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vol.4
暫くの間は特に変わった事もなく、本條さんは仕事場と自宅を行き来するのみ。ボクはただ、それに合わせて行動するのみだった。
(そういえば最近の本條さん、前みたいに帰りが遅くなる事が増えたな〜。それでも日付が変わってからの帰宅はまだないけど……少しづつ仕事の量が元に戻ってるのかな?)
その所為なのか、蓮や結人さんと過ごす時間が多くなった。寧ろ変わったのは、ボクの方かも知れないと思った。
(それだって特に深い意味はなくて…。いや、本條さんのスケジュールの終わりが解らない日は、出来るだけ蓮に会うようにしてるんだから、やっぱりボクの方が変わったのかも)
新ドラの撮影も本格的に始まったのか、本当に終わりの読めないスケジュールが続いた。ドラマ撮影の後に他の仕事があれば、ソッチに着いて行くことも出来るけど、ドラマ撮影の終わりは予測しずらい。
「怜、明日は遅くなるって言ってたけど、その…大丈夫なの?」
「え?大丈夫だよ?この前も大丈夫だったでしょ?」
「そうだけど…本当に?俺も一緒に行こうか?」
「慣れてるからそんなに心配しないで。それより、蓮はテスト勉強しないとダメだよ!」
「テス勉か〜そんなのしなくても、上位には入れるから大丈夫だけど、やらないと兄さんがやたら心配するからな〜」
(蓮も今、ボクに対してやたら心配してるよ〜とは、言わないでおこう。きっとムキになって拗ねるから)
「そういえば今日、結人さんは?デート?」
「残念。兄さんは課題の為の資料探しで、ちょっと遅くなるってさ。今日の夜ご飯はきっと、テイクアウトかデリバリーだね」
「ボクも何か作れたらいいんだけど…」と、申し訳なく思いながら言った。
「俺も料理くらいは出来るように、勉強しておけば良かったな〜」
「蓮はお菓子作れるじゃ〜ん」
「お菓子作りは趣味だからね」
「それだけでも凄いよ!あと、この前作ってくれた野菜炒めも美味しかった!」
「あれは失敗作だよ…ところどころ焦げてたし……。それに、野菜炒めなら誰にでも作れるじゃん……」
「焦げてても、蓮が作ってくれたってだけで、結人さんもボクも嬉しいんだよ〜。それに、野菜炒めなんてって言うけど、誰にでも作れるものじゃないよ!」
とは言ったけど…確かに蓮の言う通り、野菜炒めなら誰にでも作れそうな気がしなくもない。
だけど、材料や手順が解っていても、いざ作るとなると話は別だと思う。ボクは不器用極まりないから、到底無理な気がする。
その時、玄関が開く音と一緒に「ただいま〜」という、結人さんの声が聴こえた。それを聴いて蓮とボクは一緒に、2階から下へと降りて行った。
「兄さん、お帰り〜」
「結人さん、お帰りなさい。お邪魔してま〜す」
「ただいま〜。2人ともお腹空いただろ?夕飯、適当に買って来たやつだけど、温かいうちに食べようぜ」
2人で洗面所で手を洗っていた結人さんに声を掛けると、手を拭きながら歩く結人さんの後について、キッチンへと行った。
「これ、あそこのイタリアンのお店?」
「そうそう。テイクアウトOKだったから、適当に選んでテイクアウトして来た!」
「わ〜い、パスタある〜」
「怜はパスタ好きだねぇ」
「好きで〜す」
そんな遣り取りをして、3人で夕飯を食べ始めた。食べている間は、今日あった出来事などを2人が話している。ボクは黙って聴いていて…時々、相槌を打ったりしていた。
「そうだ、兄さん聴いてよ!」
