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ルーシーは、お茶を一口すすった。普通の紅茶の味がした。目の前に座っている男は、家の中がこの国で群を抜いて汚かったり、他人が家の中にいるのにずっと寝ていたりと変なところもあるけれど、普通なところもあるんだなあ、と感じた。
すると、男がじっと自分を見つめていることに気づいた。
「あの、何でしょう?」
ルーシーが顔を上げると、彼は、
「ああ、やっぱり」
とうなずいた。
「僕と君は前に会ったことがあるんだ。覚えてる?」
ルーシーは記憶の中をたどってみた。彼ほどハンサムなら、見かけたら、どんな人でも目に焼きついているはず。けれども、まったく思い出せなかった。彼女は首をかしげる。
「そうか。だったら、これならどう?」
そう言って、彼は玄関の近くにあるポールハンガーのもとへ行き、そこに掛かっているワインレッドのシルクハットを目深にかぶった。それを見て、ルーシーは「あっ!」と声をあげた。
いつの日のことか、ルーシーはおつかいを頼まれて、店の外に出ていた。今日は特にお客が多いから早く帰ってくるように、と言われていたため、彼女は両手にかごを提げて、小走りしていた。急がなきゃ、とそのことばかり考えていたので、ルーシーはまわりをよく見ていなくて、誰かにかごをぶつけてしまった。
「すみません!」
ルーシーが謝ると、彼女がぶつかってしまった紳士は、
「いえ、大丈夫ですよ。お嬢さん、お気をつけて」
と言って、行ってしまった。自分のことを責めもせずに立ち去る、やさしい人だなあ、と彼女は感じた。日の光がまぶしかったうえに、その紳士は帽子を目深にかぶっていたために、彼の顔はよく見えなかった。けれども、その誰の目にも留まるような派手なワインレッドのシルクハットと洒落たローブが、とても印象的だった。
男はにっこり笑った。
「そうだよ、思い出した?」
あのときの紳士は顔がよく見えなかった。そりゃ、目の前の彼がいくらハンサムでも、心当たりがなかったわけだ。思い出せたのは、派手なシルクハットのおかげだ。
「そういえば、あのとき、君は必死になっていたね」
「ええ。早く帰ってくるように言われていましたから」
彼はルーシーの目をまっすぐと見る。
「僕には不思議なんだけど、どうしてそんな一生懸命になれるの?」
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