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第10話
Answer ー 2
青葉くんのマンションへと向かう車中で、不意に「俺が言うのも変ですけど…」と、元宮先生が口を開いた。
「なんでしょう?」
「関谷のどこがいいんですか?」
「えっ?あの…急にどうしたんですか?関谷先生のどこがいいとは…」
「隠さなくていいです。というか、質問自体に深い意味はないので、無理に答えなくても構いません」
「それだとまるで、私が関谷先生に好意を寄せている…という様に聴こえるのですが…」
「でも実際、好きなんですよね?」
そんなに態度や言動に出ていたのだろうか。それとも関谷先生が、元宮先生に何か話したのだろうか。どちらにしても唐突な質問で、なんと返事をしたものかと悩んでしまう。
(そういえば前に、青葉くんが「灯里さんに嘘は吐けない」と言っていた。まぁ、その時は単に(好きな人に嘘は吐けない)という意味だと、軽く考えていたけれど…もしかしたらそれは、こういう意味だったのかも知れない)
「あ、そうじゃない。えっと…不躾な質問な上に、問い詰める様な言い方をしてしまってすいません」そう言って、元宮先生は謝った。
青葉くんと同じで、思った事は口に出さずにいられないタイプなのか。それとも関谷先生と同じで、身内の事になると、直接的な口出しもやむを得なしといったタイプなのか。
(元宮先生の事だから、単なる好奇心ではないのは解るけど…)
どちらにしても、自分が思った事や考え、気持ちを、素直に言葉に出来る人は羨ましいと思う。恐らく自分は、全てを曝け出せる程の強さはない。
(自分の事になると、本当に上手くいかない。だから姑息な手を使った。身体だけの関係でもいいと…)
だからあの日、全てを見抜かれてしまったと解った時、呆れて嫌われても仕方がないと思った。自業自得なのだから。
好きな人の気を惹きたいから嘘を吐く。誰もが一度は、そういう経験をしていると思う。安直で…そう、まるで親の気を惹きたい、小さな子供の様に。
だからといってそれが、嘘を吐いても良いという理由にはならないだろう。場合によっては相手を傷付け追い込み、最悪の結末をもたらす事もあるのだから。
(そうならなかったのが、自分でも不思議だけど。それどころか…いや、それより…元宮先生にも気付かれていたとは、思いもしなかった。違う…元宮先生だからこそ、気付かれてしまったのかも知れない…)
「そんなに態度や言動に出てましたか?」
「最初は単に、関谷の様子が変だと思ってました。それこそアイツは、解りやすいですから」
「一緒に育った所為ですか?」
「そうですね…なので、逆もまた然りなんです。俺の異変に気付けるのは、関谷と家族…今は本條さんにも気付かれますね」
確かに青葉くんには解るのだろう。青葉くんには昔からそういう所があって、最初こそ驚いたり偶然だと思ったりもした。でもそれが続いて、ただの偶然ではない事に気付いた。
青葉くんに特殊能力がある訳ではない。単に察知能力が高く、周囲に対する観察力や洞察力がずば抜けているだけだ。けれどそれこそが、彼がこの業界で生き残る為の…生き残ってきた、彼が身に付けたスキルであるのだと解った。
「あぁ見えて青葉くんも鋭いですからね。嘘も隠し事も出来ませんよね」
「あれは本能でしょうね。ほぼ、野生動物並の本能に近いと思います。あ、えっとですね…俺が、関谷の様子がおかしいと思い始めた頃。本條さんも、その本能で何かを感じたのでしょう。彼は俺に、貴方の様子が変だと言い出したんです」
「お二人は似た者同士ですね」
「確かにその辺は似ているかも知れませんが、根本が違います。それに…本職のこの俺ですら、本條さんには敵わないと思う時があります」
(この人もあまり裏表がない。その上、自分より他者が勝っていても、気に掛けている様子はない。そういう所もまた、関谷先生が言っていた「潔さ」からくるのだろう)
「先程の質問ですけど…私は最初、関谷先生の普通さに惹かれました。そして、一緒に仕事をしているうちに、自分にはない彼の内面に触れ、羨ましさと尊敬を抱きました。簡単に言うなら憧れですかね…」
