vol.5

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vol.5

ぼや〜とした意識の所為か、ボクはこの状況が上手く飲み込めず、気持ちの整理も追い付かなかった。 マネージャーさんと知らない男の人に、車に乗せられて連れて来られたのは、本條さんが所属するオフィス事務所だった。 車の中では誰も何も言わなかったけど、隣に座った男の人に、1回だけ「少しは落ち着いた?」と声を掛けられた。でもボクは下を向いたまま、黙って頷いただけだった。 建物の中は、清潔感があって綺麗で広々として、ディスクがズラ〜っと並んでいる。壁には所属するタレントのポスターや、番宣のポスターが、所狭しと貼ってある。 その半分近くは本條さんのポスターで、見覚えのあるポスターもあった。だってそのポスターは、ボクの部屋にも貼られてるから。 いつもなら…いつものボクなら、この空間に居られる事に歓喜していただろう。でも今のボクはそんな気になれなかった。 (本條さんに出逢えて救われたと思ってた…それが今日ボクは…再び暗闇に落とされた…) 「ここだと話がしにくいですね…いつ誰が来るとも限らないですし…」 「えっ、こんな時間に誰か来るんですか?」 「事務員は定時で帰りますけど、まだ仕事中のタレントと、そのマネがいます。まぁ、戻ってくるとしても殆どはマネだけですけどね」 「マネージャーの方が忙しくて大変そうだな」 男の人がそう言うと、マネージャーさんが「やり甲斐はありますよ」と言った。 そして「あちらの応接室で話しましょう」と言って歩き出した。ボクはその後ろを、俯たまま着いて行った。更にボクの後ろを、男の人が着いてくる。 部屋の中に入ると、ボクが思っていた応接室というイメージとは逆の、とんでもなくオシャレな部屋が目に飛び込んで来た。 男の人がドリンクサーバーの前に立って、ボクを振り返って「怜くんは何飲む?」と聞いてきた。ボクが答えに困っていると、マネージャーさんが「お客様にはお茶でしょう?」と言った。 「あ〜でも…若い子にお茶は違う気がしません?」 「若くてもお客様です」 「本人の意思を聴くのも大切なんですけどね〜」 「それは貴方の仕事の話でしょう。今は違いますよ」 ドリンクサーバーの前で、大人2人が飲み物の事で騒いでいるのを見ているうちに、意識がハッキリしてきた。それと同時にまた、不安も襲ってきた。 (ボクはこれからどうなるんだろう……)そう思うと、またパニックになりそうで、薬を飲もうとして気が付いた。 (そうだ、薬……あの人に取り上げられたんだった…どうしよう……) 再び落ち着かなくなってきて、呼吸が苦しくなってきて(どうしよう…どうしたらいいんだろう……)と、そればっかり考えてしまった。 「怜くん。落ち着かないだろうけど、とにかく落ち着こう」 そんなボクを見ていたのか、男の人はボクにそう声を掛けると、手に持ったコップを置いて、ボクの隣に座った。そして、静かな声で言う。 「目を閉じて、何も考えないようにして…ゆ~っくり深呼吸してみて。慌てなくていいから…とにかく、ゆっくり、ゆ~っくり深呼吸して」 言われるまま目を閉じて、出来るだけゆっくり深呼吸してみた。何回か繰り返しているうちに、少しづつ楽になってきた。 「手首を触ってもいいかな?」と聞かれて、不思議に思いつつも黙って頷いた。 「ありがとう。じゃあ失礼して……うん…大丈夫だね」 どうやら男の人は、ボクの脈拍を計っていたようだった。 「二条怜さん。こんな時間に、無理やり連れて来てしまってすみません。改めまして…私は青葉くんのマネージャーで、野崎と申します」 マネージャーさんはそう言って、ボクの前に名刺を置いた。その瞬間、さっき見た事を思い出してしまった。 「あ、ああ…いや、いやです!ほん、ほんじょうさんが…うそだ…そう、うそだ!うそだ、うそだ!お、おおおんな、のひとと…いやだっ!」 ボクは結局パニックになって、感情が抑え切れず、ただ泣き叫んだ。 それを聴いた男の人が「ん?あぁ…女性に見えたのか〜」と言って、暢気に笑い出した。 「貴方は何を笑っているんです?この場面で笑うなんて、不謹慎ではないですか。それに私は、真面目な話をするつもりで、彼を此処に連れて来たんですよ」 「解ってます。いや〜でも、笑うでしょ。アイツが誤解されてるの、久し振りだし…あはは……」 マネージャーさんが怒っているのに、男の人はまだ笑っている…と思っていた次の瞬間、真面目な顔で聞かれた。 「あのね怜くん…もし、その相手の人が男性だったらどうする?」 「え?それ、それって…?」 「つまり、二条さんと一ノ瀬さんがお付き合いをされているように、青葉くんのお相手が男性だったらどうしますか?という質問です」 蓮の名前が出てきて、ボクの身体は一瞬にして硬直してしまった。 