第11話

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第11話

Answer ー 3 自分がゲイ…もしくは、バイではないかと思ったのは、高校生の時だった。でもそれは、誰でも良いという訳ではなかったし、特にその相手とどうにかなりたいという物でもなかった。 彼は何処に居ても、必ず輪の中心にいるタイプであった。だけど、それを鼻にかけるでもなく、私の様な目立たたない人間にも、分け隔てなく気さくに接してくれる…まぁ、少女漫画などでよく見るタイプの人気者といった感じだった。 私は要領が悪くて鈍臭い面もあったし、自分の意見や気持ちを率先して発信する事も出来なかった。だから、彼に抱く感情は、恋愛と憧れと尊敬が混ざった様な、恋愛とは少し違う物だと思った。 現に、告白されて付き合った女子とも、なんの違和感も嫌悪感も持つ事もなく、普通に付き合う事が出来た。キスする事も、それ以上の行為も普通に出来た。この時の彼女との、別れの原因は単に、お互い大学受験に向けて忙しくなってきたからだった。 無事に第一希望の大学に入学すると、新歓で親しくなった女子と付き合う事になった。この時も、特になんの違和感も嫌悪感も抱く事はなかった。 だが…世の中にはよく似たタイプの人間が存在しているものだ。高校生の時に、複雑な感情を持って見ていた彼と、同じタイプの男子を見付けてしまった。 今こうして振り返ってみると、似ているのは表面的な部分だけで、内面は似ていなかった。 とはいえ、その彼に対する感情も、高校生の時と同じ物で、どうにかなりたいとは思わなかった。そんな感じだったから、自分は「ゲイではない」「バイではない」のだと思った。 いや…そう思いたかったのかも知れない。高校生の時も、大学生になった時も、心の何処かで無意識に…暗示を掛ける様に、ただ「そう思いたかった」だけなのかも知れない。 そう思う様になったのは、皮肉にも…あの日の出来事が切っ掛けだった。 あの日の出来事を簡単に説明するなら、彼女の浮気または、彼による寝取り。言い方の違いであって、結局は同じ事なんだと思うけど。 ただそれだけだったら、こんなにも引き摺る事もなかっただろう。そしてこんなにも恋愛に対して、懐疑的になったり、不安を抱く事もなかったと思う。 間が悪いというか…よりによって私は、その現場…行為の最中の現場を見てしまった。 課題に追われ、それを理由に彼女の事を蔑ろにしていた自分にも、非はあると思った。そんな私だから、彼女が彼に好意を持ったとしても、それを責める気にはなれなかった。 けれどそれから数日後、彼女は言い訳をしつつも、謝罪をしてくれだ。でも彼女の気持ちはもう、私に向いていない事に気付いて、別れる事になった。 だけど彼は違った。構内で私を見付けると、人気のない所に私を連れ出した。彼女との事について、何か話すのかと思ったが、そうではなかった。寧ろその逆だった。その時の会話は今も鮮明に覚えている。 「お前が女だったら、彼女みたいに抱いてやったんだけどな」 「え…どういう…」 「お前、俺の事好きだろ?いつもそういう目で俺の事見てるしな」 「違っ…」 「違くないだろ。でも俺には、そういう趣味はないから、他を当たってくれよ」 彼は言いたい事だけを言うと、さっさとその場から立ち去った。その場に残された私は、彼の言った言葉で頭の中がいっぱいになり、暫くその場から動けなかった。 そこからはよく覚えていない。だけど…気付いたら自宅の自分の部屋に居た。電気も点けず薄暗い部屋のベッドの上で、放心状態のまま、ただ横たわっていた事は、今でもなんとなく覚えている。 掻い摘む様に簡潔に話したが、それが私の過去…あの日の出来事だ。特に面白くもなく、そこまで拗らせる様な事かと問い詰められたら、何の反論も出来ない様な些末な事だ。 けれど、隣で根気よく無言で話しを聴いてくれていた関谷先生は、眉間に皺を寄せていた。私は(この人でもこんな顔をするんだ)と、失礼で不謹慎な事を思ってしまった。 