朝食と侍女との会話

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朝食と侍女との会話

「朝食の準備ができております」  汗を流し、長い髪を流したままのリリアンナは、バスローブ姿で食卓に着く。  厚切りにしたトーストは二枚。一枚はバターと蜂蜜や季節のジャムを塗る。  もう一枚は、ハーブや胡椒入りのチーズを塗って食べる。  それがリリアンナのお気に入りだ。  加えてたっぷりのサラダに、コーンスープ。ハムやウィンナー、スクランブルエッグ。  貴婦人が食べるには量が多いけれど、リリアンナは人一倍体を動かしているので丁度いい。  花の離宮の料理人も、リリアンナは美食家な上によく食べるので、働きがいがあると言っている。 「お嬢様、お部屋にあるバラはどうされたのです?」  アリカに訊かれ、リリアンナは一瞬喉を詰まらせる。  すぐに水を飲んで侍女を見ると、アリカは意味ありげな笑みを浮かべていた。  そんな侍女を見てリリアンナは赤面し、しどろもどろになって説明する。 「……あ、あれは……。で、殿下に頂いたわ。どうしよう。お返しとか考えた方がいいのかしら?」  リリアンナの執務室のデスクには、一輪挿しにバラが挿されてある。有能な侍女はそれを見逃さなかったのだ。 「一輪のバラの意味は、『あなたしかいない』。赤いバラの花言葉は『情熱』『愛情』『美貌』『あなたを愛します』」  詩をそらんじるようにアリカが言い、リリアンナは目を丸くした。 「そ……そんな意味があったの?」 「お嬢様ほどの年齢のレディなら、皆様ご存じのことです。お嬢様が興味がなさすぎるだけです」  時々この侍女は、主に対して辛辣になる。 「殿下に告白されたのですか? 今さら……という感じも致しますね」 「……そう、ね」 「もう九年のお付き合いですものね」 「殿下も成長されたわ。出会った時はヒョロッとした少年だったのに、今は私よりずっとお体がしっかりしていて……。腕力だけなら敵わないもの」  リリアンナは嬉しそうにディアルトの成長を喜ぶ。  彼の前にいた時のツンツンとした態度が嘘のように、侍女の前では素直になるのだ。  朝食を平らげたあとの皿は片付けられ、アリカが紅茶を淹れてくれる。 「お嬢様も、殿下を男性として意識されることだってありますよね?」  意味ありげな言い方をするアリカを、リリアンナは赤面したまま横目で睨む。 「……あれだけの美男子を意識するななんて、拷問に近いわ。……でも私は、護衛係だもの。浮ついた気持ちでいれば、殿下を守れなくなる」 「だからあんなにツンツンしているのですか?」 「気を抜いていたら、とっさに戦えないわ」 「……そこが、お嬢様の不器用な所なんですよねぇ……」  リリアンナの前に紅茶を出し、アリカは妹を見るような眼差しで微笑む。 「私は現場を見ていませんが、お嬢様の対応ぐらい想像できます。一世一代の告白を、どうせすげなく断られたのでしょう?」 「…………」  ズバリと言い当てられ、リリアンナは何も言えない。  代わりに紅茶を一口飲んだ。  アリカの淹れる紅茶は、悔しいほど香り高く美味しい。 「殿下のお気持ちは本物だと思います。傍から見ている私にだって、殿下のお嬢様への想いは溢れてくるほどですもの。どうしてお応えできないのです?」 「それは……」  アリカの問いに、いつも明朗な言葉を発するリリアンナは珍しく口ごもる。 「……私など、殿下に似合わないわ」  たっぷり五秒ほど経ってから、リリアンナが呟く。  それは男女問わず憧れられている美女とは思えない、卑屈なものだった。 「どうしてです?」 「…………」  リリアンナは答えられない。  その理由はとても独りよがりで、なおかつ確証のないものだった。なので、「こうだから」とハッキリと口に出せない。  黙り込んでしまった主を見て、アリカは溜め息をついた。 「事情は存じ上げませんが、お嬢様はこの国が誇る名門イリス家のご長女です。容姿端麗、頭脳明晰。老若男女問わず見る者すべて、お嬢様の虜になるような完璧な女性で、私の自慢のお嬢様です。……そのような方が、謙遜や自虐をされているのなら、思い直すべきなのではありませんか?」  アリカの言葉はもっともだ。けれど――。 「そういう問題なら……、まだ楽に考えられるのだけれど」  自分がディアルトに似合わないと言った理由は、〝そう〟ではないのだ。 「差し出がましいことを口にしました。お嬢様にはお嬢様のお悩みがあるのですね」 「いいえ、いいの。アリカはいつも私のことを考えてくれているわ。今あなたが言ったことだって、正しいことだもの」 「畏れ入ります」 「けれど私は……、殿下のお気持ちを受け取る資格はないのよ」  寂しそうに呟くと、リリアンナは凛と咲く一輪のバラを思い出す。  スッと伸びたあのバラは、ディアルトのようだ。  いつも真っ直ぐな目をしていて、誇り高く美しく、いい匂いがする。  遠い目をしてティーカップに唇をつけるリリアンナを、アリカは憐憫に似た気持ちで見つめていた。 **  毎朝リリアンナにはルーティンがある。  走り込みと花の離宮で風呂に入り朝食をとった後は、ディアルトの住まいである月の離宮まで、全力疾走をするのだ。  二百メートルほど離れた月の離宮まで、万が一の事を思ってすぐ駆けつけられるようにする。それもまた、リリアンナの鍛錬の一つだ。  風の精霊の力を使わず、リリアンナは二十秒ほどで月の離宮に辿り着いた。  最後にタンッと軽くジャンプをして入り口前のモザイクタイルに跳び乗ると、衛兵が声を掛けてくる。 「おはようございます。リリアンナ様」  待っていましたという表情で話しかけてくる彼らは、寝ずの番をした眠気も吹き飛んだかのようだ。 「おはようございます。殿下はまだ起きていませんね?」  相手がどんな者であっても、リリアンナは丁寧な口調を崩さない。  それを慇懃無礼と言う者もいるが、ほとんどの者はその口調からリリアンナの高貴さが表れていると、より心酔している。  むしろ男性の中には、その丁寧な口調で罵倒されたいという欲を持つ者もいるので、始末に負えない場合もあるが。 「はい、まだ外出されていません」 「ありがとうございます。夜通しのお役目ご苦労様です。もう少しで交代の時間になりますから、それまで頑張ってくださいね」  そう言ってリリアンナは衛兵二人に頭を下げ、長靴の音をカツカツと立てて離宮の中に入ってゆく。 「……いい匂いするな。リリアンナ様」 「本当に、夜勤はこの瞬間のためにあるって言ってもいいよな……」  扉が閉まった後、衛兵はどこか緩んだ表情でそう言い合うのだった。
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