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僕はその日偶然、川沿いの土手に腰を下ろしていた風花に遭遇した。いつもスマホか漫画本ばかりを手にしている風花の手には、スケッチブックと朱色の色鉛筆が握られていた。そして、ページには風花が見つめているであろう景色が限りなく、ありのままに描かれていたのである。遠巻きに見ただけでもその画力に驚いた僕は、思わずそちらに駆け寄った。
僕が「梅津」と声を掛けると、風花は身体のアウトラインが波線になりそうなくらい大きく震えて、こちらを見た。
「金森? あんたなんで制服着てんの。きょう土曜じゃん」
「進学は土曜も講習なんだよ。梅津はこんなところで何してるんだ」
「なんだっていいじゃん、別に」
風花は自分の身体の陰にスケッチブックを隠そうとしたが、僕はそれよりも速く、風花の手からスケッチブックを取り上げた。その前から僕は風花にちょっかいをかけられることがあったものの、僕のほうから反撃に出たことは、この時が初めてだった。ふだんは余裕綽々な顔をしている風花が、珍しく狼狽えていた。
「ちょっと。他人のプライベート見るな、ばか」
「梅津もこの間、僕が授業中に書いてたノートの落書き見ただろ。おあいこだ」
この頃、僕と風花の席は隣同士だった。一週間前のある日「さっきの数学寝てたから写さして」と、風花が僕の机の上から勝手にノートを奪い去っていったのだ。おかげで僕がひた隠しにしていた趣味が、風花にだけ詳らかにされてしまった。しかし、当の本人はひとつも悪びれる様子がない。
「いいじゃん別に、あんたがこっそりネットに書いてる小説のプロット覗いたくらい」
「じゃあ僕だって、おまえの描いた絵を見たっていいよな。あれも”他人のプライベート”だ」
ぴしゃりと言い放つと、風花はおあずけを食らった犬みたいに唸りながら、浮かせた尻をもう一度草の上に着地させた。いい気味だ。風花……という名前の響きからは対照的に、おまえの立ち振る舞いは完全に荒野か台風そのものだぞ。今更慎ましくされても、ちょっと怖いが。
口にするのはさすがに憚られたので、頭の中だけで呟きながら、僕はスケッチブックのページをパラパラと捲ってみた。風景画もさることながら、どうやら風花は人物画もいけるクチらしい。僕も知っている漫画やゲームのキャラクターを描いたページもあった。どれもはっきりと「アレだ」と分かるほど特徴をとらえた絵だった。仮に僕が命の残機をいくら減らしても、風花のようにはなれないだろう。
「梅津の特技が絵描きだとは、知らなかった。にしてもすごい腕前だ」
言いながらスケッチブックを差し出すと、それをひったくるように奪い返しつつ、風花は言った。
「特技なんかじゃないよ、ただの趣味。……あと、このことは他人に言わないで」
「なんでだよ」
「学祭とかそういう行事で面倒な役割押し付けられるの、だるいもん。ただ”できる”ってだけで無理矢理やらされても、満足いくものなんかできるわけないじゃん。金森だってそうじゃないの?」
根っからの芸術家気質らしかった。やりたいからやる……という動機だからこそ良い出来になるわけで、他人に言われて描かねばならないという義務感が一滴落とされた瞬間、全部叩き壊したくなるような納得いかないものが出来上がる……ということだろう。一応は何もないところから何かを生み出している者同士として、その気持ちはよくわかる。
でも。
「僕がどうしたって?」
「金森がこないだ生徒会誌に書いた作文、読んだよ。普段喋ってるときのあんたって結構面白いこと言うのに、書けよって言われて文章に落としたら、なんか面白み減るよね。それが残念だなーって思った」
「それはどうも」
僕が教室で喋っていることを風花が聴いていた事実に少し驚いたものの、僕がどうのこうのと言う前に、風花はすぐに早口で畳みかけてきた。
「ってわけで、これも何かの縁だと思ってもろて、金森が書いた小説も読ませてもらおっかな。書いてること、みんなには秘密なんでしょ? あんたがあたしの秘密をばらさない限り、あたしもあんたの秘密をばらさないであげる。これでようやく条件イーブンだと思いますけど?」
「なんだそりゃ。取引か」
「当然でしょ。たぶん誰も気づいてないけど、あたしは美術の時間で絵を描くとき、わざと利き手と反対の手でヘタクソに書いてんの。そんなあたしの涙ぐましい努力、ぶち壊されたらたまったもんじゃないから」
「前から思ってたけど」
頭の中でひとつの答えを見つけたような気がして、気づけば僕はそう呟いてしまっていた。風花は今も唇に悔しさを滲ませながら訊ねてくる。
「なによ」
「梅津って、頭いいよな」
「へ? 何をどうやったらそう思うの」
「普段なら避けて通るタイプの女子なのに、僕がなんにも嫌悪感なく話せるのはどうしてなのかなってずっと思ってたけど、たぶんそういうことなんだなって合点がいった」
「ふーん、そっか。……ま、それとこれとは別だから、さっさと小説書いてるサイト教えな」
「ここで読むのかよ」
「金森だってあたしの前で、あたしが書いた絵眺めてたじゃん。これで恥ずかしい気持ちもおあいこになるでしょ」
アドレスのついでに、僕と風花は連絡先を交換した。
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