関谷先生は怒りを顕にし、それを隠そうともしていなかった。その怒りの矛先が何処に向けられているのかは、私には解らなかった。 「あの…何か怒ってますか?」 「そうですね…怒ってます。でも、何に…誰に対しての怒りなのか、自分でもちょっと判断に困ってます」 そう言った彼の顔はいつもと同じ、優しさと明るさ溢れる表情だったが、確かに言葉尻の通り、少し困った表情も混ざっていた。 「あの…決して困らせるつもりはなかったんです。つまらない話しをした挙げ句、怒らせてしまって…申し訳ありません」 「謝らないでください。話しを聴きたいと言ったのは俺ですからね。寧ろ、話してくれてありがとうございます」 「そんな、お礼を言われる事ではありません。というより、聴いてくださってありがとうございます」 「ふはっ…お互いが、謝りあってお礼を言い合うの…笑っちゃいますね。どっちが会計をするのかと、言い争ってるみたいです」 「あ…確かにそうですね」 そんな会話をしていたら、本当に可笑しくなってきて、お互い顔を見合わせて笑ってしまった。 (くだらなくて、つまらない話だけど、この人に聴いて貰えて良かった。でも怒る理由が…あ、私が原因なのか…) 「野崎さん。正直に言いますね?」 「はい…」 「彼女に対しては怒ってはいないんです。でも、その彼に対しては怒ってます」 そう言って関谷先生は、眉間に皺を寄せて、少し考え込んでから話を続けた。 「え〜と…付き合っている相手に浮気をされ、別れる事になるという経験は、実はですね…実際に俺も経験してます」 「えっ?!関谷先生が?」 「経験してますよ。振られる事も多かったですね」 「えぇ~そんな、もっ…」  私はうっかり(もったいない)と言いかけて、慌てて口を噤んだ。 「ん?どうかしました?」 「あっ、いえ…なんでもありません。どうぞ続けてください」 関谷先生は少し不思議そうな顔をしつつも、更に話しを続けた。 「そんな訳で、浮気やら振られるといった類の話は特に珍しくもない。ただ、その理由やら何やらは、人それぞれ。捉え方や考え方によっては、どちらかが絶対悪とも言えない。なので彼女に対しては、そんなに怒りを覚えなかったんです」 「そうですね…私にも非はありました。だから謝罪をする彼女を、責める気にもなれなかったんです」 「では、彼に対してはどうです?悲しいとか、怒りで責め立てたい…といった気持ちはなかったですか?」 「あの時は本当に、何を言われているのかすら理解が追い付かなくて…。彼が言った事や、自分の気持ちが理解出来ませんでした」 「今は理解してます?」 「え…?えっと…それは当時の、彼に対する気持ちですか?私の気持ちですか?」 関谷先生の質問に、私は思わず混乱した。そしてそう、改めて問い掛けられて気付いた。そう…私は今でもあの時の気持ちを理解していない…という事に。 「気付きました?そう…恐らく、気持ちの整理が出来ていない。だから納得もしていない…というか、出来てない」 「確かにそうですね。思えばあの時の事は、思い出したくない、忘れてしまいたい。そういった感情が、先に出てしまっているかも知れません」 「嫌な事は忘れてしまいたい。そう思う事は自然な事です。程度の違いこそあれ…誰にだって、忘れてしまいたい出来事の一つや二つはあるものです」 そう言った彼の顔はどこか曇っていて、どこか辛そうに見えた。 「嫌な事は忘れて、楽しかった事だけ…記憶に残ればいいんですけど、何故かそういう風には出来てないんですよね。もちろん、その人の性格や、その時の状況にもよるんでしょうけどね」 彼はすぐに、いつも通りの軽い口調で話しを続けていたが、その表情はまだ微かに暗い感じがした。 (この人にも…そういう出来事や過去があったのだろうか…)と、そんな疑問が簡単に浮かぶ程には、関谷先生の表情は悲痛そうに見えた。 「あの…失礼なのは百も承知なんですが…」 「なんですか?」 「関谷先生にも、その…そういう過去があったんですか?」 「あ~、何か顔に出てました?」