朝練

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朝練

「……その姿勢は大変ご立派です。ですが今回の場合、私という〝相手〟がいることをお忘れなきよう」  冷静さを失わず、リリアンナもベッドから下りて乱れた衣服や髪を直す。 (……どうしたらいいの。二人で寝台から下りて衣服を整えるだなんて……。まるで情事のあとみたいじゃない。こんな場面をシアナ様に見られてしまっては、誤解を受けるわ)  月の離宮には、ディアルトだけではなく彼の母シアナも同居している。  実際のところディアルトの母――シアナは、息子がリリアンナを想っているのを全力で応援していた。  リリアンナの性格や武勲、すべてを気に入っているシアナは、彼女をすでに嫁のように扱っている。母子そろってリリアンナにベタ惚れなのだ。  だがシアナに良くしてもらっている自覚はあれど、リリアンナは自分が彼女に認められていると思っていない。  あくまで自分はディアルトの護衛なのだとわきまえている。 「でも、君。嫌がってなかったじゃないか」  続き部屋になっている衣装部屋へ向かいつつ、ディアルトが笑う。 「……殿下のお手が早いからです」  あたかも自分がディアルトに気があるという言い方をされては不本意で、リリアンナは脊髄反応のように言い返す。  だがそもそもにしてキスを拒まないということ自体、ディアルトに気があるということを失念しているのだった。  それからディアルトが着替える間、リリアンナは寝室にあるソファで待っていた。  手持ち無沙汰に乱れたベッドを整えるのは、メイドの仕事を奪うことなので控えている。  だが早朝の沈黙の中、ディアルトが着替える衣擦れの音しか聞こえないというのは、いささか心臓に悪い。 (もう……。殿下ったら気を遣わないんだから。ドアを開けっぱなしでお着替えなんでしょう? トラウザーズを脱いで下着一枚になって……、また一枚一枚身につけて……)  ディアルトが着替えているシーンを想像し、リリアンナは一人赤面する。  いつも一緒にいる相手だとしても、リリアンナにとってディアルトは憧れの王子だ。  そんな人が繋がった空間で着替えているとなると、彼女だって胸を高鳴らせる。 「待たせたね」 「いいえ」  ディアルトの声がし、リリアンナはスッと立ち上がる。  その表情も、もう動揺していない。いつものクールなリリアンナだ。  これから騎士たちに混じって朝稽古をこなすディアルトは、動きやすいシャツとトラウザーズのみという姿だ。  リリアンナが一度廊下に出て「お願いします」と言うと、ディアルトの身の回りの世話をしているロキアという従者が入室する。  三十二歳のロキアは、アリカの夫だ。そしてディアルトの兄のような存在で、いつも彼に助言をしている。  側仕え同士が夫婦だというのに、肝心の主たちはもどかしい恋愛をしているのだ。 「リリアンナ様。今日も麗しく存じます」 「ありがとうございます」  ロキアはディアルトに黒い甲冑を着せるのを手伝いつつ、リリアンナと世間話をする。 「こら、ロキア。いつも言っているがリリアンナを口説くんじゃない。アリカに言いつけるぞ」 「恐れながら、アリカさんがこの場にいたら、私と一緒にリリアンナ様の美を賞賛していると思います」  ロキアはアリカと似た者夫婦だ。  主に対してこの上ない忠臣なのだが、それゆえに正直すぎる所があり、主に忌憚なくものを言う。  よってリリアンナもディアルトも、それぞれアリカとロキアに口で敵わないのだ。  リリアンナは目線だけでディアルトに「逆らうな」と言い、彼もそれに一つだけ静かに頷く。 「いつも通りのご予定で、お時間になる頃には朝食を用意しておきますね」  眼鏡をかけ黒髪を撫でつけたロキアも、精霊に愛された存在で目に若干金色が入っている。  従者という役職だが、彼もその気になれば戦える。そのようなことはないのが一番いいのだが――。 「じゃあ、行ってくる」  甲冑を身につけたディアルトは、具合を確かめるようにピョンとその場でジャンプをしてから、部屋の隅に立てかけてあった剣を取った。 「行こうか、リリアンナ」 「はい、殿下」  そして二人は、門より外にある騎士の修練場へ向かった。  ディアルトは隣を歩くリリアンナの横顔を盗み見て、一人微笑んだ。  彼女は知らないことだが、ディアルトは毎日リリアンナが起こしに来るよりも早く起きている。  そしてリリアンナと鉢合わせにしない場所で、一人自主訓練をしているのだ。  リリアンナが起こしに来るよりも早く月の離宮に戻り、風呂に入ってから寝たふりをする。  愛しい彼女がプリプリ怒って起こしてくれるのを、毎朝心待ちにしていた。  ロキアには「面倒臭い人ですね」と言われているが、少しでもリリアンナに構ってもらえるのなら、どんな手段でも執りたい。 (それにもうすぐ……)  いずれ訪れるだろう〝出来事〟に思いを馳せ、ディアルトは覚悟を決めた目になる。  それまではリリアンナとのこの生活に身を浸し、甘い時間を味わいたいと思うのだった。 ** 「おはようございます!」  修練場に着くと、二人の姿を認めて騎士たちが声をかけてくる。  ディアルトは彼らに親しげに手を挙げて挨拶をし、リリアンナは対照的に修練場に入る前にきっちり一礼をする。  朝の訓練は、特に全体で号令をかけての修練ではなく、あくまで自主練だ。  騎士団としての全体訓練は朝食後に点呼をし、きっちりとする。  ディアルトとリリアンナは手始めに、騎士の隊舎や修練場を含めた、騎士エリアをまず五周する。  勿論、鎧を着用して剣を下げたままだ。走った後は屈伸や股割りなどをして体をほぐし、綿を詰めた人型を相手に、キックやパンチなど体術の訓練をする。  本来なら腹筋や背筋、腕立て伏せもメニューに入っているが、離宮でもできるメニューなので各自こなしている。  それが終わると二人一組になり、耐衝撃の重たい盾を片方が持ち、本格的な体術の練習になる。 「じゃあ、いつも通りリリアンナから」 「お先に失礼致します」  重量級の盾を構えたディアルトを前に、リリアンナは目つきを鋭くし、腰を落とす。 「シュッ」  すぼめた口から空気が漏れると同時に、彼女は鋭いパンチを盾に叩き込んだ。  ドムッと重たい音がし、盾を構えていたディアルトの足に力が入る。  周囲から、「女王蜂の一撃がいったぞ」と誰かが呟いたのが聞こえた。  外野の声がしても、リリアンナは攻める手を止めない。  立て続けにドムッドムッとパンチが連続し、ジャンプをしつつ体がグルッと回転したかと思うと、強烈な回し蹴りが決まった。 「っく!」  盾越しにドォンッと大きな衝撃が走り、ディアルトはマウスピースを噛む。その後、嵐のような猛打に足技が三分ほど続いた。
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