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vol.8
「ぇ……」と、声も出せないくらいビックリしているボクに、蓮が耳元で(本物だよね?)と聞いてくる。
「うん…」と声になるかならないか程度の返事をすると、その人がゆっくりとボク達に近付いて来る。
そして「初めまして、本條青葉です」と言って、手を差し出してきた。
その一連の動作…流れが、何かのドラマか映画みたいで、ボクはどうしていいのか解らず、パニックになりそうだった。
すると、ボクの異変に気付いたのか、ボク達に笑顔を向けながら、関谷さんが本條さんの隣に並んだ。
「怜くん、来てくれてありがとう。え〜と…隣に居るのは、パートナーの蓮くんだね?初めまして、関谷と言います」
「初めまして。一ノ瀬蓮です」
本物の本條さんを前にして、蓮も少し緊張していたみたいで、少し裏っかえた声で、関谷さんに挨拶をしていた。
「あれ?関谷先生は、2人を知ってるんですか?」
「まぁね…怜くんとは一昨日の夜に会ってね。蓮くんとは初めましてだけどね」
関谷さんがそう言ったタイミングで、野崎さんが声を掛けて来た。
「立ち話は止めて、皆さん座って下さい。お茶とお菓子を出しますから」
「あ、野崎さん。いつものお菓子ある?」
「ありますよ」と言った野崎さんの表情が、凄く柔らかくて優しく見えた。その返事に、本條さんが「やった〜!」と、子供っぽくはしゃいでいた。
「青葉くん。二条さんと一ノ瀬さんも、このお店に行かれたそうですよ」
「本当?ねぇ、どうだった?美味しかったでしょ?」
「はい、とても、美味し…かったです…」
目の前で…正確には斜め前で、本條さんに話し掛けられて、上手く話せなくてロボットみたいな喋り方になって(我ながら情けない)と思ってしまった。
「俺も美味しいと思いました。甘さ控えめなので、甘い物が苦手な俺でも食べられました」
「もしかして…えっと……」
「蓮で良いですよ」
「蓮くんもお菓子作るの?」と、本條さんに聞かれた蓮は、ハキハキとこう答えた。
「ケーキはあまり作らないんですけど、マフィンとか焼き菓子はよく作ります」
(さすが蓮…物怖じしないというか、自分の意見をちゃんと言えるの、ホント凄い…カッコイイ♡)
「えっと…怜くんも作るの?」
「グム……★▼■△■〒〒☆\@♡♪……ムリ……」
「ははは…怜くん、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」
「顔を見なければいいんじゃない?」
蓮はそう言うと、再びボクの耳元で「騙されないようにね」と言った。それを聴いてボクは頷いたけど、正直、何も考えられなかった。
「二条さん、すみません。驚かせるつもりはなかったんです。本当なら、青葉くんはここに居る予定ではなく、自宅に戻る予定だったんですけど……」
「関谷先生が居たから、もしかして後で灯里さんも来るのかって聞いたら、間に合うようなら来るって言うからさ。それを聴いたら、そりゃあ待つよね!」
「あはは…そういうとこ、やっぱり本條さんだよね」
ボクはこうして、ボクの知らない本條さんの素顔が見れて嬉しいと思った。
だけど、推しをこんな至近距離で拝むとは思ってもいなかったから、今にも天に召されそうな気分でもあった。
「青葉くん…元宮先生の事は…」
「でも…関谷先生がいて、灯里さんも後から来るんでしょ?」
「ん〜来るかどうかはまだ確定じゃないけどね」
「で…ここに怜くんと蓮くんが居るって事は、隠さなくてもいいって事じゃないの?」
そうか…ボク達は事情を知ってるから、なんの疑問も違和感も持たなかったけど、普通に考えたら誤解される事を言ってるんだ。
「そもそも俺は隠さなくてもいいと思うけどね。悪い事をしてる訳じゃないんだし。そりゃあ、自分の立場は理解してるけど、俺だって人間だし恋愛だってするんだから」
「そうですけどね。でもそれはあくまでも、青葉くんの考えであって意思ですよね?元宮先生も同じ考えとは限らないでしょう?」
「ん〜まぁ…そうだけど…」
ボクは本條さんの話に凄く共感できた。特に「悪い事をしてる訳じゃない」の所は、ボクも蓮との事をそう思っていたから。
確かにこの前パニックになった時は、ちょっと許せないと思った。でもこうして本條さんの、正直な想いを聴いて(何事にも真面目なんだな)と思った。
「それより青葉くん、これから私達は大事な話をします。余計なお喋りは慎んで下さいね」
「おとなしくしてます!」
隣に座っている蓮が「テレビとのギャップが凄くない?」と、小声で言ってきた。ボクは「そうかな?」と言った。
でもボクは本條さんの追っ掛けをしているし、雑誌から何から全部読んでる。だからある程度、性格を知ってるから、あまり違和感を感じない。でも蓮みたいに、ドラマとかでしか知らない人には、凄いギャップを感じるのだろう。
「早速ですが二条さん。一昨日の話なんですが…あれから検討して貰えましたか?」
