【もや恋7】好きだった男の結婚式で、スピーチを頼まれました

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【もや恋7】好きだった男の結婚式で、スピーチを頼まれました

 オイスターホワイトのクロスに包まれたテーブルには、ピオニー咲きのダリアに野の草を配したロマンチックなアレンジメント。シャンデリアの灯りに照らされて、整然と並べられたカトラリーが眩く輝いている。  控えめに流れている曲は、エルトン・ジョンの「Your Song」かな。歌詞を拾うと切なくなりそうだったので、私はテーブルに置かれた本日のメニューに意識を集中した。嗚呼、とっととアルコールの力で、色々どうでも良くなってしまいたい。  披露宴の始まる前というのは、独特な高揚感に満ちている。まるでこれから始まる、彼らの新しい人生のようだ。その中で、私だけがぽつんと泣きたい気分なのは、ここにいる誰も気づいていないだろう。  BGMが途切れ「新郎新婦の入場です」というアナウンスとともに、一組の男女が姿を現す。花嫁は爽やかなグリーン系の色打掛、花婿はスタンダードな羽織袴。小柄で童顔なので、まるで七五三のようだ。その彼こそが、私が4年間片思いしている男、久保田晋也である。  晋也と出会ったのは、入社直後の研修だった。二人とも大学を卒業後、他の企業で3年働いたあとの転職組である。同い年で配属も一緒だったので、自然と仲良くなりグループで行動するようになった。 「先ほど私たちはホテル内の神殿にて、夫婦の誓いを立てました──」  懐かしい思い出に浸るうち、新郎の挨拶が始まった。なかなか堂々としているじゃないか。得意先とのアポを忘れて、部長に怒鳴りつけられていた男とは思えない。そんなおっちょこちょいの晋也を、なぜ私は好きになったのか。それは、彼の正義感の強さに感動したからだ。  入社して数か月経ったころ、ちょっと小狡い先輩が、自分のミスを私に押し付けようとしたことがあった。後輩の立場では反論しにくい状況だったが、晋也は断固として抗議してくれた。さらには納得がいかないからと、上司にもかけ合ってくれたのだ。  お陰で私は叱責を免れた。きっと私だけなら、先輩の言いなりになっていただろう。それから少しずつ晋也を意識するようになり、いつの間にか当時の彼氏より好きになっていた。 「それでは、乾杯!」  主賓の長い祝辞が終わり、ようやく酒の勢いが借りられる。シャンパンの泡が喉をすべり落ちていくのを感じながら、私は当時のほろ苦い思い出を反芻していた。晋也を好きになったせいで、私は恋人に別れを告げたのだが、その後の要領の悪さは今思い出しても頭を掻き毟りたくなる。  フリーになったとはいえ、すぐに男を乗り換える女だと思われたくなかったし、同僚との恋愛はただでも距離感が難しい。臆病者の私は、仲間うちの雰囲気を壊さないように告白のタイミングを見計らっていたのだが、そうしているうちに晋也に彼女ができてしまった。会社主催のバーベキューに小柄で可愛い女性と現れた晋也を見て、私はのろまで意気地なしの自分を呪った。 「本日のメインディッシュ、牛フィレ肉のマデラソースでございます」  思い出に浸っているうち、いつの間にかメインになっていた。ワインも何杯かおかわりして、ほんのり頬が火照っている。そろそろ化粧をチェックした方がいいかなと思っていたら、お色直しをした新郎新婦がテーブルに回って来た。披露宴の鉄板イベント、キャンドルサービスである。 「来てくれてありがとな。まあ、これからもよろしく頼むわ」  私のテーブルは会社の仲間ばかりで、晋也は少し照れくさそうだ。そして、その横で清楚な笑顔を振りまく花嫁さんが、なぜかピンポイントで私に挨拶をくださった。 「いつも晋也がお世話になっていると聞いております。これからも、どうぞ仲良くしてやってください」  たぶん周りの連中には、唯一の同期である私に対する気遣いだと映っただろう。しかし捻くれた私の耳には、このように響いてしまったのだ。  ──うちのダンナの周りをうろちょろしてるそうだけど、もう結婚したんだから、これからは適度な距離感を持って接してくださいね。  どれだけ性格が悪いのだ、私は。そんなことだから、4年も片思いして失恋するんだろうな。でもねえ、花嫁さん。私、そこにいる人とキスしたことがあるんだよ。