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「来たね。随分かかったじゃん」
「風花が学校出るの早すぎるんだよ」
そうかな、と微笑む風花の手にはスケッチブックではなく、卒業アルバムがあった。外箱から取り出されたアルバムは、表紙にまでメッセージが書き込まれている。僕よりもずっと前に学校を出たはずなのに、いつの間にそんなにたくさん書き込みをしてもらったのだろう。表紙にまで書かれているってことは、きっと中の空白のページはぎっしりと埋まっているはずだ。
訊いた。
「なんでまた、こんな場所に?」
「んー、まあ。うちらといえばここが一番落ち着くかなと」
「思い出話?」
「それもいいけどさ。でも今は、こっちのほうが欲しいかな」
言葉とともに、風花は僕に向かって、手にしていた卒業アルバムを差し出してきた。春の陽気のせいか、あるいは風花の掌の温度か、アルバムは少しだけ温かかった。
風花は、遅れて油性ペンも一緒に僕へ手渡しながら「あたしにも、何か書いてくんない?」と一言。まあ風花が相手ならば断る理由はなかったが、一応訊いた。
「書くったって、ページ、まだ残ってるのか?」
「気になるなら、自分で中身開けて見てみれば」
ぷい、とそっぽを向いた。それ以上説明する気がないことを察した僕は、アルバムを開いてみた。
予想通り、色とりどりのペンによってメッセージが所狭しと書き込まれていた。ただひとつ予想が外れたのは、最後の1ページだけが、真っ白な状態を保っていたことだ。
ぽかんとしながら僕が目線をアルバムから剥がすと、風花はいたずらっ子みたく、愉快に笑っていた。
「やー、そのページだけ残しておくの、大変だったんだよ? しょうがないから、はみ出た友達には表紙に書いてもらったんだよね」
「僕に書かせるために、わざわざ残してたのか」
「そうだよ? 言っとくけど、全部埋めてね。端っこの方にだけ”ガンバレ”とか書いて終わったりしたら、今からでもあんたのアカウント、あたしが知り得る同級生全員にばらすから」
んな殺生な……と思ったが、僕の脳裏には同時にひとつ、名案が思い浮かんだ。
それは僕にとってはまぎれもなく幸であり、風花にとっては不幸であるかもしれないが、とにかくこのアイディアを実行に移すだけの環境は、いまここに揃っている。
ふ、と笑い声が漏れてしまって、風花がすぐに「なによ」と反応してきた。
「なんか不服なの?」
「いや、全然。遠慮なく書かせてもらう。……でも」
「なに」
「当然、風花も僕のアルバムに、かいてくれるよな」
「まあ……うん。そう言うってことは、真人のもまだページ残ってるんでしょ? 埋めてあげるよ」
「そうか。じゃあ空いてるページに、僕の絵を描いてくれ」
「は?」
僕は「そうか」のあたりで既に鞄のファスナーを全開にして、外箱に収まっていたアルバムを器用に中身だけ抜き出した。驚きながらも風花は「描いてくれ」のあたりで僕が押し付けるように渡したアルバムを無意識に受け取っていた。
風花は僕にスケッチブックを取り上げられたときと同じように、慌てた表情を浮かべている。
「絵って、似顔絵ってこと?」
「百の言葉より、一枚の絵で語ってくれ。風花ならできるだろ。それに、僕はこれまでただの一枚も絵を描いてもらってない」
「だからって……」
「卒業式を迎えた今日、これが僕から、最後の願いだ。叶えてくれるよな」
普段は僕のほうが大人しいぶん、ここぞという時にゴリゴリに押していくと効果は抜群だった。僕は大学に合格したらこの街を出るし、地元の専門学校に通うことが決まっている風花とは離ればなれになる。そういう意味でも(最後くらい僕の我儘を聞いてくれてもいいだろ)という気持ちがあったから、どれだけゴネられようと退く気はなかった。
わずかに何かを逡巡していた様子の風花は、やがて消えてしまいそうな小さい声で呟いた。
「……わかった」
「おっ」
「おっ、じゃないわ。早く座れ、ばか」
終わるまで動かないでよ……と言いながら風花は鞄をごそごそとやり始めた。言われるまま僕は、草の上に腰をおろす。描いてもらうのはいいが、逆に僕はいったい風花にどんなメッセージを残せばいいだろうか。その問題を一瞬忘れていた。
まあ、いいか。そんなにすぐ描き終わることはないだろうから。
ぶつくさと何か呟きながらペンを取り出す風花を置いて、僕は一足先に、真っ白なページへ最初の文字を書き入れた。
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