「なるほど…それらが包括されて、恋愛感情に至った訳ですか」
「そうなりますね」
「でも…アイツの内面に、そんな感情を抱く要素ってありますか?」
元宮先生があまりにも渋い顔をして、聞いてくるので「沢山ありますよ」と、笑いを堪えながら答えた。
「う〜ん…確かに、あの明るさとポジティブさは、時と場合によっては羨ましいとは思います。でも、それと同じくらいウザいと思う時もあるんですよ。そういう事も含めると、尊敬には遠く及ばないですね」
「なるほど。それは同等…もしくは、ライバルの様な関係だからではないですか?」
「家族ですから、同等に見てるんでしょうね。ライバルと思った事はありませんけど、お互いに切磋琢磨してきたのは事実です」
相手を同等に置く事。ライバルというよりは同志に近いのかも知れない。そういう関係性は、自分達の居る業界…芸能界ではほぼ存在しないだろう。
まず、自分と相手が同等の立場だと…そう認める人は少ない。表面的にはそう見せていても、心の何処かでは、認めてはいない筈だ。
本当に稀に、そういう関係性を構築している人達も居るが、青葉くんの様に若い子達にはそれらが希薄な気がする。
いくら仲間意識を持って親しく接していても、良くも悪くもライバルなのだ。そういう関係はいつ破綻してもおかしくはない。いつ裏切られ、足元を掬われるか解らない。少しの油断も出来ない…芸能界とはそういう世界だ。
そう思った事を話すと、元宮先生は「同志…まぁ、ライバルよりは近いかも知れません」と言った。
「あと…若い人達の人間関係の希薄さというのは、何も芸能界に限った話ではありません。芸能界だから、余計にそう見えるのでしょうけど。そうですね…今は小学生でも、そういった人間関係の希薄さはありますよ」
「えっ、小学生で?」
「はい。大袈裟に聴こえるかも知れませんが、酷いと学級崩壊も起こりますね」
「学級崩壊?」
「子供同士の間だけでなく、子供達と教師の間に亀裂が生じて、学級として正常に機能しなくなるんです」
「そんな、一昔前のドラマじゃあるまいし…」と、思わず呆れ半分で口にしてしまった。
「時代は巡るって言いますけど、その通りだと思います。ファッション等の流行りもまた然りでしょう?」
「あぁ…そうですね。つまり、そういった事象も巡るんですね?」
「その昔、そういう経験をした人達が親になり子を育てる。早ければ孫を持つ様になります。その時の経験などを、子供や孫にどう教え、伝えるかにもよりますけどね」
「なるほど…勉強になります」
話の道筋が逸れて、どちらともなく無言になった所で、青葉くんのマンションが近付いてきた。するとまた不意に、元宮先生が口を開いた。
「アイツ…自分の事に関しては、呆れるほど鈍い所があります。なので、思った事は全てストレートに伝えた方が良いですよ」
「アドバイスありがとうございます。あの…執拗い様ですが…」
「解ってます。俺も…自分の気持ちを本條さんに素直に伝えて、ちゃんと話し合いします」
「どうか宜しくお願いします」
青葉くんの住むマンションの地下駐車場に車を停めて、スマホを見ると代理で行って貰ってるマネージャーから、20分ほど前にメッセージが入っていた。どうやら撮影が長引いている様だ。
私は「すみません、青葉くんはまだ終わらない様です」と、元宮先生に伝えた。
「鍵は預かっていますけど…本人が不在なのに、勝手に入っても大丈夫ですかね?」
「勿論、大丈夫ですよ。青葉くんには、先生が泊まりに来る事は伝えてありますから。それに、此処に居ると逆に、怪しまれてしまいます」
「それもそうですね。では…遠慮なく中で待たせて貰います。本條さんにLINEしておきます」
「ありがとうございます」
「こちらこそ…。送って頂いて、ありがとうございました」
「いえいえ…気になさらないで下さい」
車から降りて、エレベーターへと向かう元宮先生の後ろ姿を見送る。そして、再び車のエンジンをかけると、関谷先生が待つ病院へと引き返した。
見慣れた応接室の片隅で、ひたすら落ち着かないまま、関谷先生が戻って来るのを待っていた。
