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猫は朝、起こしてくれないらしい。
「あなたが期待しているのは薄々気づいてんだけど。あたしはそういうの、やってないのよぉ」と申しわけなさそうに猫が言った。猫の言うことなんて鵜呑みにするのもどうかと思ったけど。反対に、猫本人が言ってるんだから信憑性があるような気もした。
まあ僕が甘かったというか、知り合いん家が犬を飼っていて、毎朝決まった時間に吠えて起こしてくれるという話を聞いたばかりで。それも動画を観せられちゃって、綿飴のようにふわふわしたポメラニアンが朝8時にキャンキャンと吠えて、飼い主を起こしてるその姿が可愛くってさ。なんか憧れっていうか、そういうのもいいなあってしみじみ思っちゃったのよ。
そしたら急に、近所で僕に懐いてる野良猫のことを思い出したの。そんなに都合よく現れないよな〜なんて思いながら歩いてると、その野良猫は僕が探してることを聞きつけたかのように向こうから近づいてきたわけよ。これって運命じゃない?
野良犬を拾うわけにはいかないでしょ。そういうのってなかなかないし。野良ポメラニアンも見かけたことないし。僕は犬よりも猫派なので、あまり深く考えず運命だと信じて家に連れて帰ったの。もちろん、本人には同意を得たよ。「キミ、野良だよね? 飼い猫じゃないよね?」「にゃあ〜」「来るかい? うちに来るかい?」「にゃあ〜」って。
「猫なんて、思いつきで拾ってきちゃダメよ」とガールフレンドは言った。大抵の女の子は猫を見ると「かわいい〜」と喜ぶイメージを持っていた僕は反対されて驚いた。まあ、言うとおりなんだけどね。彼女の場合は猫がきらいというわけではなく「とくべつ、どうって、ないの」と、好きでも嫌いでもないらしい。じゃあ、なんなの?「好きとか嫌いとかの話をしてるんじゃないの。責任の問題よ」
僕を諭すような口調だった。
僕だって何も考えず連れて帰ったわけじゃない。朝、猫に起こしてもらおうと思ったんだ。空気を読んで運命については触れなかったけど、僕はスマートフォンで、知り合いん家のポメラニアンの動画のリンクをタップして彼女に観せた。
喜んでもらえると踏んでたんだけど、彼女はそれがどうしたという顔をして、「だれが、だれを起こすの」と語気を強めて聞いてきた。いや、聞いてはいなかったかな。僕の返事なんて求めてなくて、ただバーンと跳ね返された印象だった。僕の恣意的な言動に苛立っていたんだろう。常日頃から彼女を怒らせてしまうことが多いので、このときも言い合いにこそなったけど、なるべく彼女の“癇に障る”ポイントは避けるよう注意した。それでも最終的に、彼女は腹を立てて帰ってった。「捨ててきてよね」と言い残して。
その日はバレンタインデーで、彼女が小さな紙袋を持ってやってきたのを知っていた。なのに、彼女はその小さな紙袋を手に帰ってしまった。そそっかしくて忘れたんじゃなく、はっきりとした意思があって持って帰ったのだ。僕はもらえなかったチョコレートへの未練から、猫に「チョコ」と名を付けた。キジトラ猫にその名は似合ってた。
三日過ぎても彼女から連絡はなかった。一日目とニ日目は何度かメールをしたけど返信はなく、あまりしつこくしてもあれなんで、三日目は丸一日様子を見た。やはり連絡はなかった。その三日目の夜に、彼女に捨てられる夢を見た。失恋というやつではない。僕が猫のように捨てられる夢だ。夢の中で彼女は「責任の問題よ」と言って僕を捨てた。
次の日。僕は猫…、チョコと相談して、チョコが目覚まし時計の役割りをいかに果たすかを証明する動画を撮ることにした。「猫はこういうのやらないんだけどね」と言いながら、事情が事情なだけにチョコはしぶしぶやってくれた。僕が寝てるふりをして、チョコが「にゃあ、にゃあ」と起こすふりをして、最後に二人(一人と一匹)で「ギブミーチョコレート!」と叫ぶ動画だ。メールに完成した動画を添付して送信したあと、何故だか嫌な予感がした。すべてが終わってしまったような、そんな予感だった。
川上弘美の短編小説に『猫を拾いに』というのがある。その小説の主人公はお金がなくて知人へのプレゼント用に、数日かけて森を歩きまわり生まれて間もない猫を拾うのだ。知人はとても喜んでくれてた。
だれか別の人が喜んでくれるのなら、僕はチョコを捨てようと思った。彼女がいなくなった寂しさをぶつけるのは、猫…、チョコに悪い気もした。いいや、もうチョコじゃないね。
またしても彼女の言ってくれたことは正しかった。僕が“朝、会社に行きたくなくなる病気”になってから、ずっと彼女は正しいことを言ってくれてたのに。
猫は「にゃあ」としか言わなかったけど。僕に気を遣ってか、「そもそも、あたしはチョコじゃないわよ」と文句を言ってるような気がした。やっぱり別れは苦しかった。拾わなければ、捨てることもなかったのに。
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