第7話

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第7話

Thinking ー 3 どちらともなく話を一旦途切らせたタイミングで、ランチが運ばれて来た。まずは腹ごなしと言わんばかりに、お互い無言でランチを食べ始めた。 (あぁ、でも…確かに、ちょっと驚いてた気がしなくもない。でもそれ以上に、話してくれたのが嬉しそうにも見えた気がしなくもない…)と、俺はまだ過去のあの日の事を思い出していた。 まぁ、普通に考えれば驚きもするだろう内容だ。人によっては、拒絶反応を示したり、否定的な言葉を投げ付けたりもするだろう。恐らくそれが、ごく一般的な反応だと思う。 けど少なくとも、両親も兄貴もすんなり受け入れてた。仕事柄…もしくは、その道に進もうとしている人間が、頭ごなしに拒絶や否定はしないだろう。もし受け入れ難いと思っていても、理解しようとはしていたかも知れない。 例え家族であっても、それぞれが一人の人間であり、一つの個である事を前提に、灯里の意思を尊重したのだ。 (医者の道に進むって言った時だけは三人共、流石に反対してたけどな) 気付くと皿の上には、最後の一口分しか残っていなかった。その一口も腹の中に収めると、絶妙なタイミングでコーヒーが運ばれて来た。 空いた食器を持って立ち去る店員を見送ると、コーヒーに砂糖を入れながら、灯里が話を始めた。 「え〜と…話を戻すと、野崎さんがその手の話に乗ってこないって事か?」 「乗ってこないっていうか…最初は仕事の話しや、例の件についての話をしてる。だからそういう色っぽい話にならない。考えてみたら、真面目な話ばっかりだな」 「ん?ならなんでセックスする事になるんだ?」 「何となく…?」 「何となくって…あぁ、なんかそういう流れになるんだっけ?」 「そうそう」 「真面目な話ばっかりじゃなかったのか」 灯里は呆れた様にそう言うと、悩む様に腕組みをしながら続けた。 「ん〜そんな真面目な話から、どんな流れに持って行ったら、セックスする事になるのか知りたい」 「おい、変な所に興味を持つな」 「本條さんがさ…」 「本條さん?」 「お前の様子が変だって言ってたのと同じ様に、野崎さんの様子も変だって言ってたんだよ」 灯里の時といい…どこまで観察力が良いんだろうかと、不思議に思った。共感覚とは違う類だとは思うけど、似た様なモノを持っているんだろうか。 それをそのまま灯里に言うと「あれは本能だよ」と言って、後を続けた。 「子供の頃からあの業界にいる所為で、自然に身に着いたんだろう。いや、本来なら誰もが持っているモノが更に研ぎ澄ませれたって感じかな…」 「彼は野生動物か?」 「まぁ感覚的に言うなら、それに近いんじゃないかと思う。それに加えて職業柄、擬態もしやすい。そうでもしないと、長年あの世界で生き残れなかったんじゃないのか…という考えに至った」 「なるほどな…。華やかに見えて大変な世界だな」 どんな仕事でも大変なのは変わらない。ただ、程度の違い…ギャップがあり過ぎる気がする。特に灯里の前だと、本当にあの本條青葉なのか?とすら思う。 「そんな訳だから、本條さんも気にしてたんだよ。その原因は、お前にあると思うんだけど?」 「えぇ~俺なの?」 「他に居ないだろう?仕事面ではいつも通りだって言ってたし。ならプライベートって事になる。プライベートって事なら、原因はお前しか思い付かない」 「そう言われると、責任感じるんだけど…」 「なら責任取れよ」 「えっ、どうやって?!」 「ん~そうだな…。やっぱり、告白して付き合うのが良いんじゃないか?」 「だから、タイミング…」 真面目な仕事の話をしている時に、突然「付き合って下さい」とは言えない。だからといって、今のままで…良い訳でもない気がする。 (あれ?) 「今の関係って、やっぱりセフレになんのか?」 「付き合っていないのに身体だけの関係なら、異性同性に拘わらず、そういう認識になるだろうな」 「でもまだ二回だぞ?」 「回数の問題じゃない。どっちにしろ身体だけなんだから」 「好きな人としかキスしないって…」 「それはお前がノンケで、自分の事を好きになるなんて思ってないからだろう。