第19話 戸惑いの刻

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「着替える前にタオル持ってくるから待ってて」 風邪を引いては大変だと、空になったコップをテーブルに置きながら優羽は急いでソファーから腰をあげた。 「みんなも、調子悪そうだから今日は無理しないで休んでね」 そう言い残してスルリと戒の腕から抜け出た優羽が無事部屋を出て言った途端に、ホッと安堵の息が室内にこぼれおちる。 染みわたるように吐きだされた深い息に、全員の瞳が鋭利に光っていた。 「やべぇな」 輝がその瞳を細めてつぶやく。 「涼のバカー。頭がグルグルする」 「陸だけではありませんよ。体内の血が沸騰しているみたいに熱いです」 「どないするん?」 うなだれる陸と戒を横目に、竜が晶を見上げる。まだ幾分かマシな表情に見える晶と竜でさえ、その顔には我慢と苛立ちがにじんでいた。 優羽が戻るまできっと数分もないだろう。このまま平然とした装いを保ち続けることは出来そうにないと、その場にいる誰もが纏(マト)う雰囲気で物語っている。 「優羽には、眠ってもらおうと思ったんだけどね」 「失敗やったやん」 テーブルの上に置き去りにされたコップを見つめながら竜がつっこんだ。 「せやけど、なんでまた急に」 「優羽が名前を呼んだことで、自我が戻ってきたんじゃねぇの?」 「優羽に電話をかけてくるくらいだから、案外そうかもしれないね」 何にせよ憶測では解決にならない。 年長者達がいくら議論したところで、弟たちの症状が緩和されるわけでもなければ、自分達の状態が落ち着くわけでもないことは知っている。 「ほんまに戻ってくるんかいな」 「それは、どうだろうな」 頭痛がひどいのか、額に手を当てながら再びソファーに寝転がる輝を横目に竜は窓の空を見上げる。 グルグルと不気味な渦を巻いて雨嵐を吹かせる空に、世間は異常気象の原因を探っていることだろう。原因なんて探さなくても決まっている。 もうすぐ家族がそろう。 ただそれだけのこと。 「優羽に看病してもらうしか、なさそうだね」 晶の発言に全員が顔をひきつらせる。 外の天気から自分の手のひらに視線を落としていた竜でさえ、ひきつった顔で晶を見上げた。 「マジで言うてんの?」 「今の僕たち相手にしたら優羽、壊れちゃうよ?」 「壊さねぇって保証は出来ねぇぜ?」 賛同した陸と輝の声に、全員がそろって遠い目をする。 負けても苦悶。勝っても苦悶。 やりたくもない勝負に参加させられた上、強制的に罰ゲームをやらされているような何とも言えない屈辱的な感覚を否定できない。 「全身がムカムカします」 「そりゃそうだろ。涼も今頃、この頭痛と吐き気に暴れてんじゃね」 「父さんが行ってるから大丈夫だと思うよ」 「父さんだけ平気とか、それも不公平すぎるんだけど。ってあれ、戒は?」 気持ち悪そうにうなだれた陸が、さっきまで同じようにうなだれていたはずの戒がいないことに気づいて首をかしげる。途端に、全員が頭を抱えて欲望との戦いに決着をつけたらしい。 「優羽には悪いけど、俺たちも行くしかない。かな?」 「ほんまは、悪い思てへんくせに」 「晶、嬉しそうだもんね」 「しゃあねぇ、あの部屋使うように戒に電話すっか」 重たい腰をあげようとした彼らは、そろって輝の行動をじっと見つめていた。 「つながった?」 どこか弾む陸の声に、輝は無言で首を横にふる。 「優羽ちゃーん。でろよー」 中々つながらない着信相手を待ち切れなかった輝は、大きくため息をこぼしてから違う相手の番号を押した。 ─────♪……♪♪~♪…♪ 突然鳴ったコール音に気付いた優羽は、濡れた服のままタオルを取るために背伸びをしていた手を止めて、代わりにポケットに突っ込んでいた電話を取り出す。 耳に押し当てるなり聞こえてきたのは、輝の声。 「うん。今は一人だけど、どうかしたの?」 「戒に例の部屋使えって言えるか?」 「え?」 片手にタオル、もう片手で耳にあてた携帯を持ちながら優羽はその場に立ち尽くす。 変な聞き方だと思った。言えるか?と尋ねられたのは生まれてはじめてで、言い間違いじゃないかと輝に指摘する前に、優羽は戒が扉を叩く音を聞く。 「あっ、戒が来たみたい」 電話越しの輝に告げながら、優羽は部屋の扉をあけた。 「遅くなってごめんなさい。タオル今持って行こうと思ってたの」 相変わらず具合が悪そうだが、濡れた服のままここまで歩いてきた戒を優羽は慌てて中に招き入れる。そして、戒の身体を取り出したばかりのタオルで拭くために、優羽は輝の電話を切って戒のもとにひざまずいた。 「戒。あのね、輝が例の部屋使えって伝えてくれって言ってたんだけど、意味わかる?」 大人しくされるがままの身体をタオルでふきながらそっと見上げる。 「かっ戒?」 水も滴るいい男というが、半乾きの服でもその効果はあるに違いない。 じっと、熱いまなざしで見下ろしてくる無言の戒に、なぜか顔が赤くなってくる。 「聞いてキャアッ?!」 肩に担ぎあげんばかりの勢いでグイッと腕を引き上げられた優羽は、驚愕の悲鳴をあげて廊下を歩き始めた戒の後に続いた。
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