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謁見
その後、ディアルトは濃紺のジャケットにアイボリーのトラウザーズ、革のブーツという姿に着替えた。リリアンナもディアルトに随行し、中央宮殿に向かう。
「殿下、タイが少し曲がっています」
宮殿に入る前、リリアンナはディアルトの姿を確認し、タイを直す。
その様子を、衛兵が羨ましそうに見ていた。
「君もドレスを着れば良かったのに」
ディアルトが残念そうに呟く。
リリアンナは普段通り、青いオーバードレスに白いペチコート、白銀の鎧という姿だ。
「私は護衛です。ドレス姿では、殿下をお守りできません」
ピシャリと言うと、ディアルトは「ちぇー」となんとも子供のような反応をし、下唇を出した。
そんな彼の反応を見て、リリアンは思わず溜め息が出そうになる。
(殿下はやはり、ドレスで着飾った女性がお好きなのかしら。いつもお側にいるのが私のような粗忽者で申し訳ないわ)
内心落雁するも、リリアンナはキリッと〝護衛〟として表情を引き締め、中央宮殿に向かった。
「陛下。ディアルト、参りました」
謁見の間の赤い絨毯の上で、ディアルトが一礼をした。リリアンナは彼の後ろに控え、同様に深く礼をする。
「ディアルト、そう畏まらないでくれ。リリアンナもいつもご苦労。二人とも楽な姿勢をとってくれ」
「……は」
言われた通り二人は楽に立つ。視線の先、玉座には先王に面差しが似ているカダンが座っていた。
豪奢な玉座に座ったカダンは、甥であるディアルトを前にすると、いつもどこか困ったような顔をしている気がする。
四十九歳になり頭に白いものも多くなっている。
だがその顔は若い時分にウィリアと共に美男子兄弟として名を馳せていた面影のまま、今でも美しい。
「調子はどうだ?」
かけられた言葉は、叔父から甥へのごく自然な言葉だ。
公の場ではこうしてディアルトが下手に立つ立場になっているが、プライベートではカダンはとても甥思いの叔父であった。
亡き兄の忘れ形見であるがこそ、優しくしてやり、生活や環境にも気を遣い、不自由する事のないよう配慮している。
リリアンナから見ても、その思いをディアルトも十分受け取っているように見えた。
だがここは謁見の間であり、同じ場に王妃ソフィアや王子たち、そして貴族たちもいる。
ディアルトはいつも通り自然体の表情・雰囲気を発していたが、彼がこういう場で〝親戚〟として馴れ馴れしい態度を取らない人なのを、リリアンナも分かっていた。
「お陰様で、毎日幸せに暮らせています」
のんびりと答えたディアルトに、この場で誰よりも鋭い視線を向けているのは王妃ソフィアだ。
カダンとソフィアの側には、二人の子供である第一王子バレル、第一王女ナターシャ、第二王子オリオもいる。
実質、王太子であるディアルトと覇権争いをする可能性のある彼らだが、三兄弟はまったくその気がない事もリリアンナは知っている。
現実、ソフィアが一人ディアルトを目の敵にし、彼をどうにか王宮から追いやって自分の子供たちを次の王にしようと画策しているのだ。
一人和を乱すソフィアに、もちろんカダンも子供たちも辟易としている。
だがカダンは温和な性格であるがゆえに妻にあまり強く言えず、子供たちも母親なので見て見ぬ振りをしているという感じであった。
「そうか、何か望みはないか?」
ディアルトの答えにカダンはホ……と安堵し、何とかして甥に甘えさせようと望みを尋ねてくる。
「お気遣いありがとうございます。ですが私は現状に満足しております。あえて言わせて頂くなら、リリアンナと結婚したいと思っていますが」
(な……っ!?)
謁見の間に相応しくないディアルトの軽口に、リリアンナは一人動揺した。
ブワッと汗が出て、動悸がおかしくなる。
バクバクと心臓が口から出そうになるのに、憎たらしいディアルトはつらっとしてカダンに向かって笑いかけているのだ。
(殿下……っ。あ、あとで覚えてらっしゃい)
羞恥に頬を赤くしながらも、リリアンナは必死に背筋を伸ばす。
「はは! ディアルトは変わらないな。いつもお前は口を開けばリリアンナの事ばかりだ。お陰で王宮ではお前とリリアンナは公認の仲のようになっているぞ? リリアンナ、お前はディアルトをどう思っているのだ?」
(えぇっ!? 私にその話題を振るのですか!?)
カダンに話題を振られ、リリアンナはポニーテールが逆立ちそうなほど動揺する。
その場にいる全員がリリアンナに注目するのが分かり、新たにふつふつと汗が出てくる。
まるで公開処刑だ。
それでもリリアンナは長年を通して身につけた『護衛』としての表情を貼り付け、冷たい視線をディアルトに向けた。
「……陛下、お戯れを。私は一介の護衛係に過ぎません」
「だ、そうだ。ディアルト」
「そんなぁ。こんだけ一緒にいるのに、俺の気持ちは伝わってないのかなぁ」
笑いを含んだ声でカダンが言い、ディアルトもわざと情けない声を出す。
周りもクスクスと笑っていて、恥ずかしくて堪らない。
(恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!)
リリアンナはディアルトのことを見ず、直立不動で前を向いている。だがその心は嵐のように荒れ狂っていた。
「なんだぁ……。陛下の前でならいつもと違う返事を聞かせてくれると思ったのに、やっぱり駄目だったか」
残念そうに言ったディアルトの声に、周囲からクスクスと静かな笑い声が起こる。
一連の茶番……とも取れる身内のやり取りに周りが笑ってくれるのは、ディアルトが〝半分〟は王宮の者に受け入れられている証拠であった。
やがて和やかな空気になったところで、カダンが本題を切り出してきた。
「それで……、ディアルト。王座に座る決意はできたか?」
その途端ソフィアがさらに厳しい顔になり、彼女を擁護する大臣や貴族たちがわざとらしい咳払いをする。
カダンが見守るような、試すような目でディアルトを見つめる先、彼は穏やかな表情で首を横に振った。
「いいえ。いまだ精霊を見られない私は、王座に座れません。精霊に守護されているウィンドミドルの玉座にすわるべきは、守護の強い者と決まっています。ファイアナとの戦もまだ収まっていない今、先王の時より共に戦略を練っていらした陛下が引き続きお座りになるべきと思っております」
「それは――、ご自身が無能であるとお認めになった。……と取って宜しいですね?」
突如張り上げられた女性の声が謁見の間に響き、高い天井にワンワンと反響した。
全員がハッとしてそちらを見れば、ソフィアが勝ち誇った顔でディアルトを見下ろしている。
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