それに、キスしなくてもセックスはしてるんだから、そういう関係って事だよ」 呆れながら言う灯里を見て、心の中で(なるほど)という気持ちと(やっぱりそうなのか)という気持ちが、行ったり来たりした。 タイミングさえあれば、告白する事はなんの問題もない。だけどそのタイミングさえ見透かされ、彼に先回りをされて、結局は気持ちを伝えさせて貰えない気がしなくもない。 「そろそろ時間だな」 「あぁ、もうそんな時間か~。休憩時間って短く感じるよな~」 その時、スマホのバイブ音が聴こえた。すると灯里が「あ、悪い…ちょっと待って…」と、いそいそとスマホを弄り出した。 (あ~あ~、そんなに嬉しそうな顔しちゃって)と微笑ましく思いながらも、俺はちょっと揶揄う様に「本條さんか?」と聞いた。 「うん…明後日、オフになったらしい。あと、ロケ弁の写真…」 「へぇ~」 「でも明後日…宿直なんだよな…」 「代わってやろうか?」 「でも本條さんがオフなら、野崎さんもオフなんだから、会う予定になるんじゃないのか?」 言われてみればそうだけど、今のところ何も約束はしていない。寧ろ、仕事の話なら病院の会議室や応接室の方が良い気がする。 (病院ならセックスする流れにならないだろうし…) 「それに、ズレたシフトなんかは大丈夫なのか?」 「それは大丈夫。今週は残り日勤だけだった。病み上がりだから、気を遣ってくれたんだろうな。代わりに書類作成やら何やらが山積みです…」 「なら、それは時間が空いた時に手伝ってやるよ」 「いいのか?いつもなら「自分でやれ」って言うのに」 「宿直代わって貰うお礼ですよ、関谷先生」と言って笑ったその顔には、嬉しさが溢れていた。 今までの灯里なら、セフレより宿直を優先させた。子供がいる医師に対しては、率先して宿直を代わったりもしていた。なのに今では、優先順位が変わっている。 (ほんと…人間てここまで変われるんだな…) 俺達は会計を済ませて、病院内のスタッフルームへと戻った。残りの時間で、頼みたい書類の整理をしていた。 「でもさ、灯里も昨日の纏めやったりするんだろ?大丈夫なのか?」 「あぁ、要点は書き出してあるから何とかなる。それに、勉強会まではまだ時間あるから、手伝いながらでも出来る」 「俺もお前みたいに、頭の出来が良ければな~」 「お前はやらないだけだろ…」と今日、何度目かの呆れ顔をして、大きな溜息を吐いた。 午後の診察が始まって灯里も俺も外来に行き、それぞれが仕事を終えたのは、18時を少し過ぎてからだった。 スタッフルームで束の間の休憩を取ると、俺は書類を取り出した。そこに灯里が来て、手前にあった書類を手に取ると「手伝う」と言った。 「良いのか?」 「少しづつでも減らしって行った方が楽だろう」 「そうだけど…」 「それより、野崎さんには連絡したのか?」 「あっ、忘れてた」 そう言って慌ててスマホを取り出したものの、切り出し方が解らない。スマホを持ったまま、途方に暮れていると、灯里が「多分、本條さんが話してると思うぞ」と言った。 「それはお前が泊まりに行く話だろ」 「まぁ、そうだけど。ありのまま書いて送ればいいんじゃないか?」 「ありのままねぇ…」 実際それしか書きようがない。なので、直近で会えるのは宿直の日の夜、病院内で良ければ会って話せるという様な事を書いた。読み直してみたが、他にしっくりくる文章が思い付かなかったので、そのまま送信した。 「本條さんは何か言ってたか?」 「あぁ…お前が代わってくれるって伝えたら「関谷先生にお礼しなきゃ!」ってさ」 「そんな気を遣わなくても良いって言っといてくれ」 「ああ見えて礼儀正しいっていうか…善意には善意で応えるタイプだから仕方ない」 そんな話をしていると、LINEの通知音が鳴った。俺はスマホを取ってLINEを開く。見ると彼からの返信だった。 『宿直の日に、病院でお会いするのは迷惑ではないですか?』と、如何にも彼らしい内容だった。 仕事の話をするなら、寧ろ迷惑などではない。何なら、必要な資料や書籍類もある。俺はそういった事をそのまま書いて送った。 