「えっと…具体的に何をするのか解らないので、検討できなかったというか…その…」
「そうでしたね。やって頂きたい事は、基本的には今までと変わらないと思います。ですが、現場には行かずに事務所で行って欲しいんです」
「えっ、それは無理だと思う…んですけど……」
周りの状況を把握していないと出来ない事もある。特に、人の集まり具合や流れなんかは、現場に居ないと解らない。流石にそれはネットだけでは不可能だ。
「普段よく使うスタジオ、テレビやラジオ局等の、場所は把握してますか?」
「大体は解ります」
「その周辺はどうですか?どこになんのお店があるとか…」
「よく使う所なら…まぁ、ある程度は解ります」
「いや〜この前、野崎さんも言ってたけど…怜くんの記憶力って本当に凄いんだね」
関谷さんがビックリしたような顔でボクを見た。ボクは照れながらも(誰だって2年も追っ掛けやってたら、ある程度は覚えちゃうんじゃないかな)と、思ったけど黙っていた。
「よく見掛けるファンの人達は把握してますか?」
「最近は昔に比べて少ないので、割りと覚えてます」
「昔?」と言って、今度は本條さんがビックリした顔をしていた。
「え〜と、その…昔と言っても、2年くらい前…に比べて…なんですけど」
「本條さん、怜くんは2年……もしかしたら、もっと前からかな?ずっとファンだったんだって」
「えっ?!本当に?!こうして生でファンの子に会えるなんて、めちゃくちゃ嬉しい!」
(そう言って貰えただけで、ボクはもう今ここで死んでも悔いはないです…)そう思いながら、ボクは気を失いそうになった。
「怜、戻って来て、まだ話の途中だよ。すいません、至近距離で本條さんに会えた上に、こうして話が出来るのが多分…かなり…嬉しいんだと思います…」
「まぁ、青葉くんはサイン会等といったイベントは、舞台挨拶以外ではやった事ないですからね。青葉くんにとっても、嬉しいんでしょう」
「そりゃあ嬉しいよ〜。仕事相手に言われるのとは、全く違う。え、いつからファンでいてくれたの?切っ掛けになったドラマとか……あれ?」
「どうしました?」
「俺、怜くんに前にどこかで会った事……」
本條さんのその言葉に、身体がビクッとしてしまった。それに気付いたのか、蓮が手を繋いでくれた。そして、関谷さんも「本條さん、灯里がいるのにナンパですか?」と、冗談めかして言う。
「違う、違う、違います!俺は誓って灯里さん一筋です!ん〜そうじゃなくて……」
「青葉くん、その話はまた今度にして貰っていいですか?でないと、元宮先生に言いつけますよ?」
「あ、はい…ごめんなさい」と素直に、本條さんは謝ると、再びおとなしくなった。
「怜くん、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。ちょっと、ビックリしただけなので……」
(まさか覚えてる?あんな些細な事…覚えてる訳ないよね?)
「でも顔色が良くないな…。野崎さん、始まったばかりですけど、少し休憩にしませんか?」
「そうですね、そうしましょう」
「でも……」
「無理しないで怜、少し休ませて貰おう?」
蓮の言葉に頷いて、ボクは「トイレに行きたいんですけど…」と、力を振り絞るように言った。
「すみません。この部屋にはトイレがなくて…廊下を出て、エレベーターとは逆の方向に行くとあります」
「僕も一緒に行こうか?」
「れ、蓮が居るので、大丈夫です」
「じゃあ蓮くん、何かあったらすぐに呼んでね?」
「解りました」そう言って蓮は、ボクを支えるようにして部屋を出た。
でも廊下に出てすぐ、視界が歪んで気持ち悪くなってきた。呼吸が苦しい…気持ち悪い…どうしよう……。心臓の音が煩くて、落ち着かない。
「怜、大丈夫?薬飲む?」
「あ…ぼく、ぼくは…」
「どうしました?大丈夫ですか?」
「ぼ、ぼく…きもち…」
「あぁ…無理に喋らないでいいです。これ……紙袋持てますか?……そう、そうしたら口に当てて…ゆっくり呼吸をして。えっと…君、部屋に関谷が居ますよね?悪いんですが、呼んで来て貰えますか?」
「は、はいっ」
ボクは意識を失いそうになりながらも、その声に聴き覚えがある事に気付いた。そして言われた通り、あの時みたいに…少しづつゆっくりと息をした。
「そう…その調子…ゆ〜っくりでいいですからね」
「ゲホッ…ゲホッ…ゔっ…」
「大丈夫ですからね、吐きそうですか?」
ボクは首を横に振りながら答える。その時、部屋から出て来たのだろう、関谷さんと蓮の声が聴こえた。
「灯里!怜くんは?!」
「過呼吸だよ。でも…顔色も脈も早い。どこか横になれる所は?」
「ソファしかない。病院に連れて行くか?」
「いや、ソファでいい。パニックの原因は解らないけど、今のこの状態は別の…恐らく寝不足かな…」
「寝不足?!いや、いかにも怜っぽい…」
「そういう事だから関谷、ソファまで運んで」
「俺かよ…」
ボクは夢の中にいるような感じがした。暖かくて大きな腕に抱えられて、運ばれている。
