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俺の妻になる気は?
「う……。いや、それは……。確かに君らしさが損なわれてしまう……、な」
「でしょう。想像するに、殿下は今のままの私を好きになってくださったのかと存じます。悔し紛れとはいえ、本意でないことを仰るのは得策ではないかと」
静かに言い、リリアンナは涼しげな視線をバラ園にやる。身辺警護をしているので、周囲を確認するその目つきは真剣だ。
同時に、〝いつもの仕草〟をすることで動揺した心を落ち着かせようとしていた。
「俺が君を好きだという気持ちは、認めてくれるのか?」
それでもディアルトは諦めない。
「……はぁ。好意を持ってくださっているということは、自覚しております」
リリアンナは溜め息を隠そうとしない。
「俺の妻になる気は?」
「ございません。そろそろ戻らなければ、夕食に遅れてしまいます」
にべもなく言ってからリリアンナは歩き始め、ディアルトもそれに続く。
「俺は第一王位継承者で良かったな。こうして君に、ずっと一緒にいてもらう権利を得たんだから」
「母は先王陛下をお守りしきれませんでした。私は母に憧れていますが、同じ轍は踏みません。どうぞご安心を」
夕暮れ時の空は、ラベンダー色から赤紫へとグラデーションに染まっていた。
果てしなく広い王宮の敷地には、中央の太陽宮殿の他、対角線に四つの宮がある。
その一つである月の離宮には、ディアルトとその母シアナが暮らしている。
星の離宮には国王とその家族が生活し、花の離宮は王位継承者の身辺警護をする者――リリアンナの住まいとなっている。
これからリリアンナはディアルトを月の離宮まで送り、一日の護衛を終えようとしていた。
「君が毎日努力しているのは、俺も知っている。……というか、騎士たちに混じって体を鍛えているのを毎日見ているからね。リリアンナのことは信頼しているし、何も心配していない。だが俺は、未来の王の立場で君を家族として守りたい」
「私は殿下には不釣り合いです。殿下にはもっと、華々しく女性らしい、家庭に入るに向いた方がお似合いかと存じます」
赤光に白銀の鎧を光らせたリリアンナは、しゃなりとして美しい。一歩ごとに揺れる長いポニーテールも、品の良い動きをしている。
リリアンナだってディアルトと毎日身近に過ごし、彼に特別な想いがないはずがない。それでもリリアンナには、ディアルトの想いに応えられない理由がある。
それを知らず、思わずディアルトはムッとして言い返してきた。
「リリアンナ。それを決めるのは君じゃない、俺だ。俺が自分に相応しい女性は君だと判断した。君が俺に似合う女性を勝手に決めるのは、早計だよ」
「大変失礼致しました。差し出がましい口をききました」
ディアルトに「勝手に決めるな」と言われ、リリアンナの気持ちはずぅん……と沈む。それでも護衛というものは、感情を表に出してはいけない。
淡々と謝罪すると、逆にディアルトが溜め息をついた。
「……そうじゃなくて……」
ハァ……と息をついてから、ディアルトはゆるゆると首を振り言葉を続ける。
「君にそう言わせたいんじゃない。〝王太子〟に対する〝護衛〟の言葉を言わせたくない。俺はリリアンナという一人の女性の言葉が欲しい」
「私はいつも、心からの言葉を殿下にお伝えしています」
ディアルトがどれだけ求めても、リリアンナの言葉は事務的だ。
――彼の気持ちに応えてはいけないから。
嵐のように続くディアルトの想いに負けないと思っていた時、リリアンナの耳元に風がわだかまる音が聞こえた。
スッと片手を差し出すと、そこには小さく渦を巻いた風の中に、半透明の衣をそよがせた風の精霊の姿がある。
金色が混じった緑の目を前方にやり、リリアンナは精霊の言葉に耳を傾けた。
「……ええ。……はい。分かりました」
精霊に向かってリリアンナは優しげな微笑みを浮かべ、頷いたあとに精霊に別れを告げた。
「今のは精霊? 何て?」
「前線の戦いが、今日も終わったそうです」
夕焼けに照らされる中、リリアンナは祈るように呟く。
「もう……十五年以上も続いているのか」
ポツリと呟かれた言葉に、リリアンナは沈黙を返す。
隣国ファイアナは、火の精霊に祝福された国だ。
火だけあり、人々はいい意味でも悪い意味でも情熱的だ。国民は活発で明るく、感情が豊かだ。同時に好戦的とも言える。
ファイアナはその性質の通り国土の一部が砂漠化していた。国土を開発しようとして森林を切り開いた結果で、自業自得と言えばそれまでだ。だがファイアナは植林をしたり、水や土、風の国からの援助を受けてまた緑を取り戻そうとしなかった。
侵略し、より良い国土を手に入れれば良いと思ったのだ。
ファイアナの現国王カンヅェルは『苛烈王』とも呼ばれ、周辺国が何度交渉のテーブルに呼んでも、応じたことはない。
ウィンドミドルは国土が広く、森林や海、湖などに恵まれた国だ。
運が悪いことに、その豊かさに十五年前ファイアナの前王に目をつけられた。「それだけ国土が広いのだから、少しぐらいいいだろう」と攻め込まれたのだ。
今や国境近くには要塞が幾つも建てられ、毎日国境を越えて攻めてこようとするファイアナの軍を食い止める毎日だ。
その中にはリリアンナ同様、風の精霊に愛された騎士や術士が大勢いる。
一般の騎士や兵のことも、リリアンナは大事に思っていた。
同じ〝戦う身〟として、自分だけ安全な王宮でぬくぬくとしているのが申し訳ない。
そんな思いがあるからこそ、リリアンナは一人の騎士として、ここで王太子の求愛に応える訳にいかないのだ。
「前線の騎士や兵士たちへの祈りは、捧げても捧げても足りません」
「……君が毎朝、俺を起こしにくる前に祈っているのも知っているよ」
「なぜ」
「……君の寝顔を覗きに行ったことがあるから」
(……この人は)
あまりに素直に自身のストーキング行為を白状したディアルトに、リリアンナは冷たい視線を浴びせた。
だがディアルトは懲りた様子もみせず、ニコニコとして言葉を続ける。
「君は起きるのが早いね。早朝に起きて走り込みをして、汗を流して。それから食事をしてから、俺の所に来ているんだろう?」
「よくお分かりですね」
皮肉を込めた言葉に、ディアルトは反省の色すら見せず、むしろ照れている。
褒めていないのだから、照れないでほしい。時々、この王太子のどっしりと構えすぎた態度に呆れてしまう。
「探偵の真似事をするのもご勝手ですが、あまりお一人で出歩かれませんよう。何のために私がいるのか、分からなくなります」
「言っておくけど、俺も強いからな? 純粋に剣だけでなら君に勝つ自信がある」
ディアルトは腰に下がっている剣に触れ、そのずっしりとした重量を確認する。
「存じ上げています。殿下の長剣と私のレイピアなら、すぐに結果が出るでしょう」
「よく言うよ。レイピアは細身の剣だが、騎士の持つ片手剣とあまり重量差はない。君の刺突は地獄の突きだと騎士が言っていた。ここでこうやって君が謙遜するのも、俺が王太子だから……なのかな」
月の離宮が近くなってきた。
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