すると、すぐに既読がついて『では何時頃にお伺いすれば宜しいですか?』と返ってきた。宿直の前…まぁ、午後の診察後は何かと人の出入りが多い。 (隠れて会う訳じゃないけど、人目が多いのも何だかな〜。落ち着いてからの方がいいな…って事は、ちょっと遅くなるけど20時頃がいいか…) 『了解しました。そのくらいに、お伺いします』 「はぁ~。LINE打つのに、こんなに気を遣うとは…」 「それは何となく解る。いや、解ると言うか…俺の場合、なんて返したらいいのか困る」 「ふはっ…確かにお前の場合、文面でも素っ気ないもんな」 「そんなつもりはないんだけどな…」 灯里の返信内容は想像に容易い。絵文字も顔文字も使わない。最近やっと、スタンプを使う様になったくらいだ。恐らく、本條さんに言われたのだろう。 「会う約束は出来たのか?」 「病院でな」 「拒否られなかっただけ良いじゃないか。色気もムードもないけどな」 「真面目な話をするのに、そんなもん要らないだろうが」 「お前はそう思ってても、向こうはそう思ってないかもよ?」と、にやにやした顔で言う。 「あのな〜余計な挑発すんなよ…」 そんな馬鹿げた会話をしてから迎えた、数日後の宿直の日。夕方に病院に行き、タイムカードを押していると、数人の女性スタッフがやって来た。 「あれ?関谷先生、宿直ですか?」 「そう。元宮の代理」 「なるほど…て事は、もしかして元宮先生、今日はデート?」 「こら、詮索しないの。早くしないとお迎えの時間に間に合わなくなるよ」 「そうだった。じゃあ、私達はお先に失礼しま~す」 「はい、お疲れさん。気を付けて帰れよ~」 そんな事を言いながら見送って、更衣室に向かう。そこにも数人のスタッフ達が居て、楽しそうに雑談をしていた。 (皆楽しそうで何より。それに比べて俺は…) 「おい、何してんだ?入るなら早く入れ」と、不意に後ろから声を掛けられ驚いて振り向くと、眉間に皺を寄せた灯里が立っていた、 「気配消すのやめてくれない?」 「消してない。単にお前がボーっとしてるからだろ」 眉間には皺を寄せて怖い顔をして、言葉には棘を孕んでいるにも関わらず、どことなく雰囲気が柔らかく感じるのは、この後のデートの所為だろう。 「関谷…お前、大丈夫か?」 「へっ、何が?!」 「なんか辛気臭い」 「しっ…辛気臭いって…」 確かに、彼に会える事だけを考えるなら嬉しい。だけど、この前の事も考えると今一つ気が乗らないというのも正直な気持ちだった。 「何かあったら、話くらいは聴いてやる。それと、相手の気持ちも大切だけど、お前の気持ちも大切にしろよ」 「えっ、あぁ…」 「じゃあ、有難くお先に上がらせて貰うな」 「おう、楽しめよ~」 そう言って灯里を見送ると、残っていた他のスタッフ達も、口々に「お先に失礼します」と言って、更衣室を出て行った。 (俺も此処で考え事してる場合じゃないな。引き継ぎやら何やら済ませないと) そんな事を考えながら、着替えを済ませて白衣を着ると、ポケットにスマホを入れて更衣室を後にした。 スタッフルームではなく、ナースステーションに行くと、既に交代のスタッフ達も集まっていて、此処でも皆が楽しそうに雑談をしていた。 「楽しそうだね~」 「あ、関谷先生。おはようございます」 「お疲れ様です」 その場に居た皆と挨拶を交わす。そして、残って居た昼のスタッフ達も含めて、引き継ぎの報告やら何やらを一通り済ませる。 「…これで以上です。特に変わった事はありません」 「了解。あっ、そうだ…この後来客があるから、応接室に居るね」 「MRの方ですか?」 「残念、ハズレ。そっちじゃなくて野崎さん。来たら応接室に通してくれる?」 「解りました」 諸々一通り終わると、ステーションから去って行く者、そのまま居残る者に分かれた。俺はステーションから出ると、応接室へと向かった。 応接室に入ると電気を点け、山積み書類の束から幾つか持って来ていた書類を、テーブルの上に置いた。ついでと言わんばかりに、彼から預かっていた書類袋も、その上に重ねる様に置いた。 約束の時間までにはまだ少し時間があった。空き時間に、少しでも減らしていかないとならない。