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翌朝、晏珠は静牙に連れられて近くの天主廟に赴くことになった。
晏珠としては気が進まないことに変わりはなかったが、静牙に折れる気配が全くないことと、他でもない父に促されたことで重い腰を上げるに至っていた。
父としても娘がこの年で御鳥児に選ばれたという事実には半信半疑である様子だったが、羽の徴が出ている以上否定もできない。本当にお役目が課されたのなら、行くべきだ。父はそう言い、晏珠を送り出した。
「でも、父さん。お店はどうするの。病気だってあるのに……」
「なに、居なければ居ないでどうにでもなる」
素っ気ない答えに晏珠は嘆息した。自分のことは気にするな、という父なりの気づかいなのだろうが、心配する娘の気持ちも少しは分かってほしいところだ。
御鳥児に選ばれた家には、多額ではないにせよ祝い金が出る。また、申請すれば多少の生活費も出してくれるという。
貴族や富裕層ならいざ知らず、庶民にとっては若い娘であっても重要な働き手であることが多いのだ。貴重な人手を取られたくないからと御鳥児を出し渋られては困る、ということらしい。本当に御鳥児と認められたあかつきには、父の薬代の足しにしてもらうため、晏珠ももちろん申請するつもりだった。
昨晩居合わせた常連客たちにも、父のことをくれぐれも頼むとお願いしてある。改めて、晏珠は昔気質な父に頭を下げた。
「それじゃ、行ってくるわね、父さん」
「ああ。しっかりお役目を果たしてこい」
天主廟で門前払いされるかもしれないけど、とは言わなかった。
廟へと向かう最中、晏珠は隣を歩く静牙に話しかけた。
「あの、静牙さん」
「静牙でいい。君は御鳥児だしな」
「いや、それはまだ……それに、五名家の方相手にそういうわけには」
「昨日あれだけ威勢良く喋っていたのに、今更だろう」
晏珠は顔を引きつらせた。返す言葉もない。
見れば静牙はほんの少し口角を上げていた。彼なりの冗談のつもりなのかもしれない。意外だった。四角四面な性格なのかと思っていたが、案外そうでもないのだろうか。
しばらく逡巡したのち、晏珠は「じゃあ、静牙」と切り出した。
「いくつか聞きたいことがあるのだけど」
「なんだ?」
「まず、この徴が光る理由。それと……『鳥番』って何なの?」
――どうやら、俺は君の「鳥番」らしい。
昨晩、徴が急に光り出したことを不思議がる晏珠に、静牙がかけた言葉だ。あの後しっかり意味を聞けていなかったのが、ずっと気になっていた。
静牙は片眉を上げて「鳥番を知らないのか?」と聞き返してきた。
「聞いたことはあるわ。確か、御鳥児の護衛、よね?」
子供の頃、女友達から聞いたことがある。御鳥児に選ばれた少女には、鳥番と呼ばれる青年が護衛に付くのだと。なんだか運命の相手みたいで素敵よね、どうやって選ばれるのかしら、と皆で夢見がちに話していたのを覚えている。
だが、これまで周囲で御鳥児に選ばれた人間はいなかったので、真偽の確かめようもなく。昨日その名を聞くまで、正直すっかり忘れていた。
記憶を辿って答えた晏珠には、静牙は「一言で言えばそうだな」と頷いた。
「鳥番は、御鳥児の番人だ。御鳥児を守る役目はもちろんだが、同時に彼女を見張る存在でもある」
「見張る? 御鳥児を?」
「御鳥児は神に選ばれた存在だが、そうは言っても人間だからな。過去には権力欲に憑りつかれて、自分の力を悪用しようとする者もいたと聞いている」
神から授かった力。地に平和を、国に安定をもたらす力を逆に利用すれば、民はおろか王さえも逆らえない存在となりうる。御鳥児は清らかな歌姫でありつつ、危うい一面も持っているのだと静牙は話した。さすがは五名家の一角である奏家の人間、庶民の晏珠が知らないことを、彼は良く知っているらしい。
「もちろん、長い歴史上のごく一部だがな。そうやって神の力を悪用した御鳥児を制裁するのも、鳥番の役目の一つと言われている」
「鳥番が、制裁を下すの?」
「ああ。鳥番にしかできないんだ。御鳥児の徴が出た者には、武器による攻撃が効かない。神の加護があるからな」
「えっ?!」
武器による攻撃とはつまり、剣や弓矢、槍といったものだろう。確かめることもできないが、まさか、自分の体もそんな風に変化しているのか。全く実感はないのだが。
「今、包丁で指を切っても切れない、ってことかしら……」
「そういうことになるな。ただ、例外がある。鳥番だ」
「……鳥番による攻撃だけが、御鳥児に効く、ってこと? でも、それなら、護衛なんていらないんじゃないの?」
「武器の攻撃を弾くだけで、毒や薬の類は有効だからな。それに、捕らえられて高所から落とされたりすれば、いくら御鳥児でも無事では済まない」
「なんだか中途半端な御加護ね……」
どうせなら、全部弾き返して無敵になってくれればいいのに。それでは強力な存在になりすぎるということだろうか。
「あ、でもちょっと待って。他の方法があるなら、別に鳥番が制裁を下さなくてもいいじゃない」
「罪を犯した御鳥児は、神の下へ送って許しを乞わなければならない。そのために、鳥番の刃で首を落とす――というのが慣例なんだそうだ」
その徴を、目印に。
すっと首元を指差され、晏珠は思わず後ずさった。
「……もしかして、この徴が光るのって」
嫌な予感に背筋が冷える。静牙は「当たりだ」と重々しく頷いた。
「最初の質問の答えだが、御鳥児の徴は、鳥番が近づいた時だけ光る。その理由は――制裁を下す時、刃を振り下ろす箇所を見誤ることがないように」
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