「ん〜?」
「怜が明日、遅くなるって言うんだよ」
「え?別に今更だろ〜?何日か前も、ちょっと遅くなった〜とか言ってたじゃん」
「そうだけど…」と、蓮がブツブツと言っていると、結人さんが「え…て事は…本條青葉は完全復帰したって事?」と聞いてきた。
「完全ではないと思うんですよね…。まだ通院してるのか、早く終わる時もあるので……だから、少しづつって感じですかね。でも…退院直後よりは、ちょっと元気になったのかな〜って安心してます」
「良かったな〜」
「はい!推しが元気で笑顔だと、ボクも元気で笑顔になれます!」
「僕じゃダメなの?」
「そういう訳じゃないよ……でも…」
急に拗ね始めた蓮に、どう説明したらいいのか解らなくて困った。それを見兼ねたのか、結人さんが助け舟を出してくれた。
「れ〜ん〜く〜ん。恋人と推しは別なんだよ。全くもって、べ・つ・も・の」
「そうだよ。前にも言ったけどね…本條さんに対する気持ちと、蓮に対する気持ちは違うんだよ」
「それは前にも聴いたけど…。僕じゃあ、怜に元気と笑顔はあげられないのかな〜って思ったの」
「貰ってるよ!寧ろ、ボクが蓮にあげられてないんじゃない?」
ボクはいつもそう思ってるけど、具体的に何をしたらいいのか解らない。でも蓮の前では出来るだけ笑顔でいるようにしている。決して無理して笑顔を作っている訳じゃなく、本当に楽しいから笑顔なんだけど。
「僕は怜が、元気で笑顔なら良い!」
「矛盾してんな〜。でもまぁ蓮の場合、ただ心配なだけだろ?」
「そりゃあ、まぁ……」
「でも、怜の追っ掛け歴は長いしね…それが夜だとしても。だからその分、気を付けないといけない事とかも解ってると思うから、そこまで心配しなくても大丈夫じゃん?」
確かに気を付けないといけない事には、充分配慮してるし、深追いはしない。自宅のタワマン周辺は特に気を配っている。夜の場合、いざとなったらタクシーを捕まえて帰宅すればいいだけだ。
「ホント過保護だよな〜」と言って笑う結人さんに、ボクは(安定のブーメラン)と、心の中で思った。
「いつもみたいに、ちゃんと連絡するから…ね?」
「はぁ〜も〜解った。ホント兄さんは怜に甘いよね」
「それ、お前が言う?」
「蓮もすぐ、ボクを甘やかすよ?」
「それは……恋人なんだから当たり前じゃん…」
そう言うと、蓮は顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
「あ〜惚気けられた〜。悔しいので俺は俺で、慰めて貰いに、電話して来ま〜す」
結人さんがスマホを持って立ち上がり、自分の部屋へと歩いて行ってしまった。ボクはいたたまれなくなって、空になったトレイや食器類を片付け始めた。
「蓮…あの、ごめんね……」
「俺もごめん。怜の事は信じてるし、理解はしてるつもりなんだけど…。それに兄さんの言う通り、慣れてるから大丈夫なんだろうけどさ…それでも、心配なものは心配なんだよ」
(これでも、夜遅くなるまでの追っ掛けは我慢して、週一にしたんだけど…週一でもダメなのかな…。心配掛けたくないけど、もう少し続けさせて欲しいな…)
「怜…何回も言うけど、危なくなったり、パニックになりそうになったら、すぐに帰るんだよ?俺は起きてるから、電話してくれても大丈夫だから…ね?」
「解ってるよ。防犯ブザーも持ち歩いてるし、スマホも片時も離さないから。あ…」
「ん?何?」
「何もなくても電話しちゃうかも……」
「待ってる間って暇そうだもんね」