(安心する…)そう思うと同時に、ボクは完全に寝てしまったらしい。次に目を開けた時、目の前に蓮の顔があってビックリした。
「怜、気付いた?先生、蓮が起きました」
蓮はパーテーションの向こうに、そう声を掛けた。
「あれ、ボク……寝てた?」
(さっきまで、パニックを起こしていたような気がするんだけど…)と思っていたら、あの先生がやって来た。
「ちょっと失礼しますね」
そう言ってボクの手を掴んだ先生は、相変わらず無表情だったけど、手の温もりや纏う雰囲気は、安心感と優しさを感じさせた。
「うん、安定してますね」そう言って、微笑んだ先生は綺麗だった。その顔をボーッとしながら見ていたら「どこか具合の悪い所はありますか?」と聞かれた。
「大丈夫です。寝た所為か…スッキリしました」
「それは良かったです。と言いたい所ですが、睡眠はしっかり摂らないとダメです。あと、栄養不足っぽいので、食事もしっかり摂って下さい」
怒られてるんだろうけど、嫌な気持ちはしない。事務的っぽいけど、言葉の端々から優しさが伝わってくる。
「怜、また夜更かししたの?通話終わったら寝るって約束したのに…」
「だって、なかなか寝付けなくて……」
ボクが言い訳をしようとしたら、関谷さんが「怜くん、何か飲む?」と言いながらやって来た。
「えっと…」と、ボクが言い淀んでいると「スポドリはある?なかったら買って来て」と、先生が関谷さんに言う。
「了解」と言って、関谷さんが出て行く。
「あの、ボク、自分のお茶…持ってます…」
「今の状態でお茶は止めた方がいいです。え〜と…ちょっと待っていて下さいね」
そう言って、先生はパーテーションの向こうへと消えた。パーテーションの向こうは静かで、野崎さんの声も聴こえない。再び現れた先生は、手に紙コップを持っていた。
「白湯です。冷たくないですから、胃もビックリしないでしょう」
「迷惑掛けてすいません。話も途中だったのに……」
「貴方が謝る事ではありません。むしろ迷惑を掛けたのは多方、別室にいる大人達でしょう。全く、何を考えてるんだか…」
呆れたように言う先生は、話の内容を知らないのかなと思った。蓮も同じ事を思ったらしく、先生に「元宮先生は何も聴いてないんですか?」と聞いた。
「関谷から、診て欲しい子がいるから来て欲しい、としか言われてないです。でも、野崎さんが絡んでるとなると、ただ診るだけではなさそうですね。しかも、本條さんが居るとは思っていませんでした」
先生は呆れを通り越して、げんなりした顔をした。その顔を見て、ボクは(本條さんに会えて嬉しくないのかな?)と暢気に思ったけど、2人の関係は知られたら困る事なんだと思い出した。
「あ、それは俺達も同じです。話をしに来たら、本條さんが居たのでビックリしました。特に怜は…」
ボクは蓮の言葉に頷いてから、ふと思った事を聞いてみる事にした。
「あの、診て欲しいって…ボクの事ですか?」
「俺が見る限り、二条さんの事だと思います。一ノ瀬さんに必要なのは、俺や関谷ではなく、二条さんの安否と安定…ですよね?」
「そうです。怜と兄さんが元気で幸せなら、それだけで充分ですから」
蓮の言葉を聴いて恥ずかしくなった。すると先生が「ふふっ…」と、おかしそうに笑った。
「あ…すいません。決して馬鹿にしてるとかではないです。一ノ瀬さんと本條さんが少し似ているなと思ったので…」
「えっ?!どこがですか?」
「相手の…大切な人を想う気持ちというか心ですね。素直かどうかは解りませんが、真面目で真摯な所は似ていると思いました」
先生の話を聴いて、今度はボクが「あはは…」と笑ってしまった。
「笑う所あった?」
「だって蓮、先生の言う通り。ボクや結人さんの事を凄く大切にしてくれるし、真面目でしっかりしてる。でも素直じゃないでしょ」
ボクは笑いを堪えて言うと、蓮は拗ねて「悪かったな」とボソッと言った。そのタイミングで、関谷さんが入って来た。
「あれ〜なんか楽しそう。面白い話でもしてた?」
「お前には教えない。それより、スポドリは?」
「ちゃんと買って来ましたよ。はい、怜くんどうぞ。蓮くんはこれでいい?」
手渡されたペットボトルを受け取って、ボク達は交互に「ありがとうございます」とお礼を言った。
「調子が戻ったなら、話し合いは出来そう?」
「はい、大丈夫です」
「嫌ならハッキリ断った方がいいですよ。悪い大人達の話に、碌な話はありませんから」
「悪い大人達って、俺も含まれてんの?」
「どうやったら、自分は含まれないと思えるんだよ」
先生はどうやら関谷先生には塩対応らしい。ボク達に接する時と、言葉遣いも表情も違う。
「ボクなら本当に、大丈夫です」
「じゃあ、隣に居る2人を呼んで来るね」
そう言って再び関谷さんは、パーテーションの向こうに消えて行った。その後ろ姿を黙って3人で見送った。
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