書類を手に取って、目を通し始めた。 本来なら事務や兄貴がやる仕事でも、俺がやらないとならないケースもある。目を通してサインするだけの物もあれば、そうでない物もある。面倒だがこれもまた仕事だ。 うちの病院は親父が立ち上げたが、別に世襲制にするつもりはないと、親父は言っていた。その親父が「そろそろ引退しようかと思う」と言い出した時、灯里は鼻っから「やる気はない」と言った。 他にも医師は居たが、病院の医院長なんて誰もやりたがらない。それならいっそ、自分で開業した方が良いと考えるのが普通だろう。そのお陰で、兄貴か俺のどちらかが後継きとして院長に…もう一人が、副院長になる事になった。 兄貴と灯里と俺の三人で話し合った結果、兄貴が適任だと決まった。副院長なら灯里が良いんじゃないかと、兄貴も俺も言ったが、本人は「患者と治療に関する事だけに専念したい」と言った。なので、俺が副院長にならざるを得なくなってしまった。 でも、公平に話し合ってそう決めたのだから、こうして副院長としての仕事が回ってくるのは仕方ない。 (まぁ、新規セクションの責任者は俺だし。灯里が率先して動く分、せめて俺はこうして裏で色々とやって回していかないとな…)そう思いながら、書類に目を通し始めた。 書類を相手に右往左往し、時計を見るとそろそろ約束の時間になる所だった。彼の事だから5分前か時間ピッタリに来るだろう。 (仕事柄なのか性分かは解らないけど、そういう人だよな〜)と思うと、少し可笑しくなった。それに加えて、帰り際の灯里の微妙な応援を思い出して、声を出して笑いそうになった。 (アイツらしいっちゃあ、アイツらしいけどな。まぁでも、確かにアイツの言う通り。俺自身の気持ちも大切だよな。とはいえ、答えはもう出てるんだけど) その時、応接室のドアをノックする音が聴こえた。俺はドアに向かって「どうぞ〜」と、声を掛けた。 「失礼します…」と小声で言いながら、彼は何故か恐る恐る…という様にドアを開けた。 「お待ちしてました。あ、すいません。今すぐ片付けますから、ソファに座って待ってて下さい」 慌ただしく俺がそう言うと、彼は申し訳なさそうに「お忙しい時にすみません」と言って、ソファに腰を降ろした。 「あぁ、別に忙しい訳じゃないんです。単に休んでる間に溜まったり、送られてきた物もなんです」 「二日しか休まれていないのに、こんなに溜まるんですか?」 「休んでる間に来院した患者さんのカルテや、受け持ちの入院患者さんのカルテ、例の件の書類なんかが殆どです。中には兄貴じゃなくて、俺が担当している関係で目を通さないといけないやつですね」 俺がそう言うと、彼は「お医者さんも大変なんですね…」と、驚いた顔をして言った。 「量が多いだけで、内容はそんなに難しい物ではないんですよ。そういったやつは兄貴が担当ですし。それに、珍しく灯里が手伝うと言ってましたから」 「もしかして…それは今日、元宮先生が青葉くんと会う為ですか?」 「滅多に会えない二人ですから、チャンスは活かしてやらないとね」 「そうですけど…」 言外に含みを持たせる様な、歯切れの悪い返事をする彼に、俺は「残念ですけど…アイツからは、同棲する意思は微塵も感じませんでした」と告げた。 「もう、話してくれたんですか?」 「親から頼まれたとかで、休んでる時に様子を見に来てくれたんです。その時に軽く話してみたんですけどね…そりゃあもう、ズバッと一刀両断でした」 「前に仰っていた通り、説得は難しそうですかね…」 「アイツが相手じゃあ、下手な駆け引きも通用しませんしね」 そこまで言うと、彼の肩が少し落ちた様に見えた。表情も少し曇って見える。そんな彼を見て(そんなに落ち込む事か?)と、思ってしまった。 この現代社会に於いて、交際にしても、同棲にしても、結婚するにしても、そこには互いの同意がないと成立しないだろう。それが異性同士、同性同士であってもだ。 同意なく一方的…となれば、それはそれで何かしらの事情があるか、問題があるかだ。最悪の場合、犯罪になりかねないのだ。
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