あなたと付き合い始める半年くらい前。例のバーベキューの彼女に振られて弱っていた晋也を酒に誘い、思い切り酔わせてそういう雰囲気に持って行ったことがあった。 「ね、キスしちゃおっか。せっかくフリーになったんだしさぁ」  本当は心臓バクバクだったが、冗談めかした感じで言ってみた。終電を逃した深夜のネットカフェ。8時間のナイトパックでフラットシートのブースに入り、二人並んで寝転んだ状態で、私にしては最高難度の色仕掛けを試みたのだ。  すると、言い終わらないうちに晋也が私に覆いかぶさって来た。自分で誘っておきながら、咄嗟のことに身が竦んで動けない。そしてあっという間に唇が重なり、想定していたよりも何倍も「大人の」キスが襲ってきた。  頭がくらくらする。度を過ごしていた酒のせいもあるだろう。しかし、何より私の背に回された腕や密着した胸板に戸惑いを覚えた。それは私が普段見ている年齢より幼い晋也ではなく、成熟した大人の男のものであった。  正直、私が望んだのは恋の始まりのキスであって、セックスのプレリュードではなかった。手段は正攻法でないにせよ、晋也とはちゃんとした恋人同士になりたい。それでも、一度チャンスを逃しているため、成り行きでもいいから既成事実を作ってしまえと脳が叫んでいる。その時、急に晋也がぐったりと私に体重を預けてきた。 「ちょ、晋也?」  どこか具合が悪くなったのかと驚き、痩せっぽちのくせに重たい体を何とかどかすと、何と晋也はすやすやと眠っていた。さっきまであんなエロいモードに入っていたのに。なんなんだ、この男は。私は酔いが一気に飛んでしまったので、ブースを出て熱いシャワーを浴び、ドリンクバーで炭酸水を飲んだ。  とてもじゃないけど、今夜は眠れそうにない。晋也を誘って、酔わせてキスして、いいところで寝られてしまった。これは作戦ミスだろうか、それとも少しは友だちの領域から前進したのだろうか。揺り起こして問い正したい衝動を抑えつつ、私はブースに戻って晋也の隣に寝ころび、気持ちよさそうな寝顔を朝まで眺めて過ごした。  翌朝、晋也に土下座の勢いで謝られてしまった。私が仕掛けたのに、自分が一方的に悪かったと何度も必死に謝るんだもの。言えないじゃない、「私は本気でした」なんて。 「申し訳ない、本当に、すまなかった」  もういいからと言っても謝り続ける晋也を見て、私は全く自分に望みがないことを理解した。失恋のショックと酒で箍が外れて、うっかり男の子になってしまったが、大切な友人との関係を壊したくなくて、何とかリセットしようと必死なのだ。だから私も、笑い話にすることにした。 「ばーか、たかが口と口がくっついただけじゃん。うちの実家のレトリバーの方が、よっぽど激しいキスするよ?」  ガハハと笑って背中をビシビシ叩き、私は再び同僚のポジションに戻った。女として見てもらえないなら、せめて一番近くにいる異性でありたい。長年こじらせた恋心はかんたんに鎮火できないだろうが、時間という薬がきっと癒してくれる。その時はそうやって諦めたつもりになっていたのだ。  そして、無理やり仕事に没頭しているうち月日が流れ、いつの間にか晋也は新しい恋に出会い、いま彼の隣に立っている女性と未来を共にすることを決めた。それを聞かされた時、封印していた気持ちがズキズキと痛んで辛かった。ごまかしていただけで、どうやら忘れ切れていなかったらしい。  私だって何度か、恋をしようと頑張ったこともある。だけど、いつも空回りするだけで終わってしまうのだ。片思いを持て余して、どうしょうもないまま4年が過ぎ、気がつけば三十路の一歩手前である。 「そろそろ、ご準備をお願いします」  スタッフさんに声をかけられ、私は膝からナプキンを外した。この日のために気合を入れて買ったセルジオ・ロッシのヒールが絨毯に沈んで歩きにくいが、精いっぱい優雅に背筋を伸ばし、高砂の近くに設置されたマイクへと向かう。  あの無神経な天然男は、事もあろうに私に同僚代表のスピーチを頼んで来たのだ。仕事では最も付き合いが長いからだろうが、これっぽっちも私の気持ちに気づいていなかったということである。虚しい独り相撲だったわけだが、それも今日でお終いだ。 「えー、本日は同僚を代表して、お祝いの言葉を申し上げたいと思います」  そう、私は同僚の代表なのだ。今までも、これからも。