元宮先生を青葉くんのマンションまで送り届け、すぐに引き返し、此処に着いたのはほんの10分ほど前だった…。
戻って来た私をいつもの様に、関谷先生は私を出迎えてくれた。促されるまま応接室に入り、引かれた椅子に腰を下ろすと、笑顔のまま「疲れたでしょう?コーヒーでも淹れて来ますね」と言って、部屋から出て行った。
その後ろ姿を見て(関谷先生だって疲れてる筈なのに…)と、申し訳なく思った。
自分の要領の悪さは解っている。だからこそ、何に対しても事前調査をし、計画を立てる。分刻みで過ぎる日々も、きちんとタスク整理をし管理している。
いつ何時、何が起きても対応出来る様に、予測し得る出来事は、全てシュミレーションしてある。それでも予測不可能な事が起きるのが、世の中の常というものだろう。まさにそれが今日だった。
スケジュールの確認、自分の代理の手配に、青葉くんへの連絡。そして病院に来て、元宮先生へ説得。それだけの筈だったのに…。
今日は本当に、それで終わらせる筈だった。なのに話の流れから、元宮先生を青葉くんのマンションまで送る事になった。それだけならまだしも、話したい事がある…等と言って、あまつさえ戻って来るとLINEしてしまった。
(いや、あの少年の事を話したいのは事実だ。でも…だからって、タイミングというものがあるだろう。なのに後先も考えずに私は…)
そんな事を考えていると、部屋のドアが開いて、彼がコーヒーを二つ持って入ってきた。テーブルの上に置くと、ポケットから小さな袋を取り出した。
「お待たせしてすいません。あと、スタッフルームにあったお菓子ですけど、良かったら食べて下さいね」
「ありがとうございます。図々しく押し掛けてきておきながら、手ぶらですみません。途中で何か買って来ようとは思ったのですが…」
帰り際に何か、差し入れでも買おうかと思ったのは本当だ。でも(待たせてしまう)という思いが、頭を掠めた途端に気が急いて、手ぶらで戻って来てしまった。
我ながら(情けないな…。予想外の事が起きると、どう対処したらいいのか解らなくなる。特に仕事以外だと、本当にダメだな…)と、そう思わずにはいられなかった。
「そんな事は気にしなくていいんですよ。いつも貰ってばかりですしね」
「あれは青葉くんが食べたいからですね。差し入れという口実で、自分の分を買ってるんです」
私が可笑しそうに言うと、彼も「ほんと本條さんって面白いですよね」と言って笑った。
「それより、今日は急に呼び出してしまって、すいませんでした。それに加えて、灯里を送って貰ってしまって…」
「いいんですよ。それこそ気にしないで下さい。寧ろ今日、元宮先生と話しが出来て良かったです」
「何も解決してませんけどね」
確かにまだ何も解決はしていない。結果がどうなるかは解らないが、良い方向に進んでいる様に感じた。
「今の二人なら、どんな結果になっても大丈夫な気がします。それに…同棲する事だけが、二人の幸せではありませんからね」
「まぁ…そうですね。二人には二人なりの、幸せの形があるでしょうから」
「そうですね」
「因みに俺は、一緒に住みたい派です」
「はい?」
「やっぱりねぇ…好きな人とは、ずっと一緒に居たいな〜と思う。だから本條さんの気持ちも解るんです」
「はぁ…」
唐突に切り出されて、どう答えていいのか解らず、気の抜けた相槌しか返せずにいたら、彼は意に返さず更に話を続けた。
「そりゃあ、外で会ってデートしたり、離れている時間のもどかしさ、早く会いたいとか…。そういう、恋焦がれる気持ちは、付き合う上での醍醐味である!とは思うんですけどね」
「ふふっ…そういう考えを持っているとは、なんだか意外ですね」
最初は何を言い出すのかと、戸惑いを感じていたものの、続けられた話しに思わず笑ってしまった。乙女思考というか恋愛脳というか…とにかく、その恋愛観を聴いて、率直に意外だと思ったのだ。
まぁ、そういう憧れの様な感情は、誰もが一度は、思ったり、感じていたりする事だと思う。だから別におかしな事ではない。けど…少なくとも、今の自分にはない。