と、関谷先生には珍しく、同様しながら返事をした。 「いや…なんとなく、そんな感じがしただけです。なので、無理に話さなくて構いません」 「話したくない訳じゃないんですが、話せば長くなるのでまた別の機会でも話します」 そう言った関谷先生の表情からは、嘘を吐いている様には感じない。なので私は「解りました」と、聞き分け良く答えた。 「それで…さっきの本題にもどりますけど…。貴方が思う忘れてしまいたいという感情は、彼女や彼に対する気持ちも、全部引っ括めて「信用出来ない」って言葉に、集約される気がするんですよ」 (信用出来ないか…確かにそうかも知れない) あの時は自分にも非があると思って、特に深くは考えなかった。それは敢えて、考えないようにしていただけなのかも知れない。 彼の事を単に(嫌な記憶)としてインプットしてしまったから、思い出さない様にと…そう思い込んでいて、それ以上は考えずにいた。 「つまり私は…あの出来事に、ちゃんと向き合って来なかったから、今こうして「怖い」とか、無意識に不信感を抱いてしまってる…という事ですか?」 「向き合う事だけが、全てではありません。嫌なら逃げたって構わない。でもそれでは、何の解決にもならないと思いませんか?」 (言っている事が矛盾してる様に思うけど、そうではないんだろう…) 私が考え込んでいると、関谷先生は「だって、恋愛をしたいと思ってますよね?」と、笑顔で言った。 「えっ、あ、そうですね…。単純に、恋愛をしたいかどうかで答えるなら、恋愛はしたいです。でも長い間ずっと、私には「合ってない」とか…「無縁なもの」と、思っていましたから…」 「そう思ってしまうのは、その時の事が無意識のうちに、恋愛に対して歯止めを掛けてしまうからだと思いますよ」 確かに…何かと言い訳を作っては、本気で向き合う事から逃げてばかりいた気がする。それが原因で、恋愛する事に歯止めを掛けていたとは、考えた事もなかった。 恋愛をしたい…今までの様な、一過性のモノではなく「この人と…」と、思える誰かと幸せになれたら良いと思う。 (そう思う様になったのは、きっと青葉くんの影響かも知れないけれど…) 青葉くんが変わったのは、青葉くんがそれを知ったから。良い事も悪い事も含めて、青葉くんを受け止めて、受け入れて貰える相手が出来たから。 裏を返せば、それが出来る相手が居る…つまり、自分を曝け出せる事が出来るという事。そしてその相手もまた、同じ様に感じていると思う。 元宮先生の話しをしている時の青葉くんは、とても自然に笑顔になっている。青葉くんにとって、凄く満ち足りていて、幸せな証拠なのだろう。 私が無言で恋愛に対して色々と考えていると、関谷先生が「今更ながらの疑問なんですけど、質問してもいいですか?」と、沈黙を破る様に言った。 「なんでしょう?」 「その事があるまで、貴方が付き合う対象は異性でした。それが同性にも向いたのはどうしてですか?」 「それは…話すと、本当に下らない事なんですが…」 「物事の大半は、下らない理由が切っ掛けだったりします。でも話したくない様なら、無理して話さなくてもいいですよ」 それは一理あると思った。例え下らない理由とはいえ、それが切っ掛けになる事は多々あるから。でも問題なのはそこから先だ。スムーズにいく事もあれば、なかなかクリア出来なかったりする事もよくある。自分の場合は後者に当て嵌るだろう。 対象が同性にまで向いたのは、異性がダメだから同性に…という単純な理由でもない。ただ、どちらが自分に合っているのかが知りたかっただけだ。 「でも結局、どちらがいいとか…全く解りませんでしたね」 「それは、付き合う事を前提にした場合…の話しではないですか?」 「それはそうでしょう。付き合いたいとは思っていますから」 「さっきも言いましたけど、無意識に歯止めが掛かるんだと思います。だから身構えてしまうのではないかと思いますね」 「無意識にですか…」とは言ったものの、改めて考えると、無意識というのは厄介なのだと思った。 