「そうじゃなくて…ただ、蓮の声が聴きたくなったらって…意味なん…だけど…」
そこまで言うと、途端に恥ずかしくなって、自分でも解るくらい顔が赤くなるのが解ったし、心臓がバクバクしてるのも解った。
「それは嬉しい!何もなくても、いつでも電話していいんだからね?俺の声が聴きたいって思ったら、すぐに電話して!」
「でもなんか、申し訳ない気がして…」
「ほらすぐ遠慮する。怜からの電話は24時間対応するからね!」
「それ、何かの相談窓口みたいだよ」
ボクがそう言って笑うと、蓮は「怜専用だけどね」と言った。蓮は真剣に言ってくれたんだろうけど、それが逆におかしくて、笑い堪えられなかった。蓮も、つられたように一緒になって笑った。
その後はいつも通りの会話をして、途中まで蓮に送って貰って帰宅した。
翌日は昼の現場から張り付いた。張り付いたという言い方が、刑事ドラマの台詞みたいで自分でも可笑しかった。
いつもなら朝から追っ掛けするのに、昼からになってしまったのには理由がある。
そんなたいした理由でもないんだけど。変なというか…怖い夢を見た所為で、寝坊した挙げ句に憂鬱でなかなか動けなかったのだ。
(夢だから、相手の顔が解らないのは解るけど…追い掛けられる事が恐怖でしかない。しかも割りと至近距離だったし…思い出すだけで憂鬱になる。でも、さっき本條さん見れたし!気持ち切り替えよう!)
そこからは、いつも通りの追っ掛け生活だった。夕方に少し蓮とLINEの遣り取りをしたけど、移動する時間になったから『また後でLINEするね♡』といって、スマホをポケットに入れた。
ボクは次の現場へと先回りをして、本條さんが来るのを待った。その間、ボクは再びスマホを取り出してSNSをチェックしたが、特に気を引くような事は何もなかった。
暫くすると、本條さんを乗せた車が目の前を通過して行った。
(ん"〜本当…いつも思うけど、窓越しでも解る…というか、窓越しでも溢れ出るカッコ良さ!)
ボクは心の中のシャッターを切りながら、信じてもいないクセに(神様ありがとうございます!)と拝んだ。
(最近というか…退院してからの本條さん、益々カッコ良くなってる気がする。そういえば、ファンのお姉さん達も、色っぽくなったって言ってた…SNS上でもそういうコメントが増えた。そういうのは解らないけど……カッコ良くなったって事だよね。うん…ボクの目もあながち、間違いじゃないんだな)
そんな事を思いながらもゲームをしたりして、数時間が経った。
(そろそろかな…まだ早いかな?)と思いながらも、ボクは自宅前に移動しようとして、Switchやら何やらを片付けた。
そして一足先に、本條さんの住むタワマンへと移動し、少し離れた所の茂みに隠れた。
ここの茂みは、道路や歩道からは死角になる。その分、危険といえば危険だけど、タワマンから見て茂みの後ろに死角はないから、そこまで危険ではない。
(そうだ先に蓮にLINEしておこう)と思って、スマホを取り出して、今の状況を伝えた。蓮からはすぐに返信が来て、さっきと同じように『また後でLINEするね♡』と送ってスマホをポケットにしまった。
だけど、その日の本條さんはなかなか帰宅しなかった。その時点ではまだ(撮影が押してるんだろうな……なのにボクが勝手に、先走って早く来ちゃったんだよね)と、そう思っていた。
なのに今、いつもなら本條さんを乗せて駐車場に入って行くハズの車が、ボクの目の前…タワマンの前をスーッと通り過ぎて行った。
(え…あれ?どういう事?本條さんは?)