「二条さん、いくつかお願いがあります。まずは先ほど撮った写真を消して下さい」 そう言ってマネージャーさんはボクに、ボクのスマホを差し出した。最初にパニックになった時に落としたスマホを、マネージャーさんが拾ってくれてたらしい。 蓮の事も…下手したら…結人さんの事も調べられてるかも知れないと思うと、おとなしく従うしかなかった。元々、撮りたくて撮った写真ではないから、惜しくも何ともない。 ボクは何も言わずに黙って、アルバムを開いた。そしてさっきの写真を見て、ある事に気付いた。それに気付いて隣に座る男の人を見た。 「あっ…!あ、せん…せ…い…って、あれ…こ、このひと……」 ボクは何故か、急に落ち着きを取り戻した。 「二条さん、もしかして…今、気付いたんですか?」 「はい。えっと、本條さんが入院していた病院の先生で……写真に映っているのも、病院の先生で……それにこの前、ケーキ屋さんの前でぶつかって…」 支離滅裂になりながらも、思い出した事を整理するように、必死になって話し出した。 そう…数ヶ月前、ボクは隣に座っている男の人と、さっき本條さんと歩いていた人を見た事があった。何故なら、本條さんの入院した病院のHPの職員紹介欄の所に、2人の写真と名前と経歴が載っていたから。 「まぁまぁ…動揺していたんです。忘れちゃう事くらいありますよ。では改めて……僕は関谷総合メンタルクリニックの関谷です。怜くんが勘違いしたのは、同じ職場の元宮といいます。見た目も名前も女性っぽいけど、元宮は正真正銘の男です」 ボクは、職員紹介欄を見た時に(冷たそうだけど綺麗な人だな〜。でも男の人なんだ〜)と、思って見ていたのを思い出した。 「あ、あの…そうでした。なんか、すいません……」 「気にしなくていいよ。アイツが女性に間違われるのは、昔からだしね。でも本人には言わない方が身の為だよ」 「そういう貴方こそ、そういう軽口を言っていると痛い目に遭うんじゃないですか?」 「そうなんですよね…あぁ見えてアイツ、空手の茶帯持ちですから」 (え?確か空手の茶帯って…強いんだよね…全然そう見えない…)と、ボクも暢気な事を考えてしまった。 「ケーキ屋の前で可愛い少年とぶつかったって話は聴いてたけど、まさか怜くんだったとはね…世の中って狭いよね〜。それに、人の縁もまた不思議だね」 そう言いながら笑いかけてくる関谷さんに、ボクは「か、可愛いって…」と、自分でも顔が赤くなるのが解った。 「ケーキ屋さん……あぁ…。もしかして、青葉くんお気に入りの?」 「そうです。その日、ボク…そのお店の近くに居たんです。それで…えっと…スマホを見ながらお店を探していたら、この先生にぶつかっちゃって…。そしたら怖くなって、発作が起きそうになったんです。でもさっきの…関谷先生が言ってくれたのと同じように、アドバイスしてくれたんです」 「アイツ、仕事以外だと表情筋死んでるから、怖かったでしょ?」 「貴方はまたそういう事を…」と言って、マネージャーさん…野崎さんが呆れている。ボクはそれが可笑しくて、つい「ふふっ…」と笑ってしまった。 「あ、すいません…。え〜と…見た目じゃなくて…ボクはその、ぶつかっちゃった事が怖くて…。でも、声とか雰囲気はなんか優しくて、あぁ…良い人だなって思いました」 「うん、アイツは…不器用だけど、本当に良い奴なんだよ。だからね、その写真は消して欲しいんだ。これは、同僚であり、幼馴染でもある僕からもお願いします」 ボクは頷いて、削除ボタンを押した。 「ありがとうございます。二条さん、先ほどの質問に戻ります。もし仮に、青葉くんの相手が元宮先生ではなく、女性だったらどうしてました?その方が、青葉くんと同じタレントでも、一般の方でもいいですよ」 「え……」 改めて聞かれて、ボクは考えてしまった。ボクは女性が苦手だった。だからといって、男性が特別に好きという訳でもなかった。 母親はボクがまだ子供の頃に病気で死んだ。それから暫くして、父親は知らない女の人をよく、家に連れ込んでいた。そういう時…大抵ボクは押し入れか、昼夜問わず外に出された。 「お腹が空いた」という、子供がごく普通に言う一言にすら、父親は「反抗するな」と怒鳴って、殴られたり蹴られたりした。 ボクの新しい母親だと、何人か紹介された記憶もあるけれど、その殆どは長続きしなかった。多分、ボクが懐かなかったからだと思う。その度に「お前が居るからだ」と言ってまた、物理と言葉の暴力を受けた。 そういう環境があったからか、女性に対する一種の嫌悪感もあった。それと同じくらい、男性に対する嫌悪感もあった。 だから、ボクは野崎さんの質問になかなか答えられなかった。 「質問を変えます。もしこの写真が、貴方が撮った物ではないとします。ですがもし、この写真がスクープとして公表されたら、ファンである貴方はどう思いますか?