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第12話
After that~
目を覚ました時、すぐ横に好きな人が居る。元より童顔の彼のその寝顔は、より幼く見えて「いつ見ても可愛いな…」と、思わず呟いてしまった。
早いもので、野崎さんと付き合って二ヶ月が過ぎようとしていた。始まりが始まりだっただけに、付き合った当初はお互いどこかぎこちなかった。それも今では普通に下の名で呼び合う様になり、休みの日は一緒に過ごす様にもなった。
あの日、野崎さんの過去の話を聴いている時…心の奥底で、怒りという感情が爆発しそうになっていた。その後の会話の中で冷静さを取り戻したが、具体的な解決策は何一つ提案出来ず、自分でも(情けない…)と思っていた。それでも、彼は俺を選んでくれた…それだけで俺は充分だった。
野崎さんが気にしていた俺の過去についても、後日改めて話しをした。ずっと無言で聴いていた彼が、話しが終わると「あの…」と、躊躇いがちに口を開いた。
「それは…遼さんにとっても、トラウマなのではありませんか?私は貴方と違って専門家ではありませんから、それが本当にトラウマなのかは解りません。でも、貴方にとっても凄くショックな出来事だったでしょう?」
そんな事を言われたのは初めてだった。確かにショックだったし、悲しかった。でもそれを、トラウマだと思った事は一度もない。寧ろ、灯里に対する罪悪感しかなかった。
「実は…遼さんとお付き合いを始めてから、何回目かの青葉くんの受診日に、元宮先生から「関谷を俺という呪縛から解放してやってください」と、頭を下げられたんです」
「え…は?灯里が?頭を下げた?」
「ずっと心配だったらしいです…。きっと、元宮先生は気付いていたんだと思います。そして遼さんが抱いているその罪悪感と同じ様に、元宮先生にとっても罪悪感として、常に心の何処かにあったんじゃないですかね」
「っ…。う〜ん…やっぱりアイツには勝てないな~」そう、いつもの軽い口調で言うと、彼は笑いを堪えながら「勝ち負けではないでしょう」と言った。
今にして考えれば、全てがたらればだ。俺がカッコつけずに、灯里を病院に連れて行かなければ。灯里の立場で考えるなら…そう、泣いて我儘を言わなければ。
俺が罪悪感を感じれば感じる程、灯里にも罪悪感が募っていく。気付かないうちに、お互い罪悪感に縛られ続けていたのだ。
「そうですね…今のアイツなら大丈夫ですよね。本條さんと二人で、幸せでいっぱいの毎日でしょうから」
「そうですね。青葉くんも毎日、元気で絶好調です」
「そうとあれば俺も二人に負けないくらい、奏汰と二人で幸せになります」そう俺が言うと、彼は顔を赤くしながら黙って頷いた。彼はまだ名前で呼ばれる事に慣れない様だった。
(それにしても怒涛の二ヶ月だったな…)と、改めて思った。
まず第一優先だった、灯里が本條さんと同棲するか否か…の問題が、丸く収まった事は大きいだろう。
二人の間で、どんな話し合いをしたのかは解らない。単に灯里が根負けしただけなのかも知れないが、その可能性は低いだろう。灯里は変な所で意地っ張りというか頑固だから。
「二人に話したい事がある」と、灯里が俺に電話を掛けてきた時の声は、どことなく緊張感が滲み出ていた。俺は(やっぱりダメだったか…?)と思った。そう思った事は伏せたまま、俺は野崎さんに連絡を取って、三人で会う日を相談した。
三人で会うまでの数日、病院での灯里はいつも通りだった。強いて言うなら、どこか落ち着かないといった感じにも見えたし、その話しを避けている様にもみえた。俺がその事を言うと、灯里ははぐらかす様に「気の所為だ」と言った。
(そんな言い方をする時って、大抵が図星なんだよな~。全然はぐらかせてないんだよな~)と、思わず指摘したくなったが、何となく黙っておく事にした。
そしていざ迎えた話し合いの日、灯里は「お互いが納得いくまで話し合って、同棲する事に決めました」と、スッキリした顔をしてそう言った。
俺は野崎さんの顔を見て「良かったですね」と言うと、彼は心の底からホッとした様な顔をして「はい」と言った。
