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ディアルトのリズム
「っは……、はぁっ」
額に汗を光らせたリリアンナが動きを止めた頃、ディアルトは開始の位置から大分ずれた場所にいた。
「ご苦労様、リリアンナ」
「殿下、盾役ありがとうございました」
「どういたしまして。君の盾役は俺しかいないからな」
ディアルトの言葉が、リリアンナには〝特別〟に思えて少し嬉しい。
その気になれば男性であるディアルトの相手役はもっと強い騎士が務め、女性であるリリアンナの相手は相応の騎士が務めてもおかしくない。
だがディアルトは「君の相手は俺がするから」と言って、必ず練習に付き合ってくれるのだ。
「じゃあ、俺の番だ。君は休んでいて」
「はい」
リリアンナの打撃訓練はディアルトが受けても、その逆はない。
ディアルトは騎士団の精鋭に並ぶ腕前で、彼の打撃や蹴り技の威力も半端には終わらない。
リリアンナも耐衝撃訓練をしているが、攻め手ががディアルトだと衝撃が重たすぎるのだ。
またディアルトも、リリアンナが受けるとなると思い切り拳を振るえない。
「殿下、お相手致します」
そこに明るい声で近寄ってきたのは、ケインツという二十四歳の騎士だ。
ディアルトより二歳若いながら、ケインツは例の精鋭グループに属している。
剣の腕も超一流で、体術だけでも強い。おまけに美形なので、騎士団の中で一、二を争う人気者だ。
リリアンナは修練場の隅にあるベンチに座り、水を飲みながらディアルトを見守る。
彼女は無造作に脚を組み、ペチコートから白い太腿が出ても構わない。
だがその光景をベンチ近くにいた騎士たちは、劣情の籠もった目で見てしまう。
リリアンナの視線の先、ディアルトは甲冑の重さなど感じさせないジャンプをしたあと、真剣な顔つきになった。
「シッ!」
肺腑から鋭い呼気を吐き、同時にえぐるようなパンチが盾を襲う。
ドォンッと明らかにリリアンナの時より重たい音がし、ケインツの後ろ足がズッと下がった。
精鋭ほどのレベルになると、剣を持たずともパンチやキックだけでも嵐のような衝撃が起こる。
パンチの風圧だけで蝋燭の火が消えるし、蹴りがまともに人に当たったらどうなるか分からない。
広い修練場の隅とは言え、十分に周囲に空きを作った空間でディアルトが舞うように体を動かす。
騎士たちの攻撃をその身に浴びてきた盾は、衝撃を吸う素材でできている。
だがディアルトの重たい一撃を喰らう度に、盾の裏側の骨組みは軋むような音をたてていた。
「…………」
ベンチに座ったまま、リリアンナはじっとディアルトを見守る。
長い脚を組んだまま、リリアンナは指で自分の腿を軽く打っていた。
トン、トトン、トトトン、トン、トトン。
それは、ディアルトの攻撃のリズムとピッタリ重なっている。
長い間ディアルトと行動を共にし、リリアンナは彼の癖から何もかもを知っている。
様子を窺っている時のリズムも、乗ってきた時のリズムも、ラッシュを浴びせている時のリズム、仕上げのリズムも、何もかも。
すべて長年聞き続けてきた音楽のように、リリアンナの体に刻み込まれている。
雨音などを聞いている中で知ったリズムがあると、〝その時〟のディアルトの表情を思い出すほどだ。
(……殿下、今日はあまり集中力がないような……。どこか気持ちが明後日の方向を向いているわ)
リズムを聞き分け、リリアンナは内心首を傾げる。
(後で訊いてみましょう。主の心身の健康を知るのも、護衛係の役目だし)
やがて凄まじいラッシュの後に仕上げの連続蹴りを二発喰らわせ、ディアルトの体が温まった。
「ケインツ、ありがとう」
「どういたしまして」
汗を拭きつつディアルトは笑い、剣を持って待っているリリアンナの方へ歩いてくる。
「リリアンナ、剣稽古をしようか」
「はい」
ディアルトはリリアンナから長剣を受け取り、スラリと抜く。
リリアンナもレイピアを抜き、二人は打ち合いができるだけ広い場所へ移動していった。
ディアルトはヘルムを被り、リリアンナは風の精霊の加護を纏い、強固な鎧代わりにする。
こうすることで、リリアンナは超軽装でありながら、高い防御力を誇っていた。
向かい合い一礼をしてから、軽く剣の切っ先を合わせる。
(……これ、いつも切っ先でキスしてる気持ちになるのよね)
真剣での練習だというのに、思わずリリアンナはそんなことを考えていた。
「殿下、参ります」
しかし気持ちを取り直し、グリーンの瞳に挑戦的な光を宿すとリリアンナは先制一撃を繰り出した。
ビュッと空気を切り裂く音がし、とっさにディアルトが体をずらした肩当ての先に、切っ先がかすった。
同時にディアルトも鋭い突きを入れ、リリアンナが後方にジャンプして躱したのを追撃する。
「相変わらずリリアンナ様の初撃はえぐいな」
「美貌にボーッとして、あの一撃に沈んだ奴が何人いるか……」
「だが女王蜂の一撃を受けられるのは、名誉なことだぞ。相手すらできない奴のみじめさを思えば……」
周囲で休んでいる騎士たちが好き勝手なことを言うが、リリアンナの耳には入らない。
目の前のディアルトにのみ集中していると、彼が中段の突きを入れてきた。
リリアンナは体を猫のようにしならせて躱し、カウンターでビュッとレイピアで突く。
(殿下、いつもならこんなに簡単に躱せるような突きはしないのに……)
彼の心許ない心情が太刀筋で分かってしまい、リリアンナは怒ったような声で発破を掛ける。
「殿下、お気持ちがどこかよそへ行っていますよ!」
その後はリリアンナの猛攻となった。
騎士たちが〝地獄の突き〟と呼ぶ、レイピアの連続突きが繰り出され、ディアルトはそれを剣でいなしながら後退する羽目になる。
「私を目の前にして、他のことを考えるのはやめて頂きましょうか! 実戦でそのように呆けていれば、殿下のお命がありませんよ!」
緑の目に怒りすら燃やし、目付役のようにリリアンナは説教をした。
互いの刀身すら見えない、残像だけの世界で二人の熱は高まっていた。
リリアンナはディアルトだけを見て、彼もまたリリアンナしか見ていない。
風を切る音と金属音が続く合間に、ディアルトの声がする。
「その時は――」
「出るぞ」
誰かがボソッと呟いた。
瞬間、バチィッ! と雷が爆ぜるような音がし、周囲に突風が吹き抜けていった。
「……君が、守ってくれるんだろう?」
ディアルトが放った一撃は、リリアンナのレイピアの突きより鋭い。
あまりの風圧に風の中に含まれる雷の精霊までが共鳴し、巻き起こった風はリリアンナの手からレイピアを奪い、スカートを大きくめくり上げた。
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