無意識の行動や言動というのは、殆ど癖になっている気がする。元々の性格もあるかも知れない。そう考えると、今更この癖の様なものも、性格もなかなか直らないのではないかと思える。 「それって、態度に出てたりしますか?」 「野崎さんの場合、逆だと思いますよ。身構えしまっている所為か、貴方にその気がない様に捉えられてしまって、相手もその気にならない。そもそも「恋愛したい」と思っていても、心の何処かで「恋愛とは無縁」と思って、深入りはしてこなかったでしょ?」 「あぁ…そうかも知れません」 相手が異性でも同性でも、その場ではその気になっても、心が動く事はなかった。その時点で、本気で恋愛がしたいとは、思っていなかったのかも知れない。つまり、最初から諦めていたという事だ。 「別にそれが悪いとか、無理に直せと言ってる訳じゃないです。でも、恋愛がしたいと思うなら、直すというか…変わらないとダメだと思いますよ」 「それは結局、直した方がいいという事ですよね?」 「う〜ん…すいません。半分…いや、殆どは俺がそうして欲しいって理由なんですけどね」 苦笑いしながら言う関谷先生は、バツの悪そうな顔で「本気で…恋愛の意味で付き合いたいんですよ…」と、呟いたかと思ったら顔が少し赤くなっていた。 それを見て、私は思わず(可愛い)と思ってしまった。と同時に、心の底から好きだと思った。 (そうだ…この人を好きだと思ったんだ。だから付き合えなくても…例え、身体だけの関係でもいいと思った…) 「でも私は…私も、貴方とお付き合いがしたいです。きっとこの先、ほんの些細な事で不安になったり、怖いと思ってしまうかも知れませんけど…」 ここまできて…この期に及んで尚、まだどこか逃げ腰というか、臆病になっている自分が居る。そして早くも、いざという時の為の言い訳をしている。こういう所もダメなんだろう。 (決して信用してない訳ではないのに…どうしてこうも…) 自分の気持ちが上手く言葉に出来ない。それはきっと、気持ちの整理が上手く出来ていないからだろう。そんな状態で気持ちを伝えようとしても、言葉が空回りするだけだ。 「焦らないでください。それに今は仕事中ではなく、完全にプライベートです。なので、無理に上手く話そうとしなくても大丈夫ですよ」 私が考え込んでいるのを気にしたのか、笑顔でそう言った。そんな関谷先生の顔を見て、気持ちが少し楽になった。投げ掛けられる言葉にも、優しさと暖かさを感じて安心する。 「これから先もこんな風に、逃げ道を作る為の言い訳をしたり、弱気な発言をすると思います。それでも…こんな私で良ければ、お付き合いして頂けますか?」 「勿論です。誰でもダメな所…欠点はあります。俺なんか欠点だらけですよ。でも多分…お互い、そういう所も含めた上で、好きなんだと思います。だから貴方も俺も、少しづつ直していきましょう」 私が無言で頷くと、関谷先生は安堵した様に「良かった〜」と、溜息混じりに言った。 「ここまできて「やっぱり付き合えません」て言われたら、どうしようかとハラハラしました」 「正直に言うと、まだちょっと落ち着かないんです。でも、好きだと思う気持ちだけは変わらないので、この落ち着かない気持ちは、ソワソワしてる感じなんだと思います」 「それは俺も同じです。仕事だけの毎日だったのが、これからはそうじゃないんだと思っただけで、顔が緩みそうです」 「そんな大袈裟な…」と言って口を噤んだ。でももしかしたら、自分も同じ様な事になりそうな気がした。 (もしそうなったら、即座に青葉くんに何か言われそうだ…) 「灯里に揶揄われるな…」と、関谷先生は苦笑いしながら言った。 「私も同じ様な事を考えていました。きっと私も顔が緩むのではないかと…そんな顔をしていたら、青葉くんに目敏く指摘されます」 私がそう言うと、どちらともなく顔を見合わせて笑った。 (好きな人と笑い合う…こんな日々が、少しでも長く続く様に頑張ろう…)
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