(あの灯里が納得するって…今でも謎なんだよな~。でもあの時の灯里の顔は確かに、何か憑き物が落ちた様な吹っ切れた表情をしていた。う~ん…本條さんは一体、どんな魔法を使ったんだろ…)
そしてその日、灯里の気が変わらないうちに…と言わんばかりに、野崎さんが引っ越しの日取りやら段取りを決めてしまった。
「本当なら俺がやらないといけない事なのに、全てお任せしてしまってすいません」
「いえ寧ろ、こちらの伝手を使った方が何かと融通が利くので、任せて下さって大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて貰います」
その日から、灯里は引っ越しの準備を始めた。仕事が終わって帰宅してからも、休みの日も引っ越しに向けて荷造りや、片付けをしている様だった。
「大変なら有給使えよ。人手が要るなら言ってくれ」
「有り難い申し出だけど、殆ど終わってるんだよ」
「えっ、早くない?」
「この際だから、不要な物は捨てようと思って捨ててたら、残った物の方が意外と少なかった」と言って、灯里は笑った。
普段から必要な物しか買わない主義の灯里が、まだ不要なものがあるという…それなら、手元に残る物はさぞかし少なくなるのだろうと思った。
「あ、でも…家電ゴミや粗大ゴミの日だけ、有給使うかも知れないな…特に家電ゴミ」
「使えばいいだろう?」
「そんな事の為にか?」
「そんな事ってお前ねぇ…」と、ちょっと呆れ気味に俺が言うと、灯里は「有給はその…取っておきたいんだよ…」と、珍しく頬を赤らめて言った。
カシャ…珍しい顔が見れたので、思わず手に持っていたスマホで写真を撮ってしまった。どういう訳か、この時の灯里は写真を撮られていた事に気付かなかった様だ。
それをいい事に「ふ~ん」と言って、如何にも野崎さんとLINEしてますという体で、彼にその写真と”本條さんにも見せて欲しい”と、メッセージを添えて送った。尚、この写真に関しては後日、本條さん経由で本人にバレ、腫れるかと思う程のデコピンを食らった。
結局、家電ゴミの問題は、母親と義姉に任せる事になり、灯里が実家に行って二人にお願いする事になった。
普段、灯里から頼られる事がなかった二人は、喜んで引き受けたらしい。他に手伝う事はないか…等々言われたと、灯里が話してくれた。俺は「良かったじゃん」と言った。でも灯里は違ったらしい。
「家族だと思っていたクセに、やっぱり何処か遠慮してたのかも。こんな事ですら、あんなに喜んでくれるなんて…」
「お前はもっと我儘を言ったり、甘えた方がいい。それを迷惑だとか嫌だなんて、誰も思わないんだから」
「それ…本條さんにも、付き合う時に言われた」
(そりゃそうだろうよ)と思ったけど、敢えて言葉にはしなかったのは、口にしなくても解ってると思ったからだった。
そんなこんなで、灯里の引っ越しも無事に終わると、残す問題は例の少年の事だけになった。
(例の少年…怜くんの事は、結果的に上手くいったけど、こうして思い返してみても冷や冷やしする案件だったな)
あの調査報告書を読んでしまったら、野崎さんじゃなくても放ってはおけないと思った。それが、医師としての使命感からくるものだったのか、単に彼に対してカッコつけたかっただけなのかは、今となっては解らないけど。
そもそも俺は芸能界には詳しくない。たまに、ドラマや映画を見るくらいの程度だ。そこに「ファンの子が…」と言われても、何をどうしたらいいかなんて全く解らない。
しかも実際に何かしらの被害に遭っているとか、それについての物的証拠になる様な物もない。全て「野崎さんの気の所為では?」と言われたら、そこで話しは終わってしまう。
そういった事も含めて、仕事終わりにそれを彼に話したら「証拠がないなら作らせればいい」と、如何にも物騒な提案をしてきた。俺は(え…既成事実を作らせる気なの?)と、反射的に思ったが、実際は、本條さんと灯里のツーショットを撮らせるといったものだったのだが…。