(昔は…確かに昔の私にも、憧れて夢見ていた時期はあった。だけど私には、ただの悪夢にしかならなかった。あんな思いをするくらいなら、もう本気で誰かを好きになりたくない…と思うくらいには…)
「貴方は?」
「え?」
「好きな人と一緒に住みたい派ですか?それとも住みたくない派?」
「私ですか?えぇ…っと…そうですね…」
(これはどう答えればいいんだろう。正直に、過去の話をするべきか…当たり障りのない答えをすればいいのか…どっちだ?今なら思い出話しとして、話をしても大丈夫そうではある。逆に当たり障りのない答えをしても、本心ではない事くらい彼でなくても、すぐに見抜かれるだろう…)
そんな事を考えていたら、彼が笑いを堪えるようにしながら「真面目だな~」と言った。
「返事なんて適当で良かったのに」
「そんな事は出来ませんよ。それに、適当に答えた所で、貴方にはそれが本心かどうか解ってしまうでしょう?」
「もしそうだったとしても、それを責めたりしませんよ」
関谷先生はいつもと同じ、優しい笑顔で事もなげに言った。でもその笑顔も言葉も、私には段々と辛くなってきた。
(彼に甘えてばかりの自分の不甲斐なさが嫌だ。訳の解らない、罪悪感の様な…何とも言えない苦しさを感じる。もうこれ以上、どうしたらいいか解らない…)
「解ってます…貴方は優しいから、そうやって何でも見逃してくれる。でも…もう、私が嫌なんです!」
「えっ、え?それはどういう意味です?俺の事が嫌になったとかそういう事ですか?」
「そうです。貴方といると、自分の不甲斐なさや至らなさが、堪らなく嫌になるんです。素直に貴方の好意を、受け取る事も出来ない。わ、私はっ…あっ…貴方の事がっ、好き…なの…っに、好き…に、なるのが…怖くて…。優しく、さ、されると…くるっ、しくて…」
話の途中から感情が溢れ出して、鼻の奥がツンと痛くなった。自分でもみっともなく、泣いているのが解る。挙句の果てに自分でも、訳の解らない事を言っていると思った。最後には言葉にすらなっていない。
(もう支離滅裂だ。思考も感情も…言っている事も、何もかもがぐちゃぐちゃだ…帰りたい…この場から逃げ去りたい)
そう思った瞬間、不意に抱き締められて、驚きと焦りで、その腕を振り解こうとした。でも鍛えられたその腕を、振り解く事は出来なかった。
「離して、ください!」
「嫌ですよ。離したら、泣いている理由も告げず、俺の話も聴かずに逃げるでしょう?」
「っ…」
「俺この前、貴方の事が好きって言いましたよね。そして貴方も今、俺の事を好きだと言ってくれた。それだけじゃあ、ダメなんですか?自分の気持ちも、俺の気持ちも信じられませんか?」
逃げたいと思っていた気持ちが、関谷先生の腕に抱かれているうちに、少しづつ落ち着いてきた。彼の声も体温も、真っ直ぐに投げ掛けられる言葉も、気持ちも…そのどれもが、心の奥に染み込んでくる。
「だ…ダメではないです。嬉しいです…でも…」
「怖いんですね?」と言った関谷先生の言葉に、無言で頷いた。
「それはあれですか…嘘を吐いていた事に、何か関係しているんですか?」
その問いにも無言で頷いた。すると関谷先生は腕を離した。そして私の手の上に自分の手を重ね、ゆっくりとした声で話し始めた。
「過去の出来事ですから、話しを聴いても解決するかは解りません。俺に何か出来るとか…そういう保証もありません。でももしかしたら、何かが変わる…もしくは解るかも知れません。俺に話してくれますか?」
「くだらない話しですよ」
「そうかな?くだらなくないから、貴方はこうして泣いてる訳だし、怖いとすら思ってる。全然、くだらなくないですよ。それに…貴方の事なら、どんな些細な事でも知っておきたい」
そう言って私の顔を覗き込んだ彼の顔は、いつも通り…優しく笑っていた。その顔を見て、私は何の根拠もなく(いつかは話そうと思っていた…それが今なんだ。大丈夫…この人なら大丈夫…)と、自分に言い聞かせる様に、心の中で反芻した。
そして私は、意を決して「ではお話します…」と宣言する様に言うと、あの日の…あの出来事を話し始めた。
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