かぼちゃの馬車はあとで美味しく頂きました

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きっと今は『魔法』は使うべきでは無い。 変に此処で影尾がしゃしゃり出て面倒事が膨らむなんて冗談じゃ無い。 万能では無いのが口惜しい。 「早水先輩」 「ん?」 きゅっと身体ごと向き直り、だいぶ高い位置にある整った顔を見上げる。 影尾も平均身長以上あるものの、この男の身長には思わず唇を噛み締めたくなる衝動に駆られるが、それは今では無い。 「あの、あれ、俺等の部屋に誰か居るんですよ」 そう、何事も優先事項を決めてから。 早期発見したのであれば早期治療ならぬ、早期処置。 「えー?あ、本当だ」 「俺の知り合いじゃないし、相良に用があってきたんかな、と思ってるんですけど。アイツ今日は部活だし、先輩知りません?」 ここ数年で一番の影尾のキョトン顔が発動される。 「は…?」 それを一瞥した早水の鋭い視線は彼等へと。 「あの人、小野田だ」 「あー先輩は知ってるんですねぇ」 「素行悪いし、性格も最悪。親は成金金持ちで叩き上がってきたって言うのに息子があんなんで可哀想だって、いつだったか虎壱が笑ってたなぁ」 ーーーへぇ。 意外と周りの事もよく見ているらしい。相良しか興味が無いと思っていたがよくよく考えてみれば親を含めた広い世界では、影尾の知らない色々な繋がりがあるのかもしれない。 特に高校生にもなれば、無知では済まされない事だって彼等にはあるのだろう。 感嘆の声を洩らしそうになるのを抑える影尾を他所にすっと歩き出した早水の足取りに迷いは無い。 真っ直ぐに向かった先は影尾の部屋の扉の前で取り巻きと話をしている小野田達の元。 (おっと、) すぐに身を翻し、階段付近からほんの少しだけ顔を出す。 この位置ならばあちらからは影尾の姿は見え難い筈だ。 しかも向こう側にはエレベーターがある。きっと早水に声を掛けられ、詰問されれば小野田達はこちら側に逃げる事は無いだろう。 (ーーービンゴぉ…) そしてその影尾の読みはものの見事に予想通り。 早水の背中で相手の顔は見えないが、声を掛けられたらしい小野田は二言、三言言葉を交わすと勢いよくその場から踵を返したらしく、バタバタと逃げ帰る姿だけは確認できた。 (上出来…) 計画通り、と背後に林檎が大好きな悪魔を従えた様に気持ちが昂る。 そそそそっと一応の警戒を保ちながらも、早水の方へと近寄れば、タイミング良く此方を振り返った早水がコテっと首を傾げて見せた。 「何の、用事でした?」 「いや、それがさぁ。何の用って聞いたんだけど、全然わかんねぇの」 「へぇ…何だったんですかね」 腑に落ちないと言わんばかりに眉間に皺を寄せる早水だが、影尾にとっては好都合だ。 あれで『木澤に用がある』なんて言われた暁には熨斗かリボンでコーティングされて引き渡されていたかもしれない。 (相良の名前出しといて正解だわ) 早水の背中からでも伝わった不穏なオーラは小野田達にはラグビー部の精鋭のタックルの如くぶち当たってくれたのであろう。 古賀には及ばないかもしれないが、それでも早水が相良を大事にしている事が伝わった一場面だ。 「取り敢えず、何も無いなら良かったです」 白々しいと自分でも思うが、一応頭を下げつつ軽く礼を言えば、早水も肩を竦め、 「まぁ、いいか」 と、ふふっと笑って見せた。 「一応古賀にはチクっといてやろう」 「そうっすね、それがいいかもですね」 ようやっと誰も居なくなった扉に鍵を差し入れる。 朝から少々気疲れしてしまった感が拭えないがまだまだ時間はある。これからまったりと掃除をして、午後からは文字通りゴロゴロと惰性を極めよう。 ふんっと鼻息荒く扉を開き、それじゃあと早水にもう一度頭を下げようとした影尾だが、すっと顔面に掛かった影と圧に反射的に身体を仰け反らせた。 「ちょっと風呂貸してぇ。部屋まで戻るのダルくなったわ」 「ーーーえ、」 身体をぬっと滑らせ、我が物顔で入り込んでくる早水がずかずかと向かう先は共同のシャワー室。寮には大浴場もあるが、こうして個室に一つではあるがシャワーが設置してあるのだ。 だったら自分の部屋でと、慌てる影尾を他所に、 「覗くなよぉ、盗撮とかしたらお前のカメラ射抜いてやるから」 パチンとウィンクひとつ投げ掛け、早水の姿はシャワー室へと消えてしまった。 「え、えぇ…」 此処で抗議の為に扉を開ければ、きっと10:0で影尾の完敗が見えている。 誰がどう見たって変態がアイドルのストーキングと言う名の推し事をしているようではないか。 行き場を失くした手をそっと下ろし、はぁっと出て来る溜め息が音を伴って床に落ちて行くくらいに重くかんじる。 「コーヒー…淹れるか…」 相良の持っているこだわりであろうコーヒーでは無いが、自分のインスタントで良ければ…。 早水の分もカップを用意し、湯を用意する影尾の姿は土曜日の爽やかな朝とは全くの真逆を行く場末感が漂うのだった。 矢張り、案の定と言うか、 「えー。何このコーヒーまっず」 ちゃっかり相良の部屋に置いていた古賀の服を着用した早水から、いらん非難を受ける羽目になるのだ。
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