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誰がサナギを殺すのか
「凜々花は天然だから」と言われるたびに、喉の辺りが酸っぱくなる。でも、空気を読めないのは事実だから、何も言えない。
「ね、昨日の『らぶレス』のキスシーン、ヤバくなかった?」
軽く身を乗り出して優愛ちゃんが尋ねると、すかさず新奈ちゃんが反応した。
「わかる。めっちゃキュンキュンした~」
優愛ちゃんが推している配信ドラマの話だ。話題のシーンは、大企業のイケメン社長が雨の中ずぶ濡れで主人公宅に押しかけ、玄関で無理やりキスをするというセクハラ案件。正直、胸キュンどころか胸クソ悪い展開だったけど、勿論そんなことは言えない。
「うん、面白かったよね。あの後、濡れた廊下を二人で拭いたのかな?」
「あ……、うん。かもね」
優愛ちゃんが真顔で答えた途端、急激に場の空気が冷めていった。新奈ちゃんと麻耶ちゃんが微妙な笑みを浮かべて目配せし合ってる。そうか。また間違えたみたいだ。
「あ、えっと、私が言いたかったのは……」
「いいからいいから。ほーんと、凜々花は天然だよね。それよりさぁ……」
次の話題に移って、再び賑やかになる。気まずくなるのは四人の中で私が話す時だけ。きっとみんなは「もっと空気読めよ」って思ってる。私もそう思ってる。
高校三年のこの時期は、いろいろと不安定になりやすいからかクラス替えが無い。春になってまた一から関係を築くよりは気楽で良いけど、たまにちょっとしんどくなる。集団の中で空気が読めないのは致命的な欠陥で、意思を同じくしない人間はどこに居ても気まずい思いをする。それをわかっているのに、どうして上手く振る舞えないんだろう。いっそ、「お前は病気だ」と言ってもらえれば楽になるのに。
なんとなくみんなから離れたくて、今日も適当な理由をつけて一緒に帰るのをやめた。
人工芝を敷いた屋上は遊歩道があり、まるで小洒落た庭のよう。転落防止用のバカ高いフェンスが無ければ、この庭園ごと空中に浮いてると錯覚していたかもしれない。外周を囲う花壇や木陰を作る木々、菜園などの管理をしているのは、たまに来る業者と美化委員だ。
「水沢君! サナギ見せて!」
「……なに、また来たの」
同じ学年の水沢悟志君が呆れ顔で言った。花壇の草むしりをしていた手を止め、黒縁眼鏡のレンズをタオルで拭きながら、
「羽化はまだ先だよ」
あいかわらず、目が死んでいる。
水沢君は学年一頭が良くて学年一背が低い。それだけなら普通だけど、何故かいつも必要最低限のことしか喋らないから変人みたいな扱いを受けている。つい最近は、進路希望を全部空欄で提出したことで話題になった。
「今日も水沢君ひとり?」
三日前、ここで初めて水沢君と話した時も、彼は一人で畑の世話をしていた。
「美化委員長だから」
「責任感あるなぁ」
「サナギを見るのはいいけど、友達の愚痴を聞かせたりはしないで」
「もうそんなことしないし。今はね、嫌だったことを紙に書き殴っては破り捨てるってのをやってる。なかなか良いよ」
「そんなに嫌なら離れたらいいのに」
そう言って、水沢君はキャビネットへ向かった。私はそれを追いかけて、
「それができたら愚痴なんて吐かないよ」
「じゃあ、嫌だってことを伝えたら?」
「伝えたって無駄にギスるだけでしょ。きっと、今よりもっと悪くなるよ」
「そっか。……そうだよな」
感情のこもらない口調で納得して、水沢君はキャビネットの扉を開けた。そして、手前にある園芸用具の陰から小さな虫かごをそっと引き出す。小枝にくっついているアゲハチョウのサナギは三日前のままだ。
「羽化って、いつ頃?」
「一週間後くらいかな」
草むしりを再開して、水沢君は素っ気なく答えた。
私達は互いの秘密を共有する仲だ。花壇の花に優愛ちゃん達の愚痴を聞かせていたことを水沢君に目撃され、私もまた水沢君が学校でサナギを飼っていることを知ってしまった。
「夜のうちに羽化してたらどうしよう。私が来るまで待っててくれるかなぁ?」
「…………」
「でも、羽化の瞬間を見れなくたって、元気に蝶になってくれればそれでいいよね!」
「…………」
「水沢君に話しかけてるんですけどぉ?」
「橘さんって珍しい人だよね。普通、女子って虫とかサナギとか嫌がるものじゃない?」
「私だって素手で触るのは無理だよ。蝶は綺麗だからそんなに怖くないってだけ。カメムシは苦手だし」
「臭いもんね」
「そう言う水沢君も変わってるよ。こんな広い屋上の世話を一人でやってるんだから。これって委員会の仕事でしょ? 他の人は?」
「いるけど、来たくないのを無理やり呼んでもね。てか、僕はむしろ一人の方がいい」
淡々と言いながら片腕を上げて背伸びをした。それを見て、単純に「いいなぁ」と思う。
「グループでいるより、そっちの方が気楽で良いよね」
「それがわかってても、橘さんはグループから抜けられないんでしょ? どっちが良いか悪いかなんて無いんじゃない?」
「うん」としか答えられなかった。水沢君と話していると、こういうことがよくある。虫かごに目を移す。サナギは沈黙している。
「水沢君って普段は無口って聞くけど、嘘だよね」
「本当だよ。僕が口を開くと嫌なことが起こるから、黙っていた方がいいんだ」
「なにそれ、呪われてるの?」
すると、水沢君は小さく吹き出した。
「違う違う。思ったことを言うと、空気が悪くなるみたいな……。わかるでしょ?」
なるほど。私と逆か。間違ってなくても、空気って悪くなる。
「じゃあ、進路希望を白紙で出したのも、そういうこと?」
「え」
真顔で水沢君が振り返った。変な間が空く。あ、ヤバい。地雷踏んだかも。
「――じゃなくて、決まってないなら白紙で出すしかないよね! 私も実は進路が決まってなくてさぁ、とりあえず進学ってことにしたけど白紙で出せば良かったなぁ!」
めちゃくちゃ早口で言って誤魔化してみたけど、無理っぽい。水沢君が黙ったまま光の無い目で見つめてくる。私は目を逸らして脳をフル回転させた。でも、空気を読めない私が何を言っても火に油……。
「当たり」
「え?」
「今言ったこと、当たり」
「ん? ん?? 何が? どういうこと?」
「僕が黙っていれば、家も学校も波風立たずに平和ってこと」
言いながら、水沢君は作業に戻った。
「進路で揉めてるの?」
「揉めたくないから黙ってる」
「でも、進路でしょ? 行きたいとこがあるなら言わないと」
「言ったよ。でも、両親の希望は医者か弁護士。自分達が叶えられなかった夢を叶えてほしいんだってさ」
ブチブチと乱暴に雑草を引き抜きながら、少し苛立ったような口調で言った。こういう時、普通は何て返すのかな。気の利いたセリフを考えてみるけど、どれも取って付けたようで空々しい。その時、黙り込んだ私に焦れたのか、水沢君が立ち上がって深い溜息をついた。
「今の僕の夢、聞いてくれる?」
「え、うん……」
「卒業したらニートになって、三十歳を迎えたあたりで孤独死」
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