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王妃ソフィア
「ソフィア」
すぐにカダンが妻を諫める。
しかしディアルトは「無能」呼ばわりされても気を悪くした様子は見せず、穏やかに返事をした。
「……そうですね、妃陛下。無能と取られても仕方ありません」
高圧的なソフィアにさして反抗もせず、穏やかに対応するディアルトを、リリアンナは思わず安寧な家畜のように思う。
(なぜそこで言い返さないのです! 殿下は誰よりも努力をされ、政治の事も勉学も人並み外れた知識を持たれているのに! 精霊を見られないだけで、なぜこんな言われ方をされなければ……!)
リリアンナはギュッと拳を握り、革手袋に包まれた手をワナワナと震わせる。
「では! 王座につくつもりのない殿下は、戦地に赴かれてはいかがです? 王太子として戦況を把握し、現地の騎士や兵士たちの士気を上げるのも立派なお役目かと思います。もしかしたらファイアナから、休戦ないし停戦が申し込まれるかもしれません。その時は殿下が前線にいらっしゃれば、何かのお役に立つかもしれませんわよ?」
尊大なソフィアの言葉にカダンの眉間に深い皺ができ、深い溜め息が漏れる。
大臣や貴族たちの間からは、「何を仰るのですか、陛下」と反対する声もあれば、「良い案でございます」と賛同する声もある。
ドーム状の謁見の間にドヨドヨと人の声が響き、リリアンナはその動揺が苛立たしくて堪らなかった。
(なぜ王妃様に賛同するの!? 殿下は由緒正しい先王陛下のお子なのに!)
ギリッと歯を食いしばり、それでもまっすぐ立ったままリリアンナはソフィアを見つめる。
(戦地に送って、そのまま亡くならればいいというご意思ですか? 妃陛下)
強い反抗の籠もった目をソフィアに向けても、彼女は爛々とした目をディアルトやり、または周囲を煽るように微笑むだけだ。
どよめきをカダンが手で制し、静かな声で告げる。
「ソフィア、私が歿すればディアルトが王になる。王太子のディアルトに、そんな真似はさせられない」
「陛下。わたくしは殿下に死地に赴いて、戦えなど申しておりません。あくまで殿下が赴くことで、現地で戦っている者たちを鼓舞できれば、と思っているのです」
まるで大劇場の演者のように、ソフィアは声を張り上げて片手を掲げ、自分の意見を主張してくる。
その姿に思わず、ソフィア派の貴族たちがワッと拍手をした。
「……そんなこと、許されない」
押し殺したカダンの声よりも、拍手や歓声の方が大きい。
カダンが軽視されているというよりも、ソフィアが自分の味方たちを煽動するのが上手なのだ。
観劇を趣味としているソフィアは、何をどうすれば人々の注目を集められるかなどを熟知している。
「殿下、行ってくださいますわよね? 前線の者たちを鼓舞してくださった後、すぐ安全な王都に戻って来てくださいませ」
ソフィアの目はこの場を味方につけた優越感に浸り、「嫌とは言わせない」と言っている。
「ディアルト、返事をしなくていい」
頭痛がするのかカダンは額を押さえ、唸るように言う。
それに対してディアルトは少し間を置いたあと、へらっと緊張感のない様子で笑った。
「いいですよ。前線に赴きましょう」
「ディアルト!」
カダンが悲鳴のような声を上げ、立ち上がる。
「…………っ!!」
リリアンナも歯が嫌な音をさせて軋むほど食いしばり、拳を握った手を震わせる。
(勝手なことを言わないでください! 私を差し置いて、私になんの相談もしないで、戦地に向かうおつもりですか!?)
今度はディアルトを斜め後ろから睨みつけるが、彼はリリアンナの視線に気づいていない。
――いや、気づいていてもこの場では徹底的に無視をしている。
そしてカダンの反応に対し、首をゆるりと左右に振ってのんびりと返事をした。
「王妃殿下の仰る通り、前線の者たちを勇気づけましたら、すぐに戻って参ります。愛しいリリアンナもいることですし」
最後に冗談めかして言われ、とうとうリリアンナがキレた。
「殿下! 私は殿下の護衛係ですから、共に前線に参ります!」
そこでリリアンナは初めて声を張り上げた。
ずっと止めていたようにも思える息を吐き出し、リリアンナは呼吸を荒げてディアルトを睨む。
「リリアンナ、いけない。確かに君は俺の護衛係だが、同時にイリス家の長女でもある。君が護衛たりえるのは、安全な王都でのみだ。危険な戦地では、もっと適任の者がいる」
言い含めるようなディアルトの声に、リリアンナは唇を引き結び顔面が蒼白になった気がした。
――悔しい!
自分でもあまりの憤りに声も体も震えていると自覚しつつ、公の場なのでなるべく怒鳴らないよう低く問う。
「私は……お飾りの護衛だったと、仰るのですか?」
その声に、ディアルトはまたゆるりと首を振った。
「そうじゃない。一人の女性として、危険な目に合わせたくないと言っている」
「っ! 私は! 女である前に騎士です!!」
思わず激昂したリリアンナだが、ディアルトは憎たらしいまでにいつも通りの温厚な微笑みを浮かべている。
――と、二人の会話を妨げるようにソフィアが言葉を挟んだ。
「リリアンナ、痴話喧嘩は二人の時になさいな。殿下はあなたの随行は不要と仰っているのです。そんなに護衛の仕事がしたいのなら、殿下が不在の間はバレルの護衛をしてはどうです?」
ソフィアの声に、欠伸をかみ殺していたバレルが驚いて目を見開く。
「あなたの腕は確かだと、皆が言っています。その素晴らしい腕を我が子バレルにも見せれば、バレルも殿下のように剣に精を出すのではないかしら? 良い剣筋は、人に良い影響を与えると言いますしね」
どちらかと言えば一人で書庫にこもっているタイプのバレルは、母親の言葉に辟易とし、目で天井を仰いでいた。
だがバレルにリリアンナを宛がおうという話の流れを、ディアルトが許さなかった。
「妃殿下、リリアンナは私だけの護衛係です。それに先ほども申し上げた通り、この国最大の公爵家イリス家の大事な長女です。契約にないことをさせれば、そこにいるライアン閣下にも角が立ちます。何とぞ私の不在中は、リリアンナには普通のレディとしての生活を送らせてください」
きっぱりと言ったあとディアルトが深く頭を下げ、謁見の間がシンとする。
ライアンとはリリアンナの父で、この国の軍部の頂点に立つ男だ。
ライアンは重鎮らしく、一連の会話に動揺した様子を見せなかった。
それでもディアルトの言葉を受け、父は微かに頷いたような気がした。
さすがにソフィアもライアンの名前を出されては強く出られないのか、頷いてみせた。
「……良いでしょう。リリアンナ、殿下が戦地に赴いている間は普通のレディとしてお過ごしなさい」
「……はい」
ソフィアの鷹揚な声と目線に、リリアンナはすべてを押し殺して礼をする。
(ここは我慢しなければ。私の立場が犬猫のように軽く扱われたとしても、殿下の心象をこれ以上悪くしてはいけない)
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