・)
「本條さんにもこの事を伝えて、それでも良いって言うなら、そうすればいいんじゃないかと思うぞ」
「解った、後で本人に打診してみる」
「医院長達には、俺から話しておくから」
「ありがと」そう言うと、関谷が「ん?今日の当直って、灯里じゃなかったよな?」と、思い出したかのように言った。
「あぁ、アイツなら体調が悪そうだったから代わったんだよ」
「灯里は大丈夫なのか?今日も朝からだったろ?」
「今日は割りと楽だったし、後で仮眠するから大丈夫だよ。じゃあ、お疲れ〜」
俺はそう言って関谷の診察室を出ると、今度はスタッフルームに行って、カルテの整理をしながら一休みする事にした。
それが終わると、今度はギリギリ開いてる食堂で夕食を食べる。出来たての夕飯を口に運びながら、気になっていた事を考えた。
(基本的に当直は変則的。予定していても、何かあればそっちが優先される。本人が希望する週二にならない事が多いけど、それでも了承するかな・・・)
だが、そんな懸念は必要なかったようだ。
夜の回診の時に、俺の事情を話して聴かせたら、本條青葉は嬉しそうに言った。
「少しでも話せる時間が増えるなら、俺はそれでも構いません」
「消灯前には終わらせるので、就寝時間に影響は出ないようにします」
「寝る前に灯里先生と話が出来たらし、ぐっすり良く寝れそうです」
(調子狂うな・・・本当になんなんだよ)と呆れつつも、本條青葉がこの条件を受け入れた事にひとまず安心した。
(これで俺が感じた引っ掛かりも、ハッキリするといいんだけど。でも・・・限られた時間じゃあ、そう上手くはいかないだろうな)
俺はそう思いながら、目の前で無邪気に笑っている彼を見て、複雑な気持ちになった。
(あ〜なんか、余計な事に首を突っ込んだ気がする。やっぱ断るべきだったか・・・)と、早くも後悔が押し寄せて来た。
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