ボクは今起きている状況が上手く飲み込めず、再びポケットからスマホを取り出して、蓮に今起きた事をLINEで伝えた。
蓮からは『予定が急に変更したんじゃない?』と、すぐに返信があった。確かに、普通に考えればそうかもしれない。
蓮の言うように、急に予定が変更になる事は、芸能界…芸能人にはよくある事だ。
だとしても、車に本條さんが乗っていないのはおかしいと伝えた。しかも、マネージャーさんだけが乗っていて、中に入る事もなく素通りして行った。
その事が何故か、漠然とした不安のような…落ち着かない感情になって、わ〜っと押し寄せてきた。
ボクは『薬飲むからまたLINEする』と打って、スマホをポケットに入れようとしたその時、少し離れた所に本條さんを発見した。
(本條さんだ!え〜と…あっちは駅に行く方向で……途中にコンビニがあったな。もしかしたら、コンビニに寄ろうとして、車から降りたのかな?)
そう考えていたら、不意に本條さんが後ろを向いて手を差し伸べていた。ボクは(誰かと一緒かな?)と、思った。本條さんより後ろは、ここからだと死角になるので見えない。
でもその次の瞬間、本條さんの手を取る相手の姿が見えた。ボクはポケットに入れようとしていたスマホのカメラを起動させ、目の位置に合わせてシャッターボタンを押していた。
(え…女の人と歩いてる…?手を繋いで歩いてる?)
頭の中は混乱してパニックになりそうなのに、視線を逸らす事が出来ず、2人が仲良さげに話ながらマンションに入って行く所も、カメラに収めてしまった。
ボクはカメラから電話帳の画面に切り替えると、蓮に電話をした。そして今見た事を一気に話した。
話している途中から、パニックになっていたのだろう。蓮はずっと「怜、落ち着いて」と、繰り返していた。
「むりだよ!おち、おちついてられない!なんで……どうして…?!ぼくは、ぼくはただ…い、いやだ…もう…し、しにたい!しんでやる!」
ボクは通話を切ってスマホを放り投げると、バッグの中から安定剤を取り出して飲む。そしてもう一度、バッグに中に手を入れて、ペンポーチを取り出すと、その中に入っていたカッターを取り出した。
そのカッターの刃を手首にあてた時、どこからともなく「それはいけません!」と言う声と、知らない男の人にカッターを持った手を押さえされた。
あまりにもビックリしたのと、恐怖でボクは目をつぶったまま、あっさりとカッターを手放した。
「カッターは没収するよ?あとこの薬も預からせて貰うね?」と、さっきとは違う声でそう言われた。
その柔らかい声の雰囲気につられて、ボクは目を開けたけど、全く知らない人だった。その顔は心配そうにボクを見ていた。
「かえ、かえして…」と言うと、その人に「それは無理かな。それよりも、少し落ち着こう?」と、諭すように言われた。
「むり、むりです!もう、いますぐ、しに、しにたいんです!しな、しなせて……しなせて!」
「それも無理かな。どうしてもって言うなら、場所を選んだ方がいいと思うって…痛たた……ちょっと〜髪の毛引っ張るの止めて下さいよ」
「貴方は何を言ってるんですか。未成年者の保護、自殺行為を見掛けたら保護する。それも、貴方の仕事でしょう。なのに場所を選べとか…呆れ過ぎて、言葉より先に、髪の毛を引っ張ってしまいました」
そう言いながらボクの前に現れたのは、さっきの声の持ち主で、本條さんのマネージャーさんだった。ボクは全身から血の気が引いていくのが解った。
「二条怜さん。私が何者かはご存知ですね?」
ボクは黙ったまま頷いた。それを見て、マネージャーさんは「君に話があります」と言った。
「ぇ…」
「帰りはちゃんと送りますので、取り敢えず事務所まで来て下さい」
「そうだね。君の今のその精神状態で、家に帰す訳にもいかないしね」
ボクはこの状況が上手く飲み込めず、2人の言う事に反論する勇気も気力もなくなっていた。
もうただ黙って下を向いたまま、2人に促されるままに、本條さんがいつも乗っている車に乗せられて、本條さんが所属する事務所へと連れて行かれた。
(ボクはただ……)と、その後に続く言葉も気持ちも浮かばないまま、ぼんやりとした頭で外の景色をただ眺めていた。
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