しかも、相手が女性だと誤解されたまま、公表されたら?」 「う〜んと……許せない…とか…思っちゃうかな…。実際、さっきまでずっと誤解していて…その所為でパニックになっちゃってたし…」 「どうして許せないと思うのかな?やっぱり、相手が女性だから?」 「う〜ん…たぶん…そう、なのかな…。でも、それも何か違う気もしますけど……」 女性だから嫌だと思うのも本当だけど、男性だから良いというのも違う気がする。ただ…ボク自身が、男である蓮と付き合っているから、女性よりは男性の方がしっくりくるのか……やっぱりちょっと難しい。 「なるほどねぇ…ファンの人が全員、そうとは限らないけど…少なくとも、中には「同性の方がまだマシかな」と思うファンの人も居るのか〜」 「それは極論というか、暴論ではありませんか?」 「でもそういう「禁断の愛」的な所が、応援したくなるという意味では、受け入れ易い訳でしょう?」 (そうか…同性同士だと、周りからはそういう見られ方をするのか。当事者だけど、あまり気にした事なかったな…) 「でも…禁断の愛って変ですよね…。蓮もボクも何も悪い事はしてないのに……」 「そうだよ。怜くん達もこの2人も、何も悪くない。しかも、禁断の愛って言い方や考え方が、既にヘイトに近いからね」 「でもまぁ…この写真を撮ったのが、二条さんで良かったです。そして、それをいち早く押さえられたのも幸いでした」 「え…?」と思わず呟いて、野崎さんの顔を窺うと、溜息を吐きながらも、穏やかそうな表情を浮かべていた。 「青葉くんのストーカーに近い追い掛けを、2年もやってきた二条さんですからね。相手が女性や男性であっても…いくらその場の怒りで、我を失くしたとしても、SNSやその手の雑誌に漏らす事はなかったと思ってます。現に二条さんはそうするより先に、自身の死を選ぼうとしました。それは何故ですか?」 「死のうとしたのは…えっと……ショックだったからです。でもきっと、SNSや他の人に見せたりとかは…しなかったと思います。どんなにショックで、許せないと思っていても、本條さんの不利益になる事はしたくないです……」 手が震える。きっと声も震えて、上擦っていたと思うけど、ボクは思った事を正直に話した。 「それは…見た事はショックでも、本條さん自身が嫌いになった訳じゃないからでしょう」 「そうだと思います。でも…これはボクの勝手なんですけど……なんかだか凄く、裏切られた気持ちにはなりました」 「それはちょっと…意外ですね」 「え、意外…ですか?」 「はい。これは私の勝手な解釈ですけど…」と、野崎さんが一旦、区切ってから続けて話をした。 「私から見た二条さんは、青葉くんに対して、もっとこう……夢と現実の区別はついている…というように見受けられたので、そう言われてちょっと意外に思ったんです」 「あぁ…それはボクも同じです。でも何故かショックで、パニックになっちゃって、死にたいって……」 パニックになるとつい、死にたくなるのは良くないと思う。だけど、そうなってる時の自分の感情が、上手くコントロール出来ないし、なかなか治らない。 「でもさ〜怜くんみたいな良い子が、死ななくて良かった。間一髪って感じだったけどね」 「そうですね。私も、未来ある若い子の死は、全くもって嬉しくありませんから」 「良い…子?ボクが……?」 そんな事を言われたのは、初めてだったから驚いて聴き返してしまった。 「うん。そりゃあ、やってる事は…色々と問題かも知れないけど、それは本條さんの為を思ってやってる訳でしょ?」 「そうですね…ハッキング行為自体は悪い事です。ですが、二条さんの情報操作によって、青葉くんに対する身の危険が減ったのは事実です。その点については、私や社長も、二条さんにお礼をしたいくらいだと、常々思っていました」 ハッキングがバレていたとは思わなかった。普通なら、ハッキングされていると解ったら、セキュリティを強化するハズ。なのに、今日までずっとセキュリティは変更されていなかった。 (解っててなんで変更しなかったんだろう?)と、ボクは不思議に思った。 「二条さんが、青葉くんの追い掛けを始めるずっと前から、青葉くんは何回か危険な目に遭っています。二条さんが知っている事件だけでなく、何度もあったんです」 「人気者は大変だな…」 「SPを付けているとはいえ、必ずしも安全ではなかったんです。しかも、大勢いるファンの人達…一人一人の動向を窺う事は不可能に近い…」 「なるほど…そこに、怜くんが関わってくるのか」 ボクは関谷先生の言う(なるほど)がなんなのか…そこにどうして、ボクが関わるのかサッパリ解らなくて、黙って聴いているしか出来なかった。
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