優しすぎる王

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優しすぎる王

 リリアンナは急に話し掛けられ驚いたが「はい」と返事をしておく。 「おや、バレル。〝一応〟なのか。それじゃあ、リリアンナのことを美しいと思っているんだな?」  だがディアルトがバレルをからかい、彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。 「美人は美人でも、ディアルトがいつも側にいるなら俺に可能性はないだろ」  いつものディアルトとバレルの掛け合いが始まるが、渦中のリリアンナは顔色一つ変えず食事を続けている。 (何だかんだ言って、このご兄弟と仲がいいのは本当にありがたいことだわ。ソフィア様だけでなく、ご兄弟まで殿下に敵意を向けられていたら、目も当てられないから)  スープを飲みつつ、リリアンナはそう思う。  噛みつくように言い返したバレルに、ディアルトは眉を上げて「ふぅん?」と楽しそうな笑みを浮かべた。 「……何だよディア。その顔は」  バレルが唸るように言う。しかしディアルトの呼び名はプライベートでのものになっている。  そんな様子を、リリアンナは相好を崩して眺めていた。  王族であれど、これが本来あるべき年相応のやり取りだと思う。  ディアルトとカダンだって、本来なら王座に座るべき人物と、それを奪った……とも言われている現王とで、少々関係がこじれている。  だが二人が私的に争いあっているかと言えばそうではない。  カダンはディアルトに精霊を見る力がなくても、彼が望めばいつでも王座を譲る姿勢でいる。  だがディアルトは自分が〝出来損ない〟であることへの罪悪感、遠慮からか、決して国王になろうとしない。  リリアンナは時々その姿勢が「国王になることから逃げている」と思えて、煮え切らないディアルトにイライラしてしまうこともある。  ――だが分かっている。  ――ディアルトに精霊さえ見えることができれば、彼は今すぐにでも王座に座るだろう。  ――それもこれも……。  そこまで考え、リリアンは水が入ったグラスを傾けて喉を潤した。 (それにしても、ソフィア様は相変わらず殿下にお厳しい)  先ほど謁見の間にワンワンと響いた彼女の声を思い出し、リリアンナは微かに眉間に皺を寄せた。  ソフィアはもと貴族の娘で、カダンとは縁談が設けられ結婚したという。  最初は彼女も貴族の令嬢らしく慎ましやかにカダンに寄り添っていたが、父の話によると子供ができてからその野心の片鱗を見せてきたようだ。  王族の子供として恥ずかしくないように教育を施し、同時に「自分の子供なら、王太子であるディアルトを押しのけて立派な王になってくれるのでは」という夢を見始めたのだ。  リリアンナは結婚していないし、母親でもない。なので子を持つ女性の気持ちはあまり分からない。  それでも何となく、子供に自分が望む人生を歩んでほしいと願う母の気持ちなら、王宮にいる貴族の女性たちの噂で何度か耳にした。 「自分は失敗したから、娘にはそんな思いをさせたくない」という親切心から、「自分が叶えられなかった夢を、息子や娘に託す」というものまである。 (分からないでもないけれど、子供の人生は親の二回目の人生ではないわ)  心の中でポツンと呟いた時、カダンに話し掛けられた。 「……リリアンナ、美味いか?」 「はい、陛下」  メインの鴨肉料理を食べていたリリアンナは、慌てて口の中の物を飲み込み微笑む。 「先ほどはソフィアが勝手なことを言ってすまない。リリアンナはレディらしく離宮に籠もる必要などない。だがディアルトを追うなとも言えずすまない。あのようにして場が纏まってしまった以上、私が後で個人的に反対だと言っても大臣たちが渋るだろう」 「……ありがとうございます、陛下」  気遣ってくれるカダンに感謝するが、「この方は国王陛下なのに、謝ってばかりなのね」とも思ってしまう。  きっと彼は国王の座に座るには、優しすぎるのだと思う。 「……私を妻に逆らえない、不甲斐ない王だと思うだろうか」 「いいえ」  カダンの問いに、リリアンナはきっぱりと否定する。 「陛下はお優しい方です。殿下に対しても、国王である前に叔父であろうとされています。また、バレル殿下たちの良き父であろうとされています。愛情に溢れたお優しい国王陛下を、尊敬しても不甲斐ないと思うことはありません」  きっぱりと言い切ったリリアンナの言葉に、カダンは安堵した笑みを浮かべた。  恐らく誰かにこうして肯定されたかったのだろう。  国王という立場になれば、周りに甘やかしてくれる存在などいない。  常に一国の長としてのリーダーシップを求められ、弱さや個人としての優しさを出しても、誰も褒めてくれない。  一人だけ弱さを見せられるはずの妻も、あのように公の場で楯突いてくるのなら、その心労も大きいだろう。  カダンが王座についたのも、ディアルトが幼くして王太子となろうとした時、ソフィアが「殿下にはまだ無理です」と声を上げたからだ。  その代わり先王の弟としてカダンが暫定的に王座につくことになり、ディアルトは今のように王太子でありながら宙ぶらりんな存在になってしまった。  もともとカダンは、皆の尊敬を集めていた先王ウィリアの補佐をしていた男だ。  前を向きドンドン色んなことを決めていく兄王を尊敬し、彼が見落とすことをカダンが拾い集め、大臣や貴族たちに仕事を回してウィリアを支える。  少なくともウィリアが存命だった頃のウィンドミドル王国は、そのような形できちんと成り立っていた。  だからこそ、カダン本人も自分は国王に向いていないと分かっているのだろう。 「……私は王になるべき男ではなかった」 「そんなこと仰らないでください。陛下は立派な方です」  懸命に励ますリリアンナに、カダンはもう一度「ありがとう」と微笑んでから、話題を変えた。 「今日のデザートはレモンのシャーベットと、レモンタルトを用意した。リリアンナの好物だろう?」 「へ、陛下?」 (どうして陛下が私の好物をご存知なの? 殿下が教えたのかしら?) 「叔父上。リリアンナが喜ぶと、俺ももれなく喜ぶとよく分かりましたね」 「大事な甥のことは、分かっているつもりだ。これでも父親代わりだからな」 「ありがとうございます。戦地に行く前に、リリアンナが食べる姿をしっかり目蓋に焼き付けておきます」 「殿下」  軽口を叩くディアルトをジロリと睨むと、彼は悪びれもせず笑う。  それを見てナターシャが内心悶えていたのは誰にもバレず、くだんのデザートも食べ終え食事が終わろうとしていた。 「ディアルトお兄様、本当に前線に行かれるんですか?」  紅茶を飲んで尋ねたのは、ナターシャだ。  二十三歳になった彼女には、もちろん縁談の話が出ている。  黒髪は父譲り、美貌は母譲りで性格も明るく社交的で評判がいい。  だが彼女が目下夢中になっているのは、できすぎた従兄と皆が憧れる美しい女騎士の恋の行方だ。 「そりゃあね。戦況は元々気になっていたし、いい機会だと思っている。さっきも言った通り、出しゃばった真似はしないから安心してくれ」 「リリアンナと、離ればなれになってしまうのね……」  ナターシャが脳内の妄想を迸らせたのを知らず、リリアンナは懸命に王女を慰める。
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