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教室の窓から差し込む斜陽は、周囲に暖かな印象を持たせる。その空間には椅子に座り、静かにスマホを弄っている少女と、黙々と自在ホウキをかける男性教師の二人がいた。既にこの状態を十分続けている。二人とも、会話を切り出すタイミングを失い、今では少し椅子を引くことすら躊躇うような状況だ。スマホを弄っている少女、ヒカルは毎日放課後、教室で二十分程暇を潰している。何時もこうしてアプリで絵を描き、ある程度生徒が学校から出た頃、帰り支度をする。いつの間にか教師はヒカルの席の側まで来ていた。ヒカルは席を立ち、教師はそこを掃除する。今しかないと思い、教師に声をかける。
「ねぇ、先生」
教師は突然声をかけられてびくりと肩をあげると、なんだと言いながら手を動かす。まるでヒカルに微塵の興味もないようにただ自在ほうきをかけている。
「私、今日誕生日なんだけど」
そう言うと、教師はぴたりと一度手を止め、ヒカルの方を見る。
「そうだったのか。おめでとう」
抑揚のない声で言う。
「そんな言い方されても嬉しくないんだけど」
ヒカルは表情ひとつ変えずに言う。教師はヒカルを初めて呼んだ時から下の名前で呼んでいた。それは何の意味もなく、ただ自然と、何も考えずに出た呼び方だった。他の女子生徒に対しては苗字で呼ぶかフルネームで呼ぶかのふたつに分かれるが、ヒカルだけは違った。初任校であるこの学校で、初めて女子生徒を下の名前で呼んだ。初めは自分でもどうしたものかと考えていたが、それも不自然なほどに自然と、考えることは無くなっていた。
「ねぇ、何はプレゼント無いの?」
「プレゼント?教師が一人の生徒だけに何か物をあげていいとでも?」
ヒカルは一つ間をあけて言う。
「別に物じゃなかったら問題ないでしょ?」
教師はどういうこと?とでも言いたげな表情でヒカルをじっと見つめる。
「私の欲しいもの、当ててみてよ」
ヒカルは挑発的な言葉をかけた。先程よりもやや楽しそうに、それでも不安な表情を浮かべながらスマホを机に置く。あなたが正答を言うまで待っています。という気持ちを込めて。
ヒカルと教師は見つめ合う形になる。それに耐えかねて教師は自在ホウキに視線を移してまた掃除を始めた。
「なんだ?言ってみろ」
ヒカルの欲しいものが分かって言っているのか、それとも本当に分からず言っているのか、表情が見えないため、ヒカルには分からなかった。ヒカルは相手が自分の問いかけの答えを理解していると踏んでいた。しかし教師は斜め下を向いた状態でずっと掃除をしている。なんだか自分が恥ずかしく思えてきて、暫くの間何も言えなかった。
ヒカルはふと立ち上がって廊下の方に頭をひょっこり出してみた。今、廊下にも隣の教室にも人はいない。何をしてもいい。何をしてもバレはしない。
「ちなみに今廊下には誰もいないみたいだけど」
ヒカルは嬉しそうに言った。
「お前の欲しいものなら大体わかってるよ」
「じゃあ、お願い」
そう言うと、教師は自在ほうきを壁にかけてヒカルの方に近づいて行く。
壁に手をついて優しく耳元で囁く。
「じゃあ、いくぞ」
ヒカルは軽く首を縦に動かして返事をする。
二人の距離は今、完全にゼロになった。唇と唇が優しく触れる。二人は今、幸せだった。
「先生、好きだよ」
ヒカルは静かに呟いた。
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