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仲のいい母子
「ッヒュウ!」
白いペチコートが膨らんだ中に真っ白な下着が見えて、騎士たちが喝采を上げる。
「…………」
カランッと音をたててリリアンナのレイピアが地面に落ち、遅れて彼女のポニーテールや衣服がフワリと戻ってゆく。
リリアンナは呆然として目を見開き、固まっていた。
猫がびっくりしたような顔を見たからか、ディアルトが焦って声を掛けてくる。
「ご、ごめん。この技は使わない約束だったな」
「……いいえ。私はそのようなこと、一言も申し上げておりません」
我に返ったリリアンナは、冷静に衣服や髪を整えるとレイピアを拾いに行った。
「俺が使わないと言ったんだよ」
その言葉の裏に、「威力が強すぎてリリアンナの軽装を捲ってしまうから」という意味があったが、もちろんリリアンナは知らない。
加えてリリアンナは自分を〝令嬢〟と思わず〝女の格好をした騎士〟と思っているので、多少下着が見えた程度で動揺しない。
「殿下の奥の手を失念していました。さすが、お強いですね。張っておいた風の障壁も、今の一撃で吹き飛んでしまいました」
レイピアを腰の鞘に収めると、リリアンナは一度休憩を取るため歩き出す。
(こんなにお強いのはやはり……)
胸の奥にある思いが沸き起こり、リリアンナは諦念に似た笑みを浮かべる。
「リリアンナ、どうかしたのか?」
そんなリリアンナの雰囲気に気づいたのか、ディアルトはベンチに座ったリリアンナの隣に座り、顔を覗き込んできた。
「……いいえ。ただ殿下は、やはり将来王座につくべき方だと再認識しただけです」
「それはそうだけど……。今のは本気を出した時のみの恩恵だ。……俺には精霊は見えないから」
何気なく言った言葉は、誰もが知っていることだ。
王家の者が多く有する金の目を持ちながら、ディアルトは精霊を見ることができない。
よって、自分の意志のままに行使することもできない。
だから彼は、ただ純粋に己の肉体を鍛え上げていった。
そのことを特に王妃ソフィアは声高に陰口を言う。彼女の取り巻きたちも、ディアルトを嗤っていた。
幼い頃は神童と呼ばれ、誰もがディアルトが今までにない王になることを期待していた。
だが子供時代のある日、彼の体から根こそぎ守護精霊が失われてしまう。
本来なら先王ウィリアの息子として、現在ディアルトが若き王になっているはずだった。
しかしディアルトが精霊を見られないことを理由に、ソフィアの息がかかった大臣たちが即位に反対した。
よってディアルトに力が戻るまでは、暫定的にウィリアの弟のカダンが王位につくことになったのだ。
ディアルト派の者が「体のいいことを」と渋面になるのは仕方がない。
彼がもう一度精霊を見られるようになるには、どうしたらいいか。そんなこと、誰も分からないからだ。
「……そのうち、私が必ず精霊が見られるお体にしてみせます」
リリアンナの呟きに、ディアルトは何も気にしていないように笑う。
「気にしなくていいよ。俺だって王座なんてもの、つかなくていいならそれで楽だ」
「殿下」
咎めるような声に、ディアルトはペロリと舌を出す。
「……本当は、君が側にいてくれるなら、何だっていいんだけどね」
「……またそのようなことを……」
「さ、あと二戦ほどしようか」
「はい」
汗を拭き水分補給をした二人は立ち上がり、また剣を交えるのだった。
**
「今日は中央宮殿に呼ばれているんだ」
朝練を終え、花の離宮で汗を流したリリアンナがまた月の離宮に向かうと、ディアルトが面倒臭そうに言う。
月の離宮の朝食の席には、ディアルトの母シアナもいる。
いつものようにリリアンナも同席し、彼女は紅茶とお茶菓子を頂いていた。
「リリアンナは今日も美しいわね」
「恐縮です、陛下」
「私を今も『陛下』と呼んでくれるのは、あなただけだわ」
シアナは今、四十九歳だ。
二十六歳のディアルトの母として妥当な年齢だが、若々しく美しい。それでもやや年波に勝てない小じわや、夫を失いソフィアとの争いに疲れた様子もある。
しかしその顔は、先王の妻であったという誇りに満ちていた。
「宮殿の情勢がどうなっても、陛下が殿下のお母上であること、先王の賢妃であったことは変わりありません」
「……ありがとう。リリアンナ」
リリアンナはこの朝食の時間が好きだ。
(ロキアの紅茶は美味しいし、殿下と陛下と穏やかに過ごせる時間はこの上ない至福だわ。家族以外に一緒にいて心穏やかになれるのは、この方々だけ……。でも、そんな思い上がった気持ちを、外に漏らしてはいけないわ。ちゃんと主従の区別はつけないと)
そうリリアンナが思っている傍ら、ディアルトが中央宮殿に行くと聞いたシアナが、少し低い声で言う。
「あなた、またソフィア様たちに何か言われるんでしょう? 何か思うことがあれば、言い返していいのですからね? あなたは本来なら王座に座っている人間です。陛下もそれは了解済みのはずだわ」
カダンはともかく、王妃が絡む話になるとシアナはやや神経質になる。
「分かっていますよ、母上。ただ俺は言い返すほどの気持ちにならないだけです」
何も気にしていないという様子のディアルトは、飄々と答えて半熟のゆで卵をスプーンですくって口に入れる。
「……あなたは優しすぎるわ、ディアルト」
「そんなことありませんよ」
「……もう。……それはそうと、今日もリリアンナとちゃんと訓練できたの?」
「ええ。俺のリリアンナは、今日も華麗で強かったです」
「殿下。誰が『俺のリリアンナ』ですか」
ディアルトの軽口に、リリアンナが思わず突っ込む。
「リリアンナは今日も可愛いわね。私メイドから教えてもらって知ったんだけど、そういうのクーデレって言うんですって?」
(陛下、なんですかそれ! 私、殿下の前でデレてなどいません!)
「存じ上げません」
シアナまでもが乗ってきて、リリアンナは頭が痛くなる。
「あなたがディアルトのお嫁さんになってくれたら、あなたは将来王妃ねぇ。あなたなら美しく強く、賢い王妃になるわ」
「陛下まで……」
心安らぐ時間なのだが、話がこういう方向に逸れるのが少し苦手だ。
(殿下のことは好きだし、陛下のことも尊敬しているわ。でも結婚なんて言われたら……。もう本当に畏れ多くて……。駄目だわ。雑念が多くなってきた。あとで腕立て腹筋背筋をしなければ)
それから話は二人が結婚した後の話になり、リリアンナはとうとう無言になってしまった。
気の合う母子を相手にすると、リリアンナのような不器用な女子は何も言えなくなってしまうのだった。
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