それを聴いて(良かった)と安心していたら、逆に「何かいかがわしい想像でもしたんですか?」と、ちょっと引き気味に呆れられた。仕事中の彼は、灯里並みに容赦がない。
(プライベートの時はあんなに可愛いのに…まぁ、仕事とプライベートは分けないとね。でも……)
既成事実の内容が想像と違った事に安心はしたけど、それは一歩間違えたら不味いのではないかと思った。要はその少年が、その写真をネット等に流出させる可能性もあるからだ。
「現在までの話しですけど…この少年の周辺から、隠し撮り等の写真が出回った事は、一度もありませんでした」
「でも流石に、灯里とのツーショットは別じゃありません?」
「可能性は低い気がしますけど…まぁ、仮に出回ってしまったとしても、あくまでも「男友達」として、言い訳出来るでしょう?」
「あっそっか…そうですよね、普通に見たらそうなりますね。二人が付き合ってる事を知ってる身としては、どうしてもそう捉えてしまいますね」
「まぁ…元宮先生は女性に見えなくもないですから、そうなったらなったで、何かしらの誤解は生みそうですけどね」
野崎さんの言う通り…灯里は不愛想で口も悪いが、顔立ち自体は整っている。イケメンとも取れるが、女性に間違われる事の方が多い。俺もそれが原因で、歴代の彼女達や友人達に誤解され別れた思い出がある。
BLという文化が一般的になる一方で、肝心のLGBTについては何の進歩もない。そんな未だ不安定なマイノリティな世界に、幸せを掴んだばかりの二人を放り込むのは、時期尚早だろう。とにかく今は地盤を固める事が、仕事では優先事項として動いている。
出来れば手荒な…こういった、騙す様な真似はしたくなかった。それは野崎さんも同じ考えだった。だからといって正攻法で挑んでも、野崎さんは顔を知られているから、近付いただけで警戒されて逃げらるだろう。かといって俺では顔を知られてないだけに、逆に不審人物扱いされるだけだろう。それでは意味がないという結果にいたり、結局この手を使うしかなかった。
野崎さんの立てた計画はを実行した日。俺は少し離れた場所から、怜くんを見張っていた。その間もずっと、何も知らない少年を騙し討ちしているという、罪悪感の様なものが拭えずにいた。それと同時に、怜くんが想定外の行動を取ったら…と考えると、妙な緊張感まで出てきてしまった。
俺は野崎さんと本條さんの遣り取りを、イヤホン越しに聴きながら(そろそろだな)と思った。怜くんは何も知らないまま、誰かと電話をしていた。時折、本條さんの住むマンションやその周辺を見回していた。電話の相手は恐らく恋人だろう。
(年相応な表情をして楽しそうに見えるけど、この子も闇を抱えてるんだよな…。そんな子を相手に、更に追い打ちを掛けるみたいで気が引けるな~)とはいえ、此方にも引くに引けない事情がある。だからこそこうして、計画の片棒を担いで見張りまでやった。
計画通りにいく勝率は五分五分…あくまでも怜くんの出方次第だ。この隠し撮りにしても、怜くんが何かしらの行動を起こさない限り、此方は何も出来ない。
(出来れば穏便に済ませたいけど…)と考えていた矢先、イヤホンから「あっ、灯里さんだ!ねぇねぇ野崎さん、此処で降ろして!」と聴こえてきた。どうやら灯里は予定通りの時間に最寄り駅に着いた様だ。
まずこの計画を立てる時に、最も重要な”ツーショットを撮らせる”と、いう事から考えた。これは然程難しい問題ではなかったが、二人の帰宅時間が同じくらいになる様に調整しなければならなかった。あまり早い時間だと人目に付きやすいし、あまりに遅いと怜くんが帰ってしまう恐れもあった。
普段は定時に帰らせる灯里に、俺は敢えて仕事を振った。仕事が終わった灯里が最寄り駅に着くタイミングで、本條さんを乗せた車を、野崎さんがわざと駅を通る様に通過する。灯里の事には目敏い本條さんの事だから、すぐに見付けて「一緒に帰りたい」といった様な事を、彼なら言い出すだろうと計算した。
(流石、本條さん…期待を裏切らないというか何というか…)