彼を好きだった日々は、自分の記憶の中に永遠に封印してしまおう。まさか自分が二十代の恋を、ここまでこじらせるとは想像しなかったが、後悔はしていない。私なりに本気の恋だったし、晋也は素晴らしい人だった。 「久保田さんは誠実で明るく、顧客からの信頼が厚いことはもちろんですが、同期のチームワークに大きく貢献しており、後輩からも慕われています」  晋也のことを久保田さんなんて呼んだのは、入社のとき以来だ。結婚式のスピーチにありがちな、とにかく褒めておけという世辞に思えるかもしれないが、実際に晋也はここ数年で大きく成長したと思う。顧客の要望に応えるべく、とことん諦めずに奔走する姿勢が評価され、来年の人事ではおそらく管理職への昇格が見込まれている。  結婚して、部下ができて、どんどん一人前の男になっていく晋也。その活躍の原動力が、愛する女性の存在であったことは想像に難くない。私の「お疲れさん」とは、浸透力が違うのだ。  スピーチの間、花嫁さんがじっと私を見つめている気がした。9割は私の自意識過剰だと思うが、残りの1割で無言のプレッシャーを感じてしまう。まあ、あんまり気分はよろしくないよね。付き合いの長い女友だちが、公私ともにダンナの近くにいたら。  でも、晋也は大丈夫。どう間違っても私とどうかなるなんてことはない。いや、私だけじゃない。彼は守るべきものを知っている人間だもの、決して不誠実な火遊びなどしない。だからどうぞ、安心してください。 「──お二人の幸せを、心よりお祈り申し上げます」  最後にそう結んで深く一礼し、顔を上げるとスポットライトが想像以上に眩しかった。やはりメインディッシュを途中で放棄してでも、化粧直しに行っておくべきだっただろうか。まもなく三十路の、肌のアラが目立ちませんように。ちなみに目元がキラキラしているのは、年甲斐もなく塗りたくったラメのせいだ。意地でも涙など流してやるものか。  拍手に送られて席へと戻り、デザートをつついているうちに、だんだん宴も終わりに近づいてきた。祝電の紹介から両親への花束贈呈、手紙の朗読が終わって、いよいよ新郎新婦の謝辞で披露宴が締めくくられる。そこで晋也の口から知らされたことが、私にとって今日いちばんのショックだった。 「最後になりましたが、私たちは間もなく新しい家族を迎えることになりましたことを、この場をお借りして皆さまにご報告したいと思います」  同僚たちも初耳のようで、一様に驚いた顔をしている。しかも昨年から一緒に暮らしていたそうだ。もうすぐ晋也が父親になることもさることながら、それを知らなかったことに困惑してしまう。  お陰でここまで頑張って来た涙の堤防が、不覚にも決壊しそうになり、私は失礼を承知で席を立って化粧室へと飛び込んだ。何とか心を落ち着けて鏡を見ると、ちょっと明るすぎる蛍光灯に照らされた私の顔は、なんだかピエロのようである。  その間抜けな顔を見ているうちに、だんだん可笑しくなってきた。今日は恋を諦めに来たんだもの、ばっさり振られて良かったじゃないか。あとはさっさと晋也よりもいい男を見つけて、今度こそ素敵な恋をするだけだ。  その結果、もしかすると私もウェディングドレスを着る日が来るかもしれない。そうなればきっと、同僚代表のスピーチは晋也になるだろう。それを考えると、ちょっと楽しみになってくる。 「さあ、二次会だ」  デパコスのBAさんに「小ジワが吹っ飛びますよ」と激推しされたお粉をはたき、普段はつけないレッド系のグロスで唇をセクシーに彩る。ルーズなアップに結ったヘアスタイルは、美容師さんの腕が良かったようで、セットしたまま保たれている。よし、合格。  頑張っても十人並みの域を出ない面相ではあるが、せめて今日だけは少しでもいい女でありたい。いつの日か、しょんぼりしながら好きな男の晴れ姿を見送った日が、笑い話になるように。  私はパーティー用のバッグの留め金をパチンと閉めると、会場への廊下を歩き出した。部屋の中からは、万歳三唱が響いてくる。私にとっては色んな意味で、長い長い宴がようやく終わった。  大好きだったよ、晋也。あなたの新しい人生の門出に、どうか幸あらんことを。心からそう祈りつつ、私は全力で口角を引っ張り上げ、披露宴会場の観音開きドアを押し開けた。
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