樹海での告白

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 鬱蒼とした樹木が生え茂る森林に二つの死体がある。  一つは何度も頭を打ち付けられて人の頭の原型をとどめていないもの。  もう一つは真っ赤な返り血で身を染めたまま大きく実った木の実のように樹木にぶら下がって首を吊っているもの。  時臣は仕事上遺体を幾度となく見てきたが、未だに人の死に慣れることはできていなかった。我々が普段と変わらない日常生活を送っている背後でこのような凄惨な事が起こっていたと思うと背筋に寒くなる。 「それにしても不気味な現場ですね」  時臣の頭の中を代弁するようなことを言いながら、部下の若林静香が落ちた枯れ葉を踏みしめながらこちらにやってくる。彼女はしかめっ面をしながら、凄惨な現場を見渡していた。 「気をつけろよ。ここは自殺の名所なんだ。お前の足下に死体が埋まっていてもなにも不自然じゃない」 「ちょっと。怖いこと言わないでくださいよ」  言いながら、若林は自分の足下を目をやる。彼女はどの仕事も優秀にこなすことができるが、死体を見るのが苦手なのだ。 「それで、身元は分かったのか?」 「はい。頭が潰れて亡くなっているのが米谷義男さん36歳、首を吊って自殺している方が梶紀子さん34歳です。二人は昨夜22時頃に梶紀子さんが所有する車でここに来ていたようで、麓の駐車場に二人が乗っていたと思われる車を発見しました。二人の死因は他殺と自殺で間違いないそうです」 「二人の関係は?」 「未だ不明です。梶紀子さんは結婚していて10歳の息子がいますが、米山義男さんは未婚だったようです。もしかしたら二人は不倫関係にあったのかもしれません」  時臣はもう一度現場を子細に見る。米谷義男の傍らには凶器と思われる被害者の血や髪の毛が付着した石が落ちていた。こぶし大の大きさで女性でも力いっぱい振ることが出来そうなサイズだ。  飛び散った血が辺りの落ち葉を真っ赤に染め上げていて、周囲の木の幹にもその血が飛散している。何度も頭を打ち付けられたようだ。こういう殺しは加害者側に強い動機がないとできない。 「状況から見るに梶紀子が米谷義男を殺害後、首と吊って自殺したという線が濃厚だろうな」 「でもそれだと辻褄が合わないんです」と若林は手帳を見ながら言った。 「どういうことだ?」 「二人の死亡推定時刻を確認してみたところ、紀子さんの方が死亡時刻が早いんです。その差は四時間でその後に義男さんが殺害されています。つまり四時間早く自殺した紀子さんには義男さんは殺せないんです」  それは考え得る限り最悪なパターンだった。若林が言ったことが正しいのなら、米谷義男を殺した人物は他にいることになる。 「でもそうなると、梶紀子についた返り血に説明が出来ないじゃないか。あれは米谷義男のものなんだろ?」  梶紀子の服には大量の血液が付着しており、それが米谷義男のDNAと一致したとい結果はすでに出ている。血液のシャワーを浴びたように真っ赤に染まった梶紀子の服をみるに、彼女が米谷義男を殺害したと見るのが普通だろう。 「まあそうなんですけど……」と若林は困った顔を作って言う。彼女もこの不可解な状況に頭を悩ませているようだった。「でもどうして二人はここに来たんでしょうか」 「そりゃあ、こんなところにくるなんて理由なんて自殺しかないだろ」 「つまり、二人は心中するつもりでここに来たって訳ですか?」 「そういうことになるな」  若林は納得出来ないと言う風に顔を傾げる。その理由は時臣自身も分かっていた。 「だったら、自殺する時に使う道具が一つしかないのは変じゃないですか」  自殺する道具としてあるものは梶紀子が首を吊っている登山用のロープだけだった。もし二人が自殺をするつもりで来たのなら、もう一つ自殺ができるような道具がないと不自然だ。 「米谷義男を殺した人物が他にいるなら、そいつが持っていったと考えるのが妥当だろうな」 「何のためにです?」 「そんなの知らん。なんでもかんでも俺が知ってると思うなよ」 「はい。それは分かってます」  若林は表情を一切変えずに現場を観察しながら言った。生意気な部下に制裁を与えたい気持ちを時臣はグッと堪えた。 「とにかく今は被害者二人の周辺を洗ってみろ。もしかしたら恨みなんかを持っている奴がいるかもしれないからな」  話しが纏まった二人の刑事は捜査に向かうべく、現場を後にする。積み重なった落ち葉が踏みしめられる音が樹海の中に響いていった。
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