イヤホン越しに「野崎さんありがとう。また明日ね~」と、本條さんの明るい声が聴こえてくる。ドアが閉まる音が聴こえると、続けざまに「青葉くんを降ろしました。このままマンションを通過して、そちらに向かいます」と、野崎さんの声が聴こえた。俺は小声で「了解」とだけ返事をして、視線を怜くんから離さない様に神経を集中させた。
街灯は点いているものの薄暗くて、細かい所まではよく見えなかった。怜くんが、ポケットからスマホを出し入れしながら、マンションの辺りをキョロキョロしているのがなんとか見えた。それと同時に、見慣れた車がマンションの前を通過して行く。
すると怜くんは再びスマホを取り出しながら、キョロキョロし始めた。そして、駅…コンビニの方を見て嬉しそうな顔をした…と思ったら、顔付きが変わった。俺もつられる様にそっちを見ると、本條さんと灯里が楽しそうに歩いて来るのが見えた。
俺はハッとしてすぐ怜くんに視線を戻すと、早くもパニック症状を起こしていた。バッグを漁り始めて、薬らしき物とカッターを取り出した。
そこに野崎さんがタイミングよく合流。瞬時に状況を把握した野崎さんが「それはいけません」と、慌てた様に大きな声を出す。それと同時に、俺は怜くんの後ろから近付いて、その手にしていたカッターを取り上げた。
その後、怜くんを事務所に連れて行って話しをした。本條さんと灯里の関係も話した。警戒心やら何やらを少しでも取り除きたくて、敢えて此方の手の内を晒したが、決して怖がらせるつもりも、脅すつもりもなかった。でも、受け取り方によっては、脅迫されている気にさせたかも知れない。
それでも後日改めて、話し合いの場を設けた日。怜くんは逃げ出す事もなく、警戒心丸出しの蓮くんを伴って来てくれた。
(まさかあの場に本條さんも残るとは思ってもみなかったけど…っていうか、俺がうっかり「灯里が来る」なんて言っちゃったからなんだけどさ〜。いやホント、灯里の事に関しては期待を裏切らないな~)
結果的に、居残った本條さんと、遅れて参加した灯里に助けられながらも、話しは良い方向に進んだ。
そんな怜くんも今では、うちの病院で仕事をしながら診察やカウンセリングを受けている。表情も明るくなり、スタッフ達とも少しづつ親睦を築き上げつつある。
蓮くんもほぼ毎日の様に顔を出しては、スタッフ達と雑談をしたり、灯里と料理やお菓子作りの話しをしている。
(なんか色々、大変だったけど…全て丸く収まってくれて良かった)
「ん…遼さん…」
「あ、起きた?おはよう、奏汰」
「おはよ…ございます…」
(寝起きも可愛いな~)と思いつつ、俺は奏汰の頬を撫でた。
「何かあったんですか?」
「何もないよ。ただちょっと色々と思い出してただけ」
「……?」
「ねぇ、奏汰。俺達も一緒に住まない?」
「えっ?!」
俺の唐突な申し出に、一気に目が覚めたと言わんばかりに、奏汰は目を大きくして驚いている。
「前に言ったじゃん。俺、好きな人とはずっと一緒に居たい派なんだって」
「そ、そんな急に…しかも寝起きにする話しじゃ…」
「奏汰の事だからいつ話しても、きっと今みたいな反応するんだろうな~」
「揶揄うだけなら違う事でお願いしたい…」
「え~揶揄ってないよ。本気だよ」
「……もう一回寝ます」と言って、奏汰は再び布団に潜ってしまった。そんな様子を見て俺は「じゃあ俺も寝る」と言いながら布団に潜りこむと、背後から奏汰を抱き締めた。
「ねぇ、一緒に住もうよ~」
「もぅ…寝ないんですか?」
「奏汰の返事を聴くまでこのまま~」
「それはちょっと困ります…から…」
「うん」
「少し…考える時間を下さい」
「解った。でもそんなに待てないかも」
「善処します」
「ふはっ…うん…期待してるよ」
なかなか抜けない丁寧語。こうしてイチャイチャする事にもなかなか慣れない所も、名前を呼ぶ度に頬を少し赤くさせる所も、実は案外ドジな所も…全て引っ括めて愛おしい。
仕事中には絶対に、見せる事のない奏汰を知っているのは俺だけで良い。
これからは奏汰が最優先。奏汰の幸せが俺の幸せなんだと思う…ならば、その幸せが…楽しい時間が少しでも長く続く様に、俺も頑張りますか!
ー 終 ー
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