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可愛い?
「え?か、かわ、い?」
「だって、俺が服がだせーっつったから、気にして買うんじゃねーの?可愛いやつじゃん」
何を言われたのか分からないと言わんばかりに目をくるりと動かす影尾の瞬きはあまりに高速で、それをまたくすくすと笑う御上にじっとりと眼を細める。
可愛いって、なんだ。可愛いとは。
「だって、ほら、俺の言葉に影響されたのかと思ったらさぁ。健気っつーの?」
「別に…先輩に言われたからじゃないけど」
「どうする?俺の好みで見立ててやろうか?」
「えぇ…」
嫌な顔をしつつも、その御誘いはかなり魅力的だ。
影尾の視線がそろりと彷徨う。
正直センスが無い為に今までの私服だって何の疑問も持たずに着用していたのだ。そんな影尾の自前のセンスなんて信用できるのだろうか。
しかも人と一緒に服を選ぶなんて、これも初体験。
「――――気が、向けば、」
しばし首を捻った後に出て来た影尾の小さな声はあまりに聞き取りにくいモノだっただろうが、御上には十分聞こえたらしい。
あははっと笑う声を聴きながら、むぅっと顔を逸らすもそんな二人の遣り取りを見ていたのであろう相良と眼が合うと影尾がびくっと肩を揺らした。
「な、何?」
「えー…何か、御上先輩と影尾っていつの間に仲良くなってんの?」
自分は三年も掛かったのに、とでも言いたいのか、何処か胡散臭げと言うか、怪訝そうなその視線。
古賀も釣られてこちらを見遣る中、早水が三個目のブリト―を手に確かに…っと小さく呟く。
「仲良くは無いだろ、普通だって、ふつー」
へらりと笑って見せる影尾だが、特別悪い事なんてしていないにもかかわらず、何故かドギマギとする心臓が煩い、痛い。
「えー普通くらいの仲で口元のソース拭いてやったりする?」
疑うような目付きで影尾と御上を交互に見遣る相良の視線から、言いようの無い罪悪感にも似た気持ちに俯き陰るも、
『えー普通くらいの仲で口元のソース拭いてやったりする?』
―――――あ、
言われてみれば。
可愛い、なんて言われた事に気を取られていたが、幼い子供の様に口元に着いて汚れを拭き取られていたなんてどうなのだろう。
勢いよく、ばっと御上へと顔を遣れば、してやったりな涼し気な顔立ちでふっと笑う姿に、影尾の頬は引き攣りそうになりながらも、表に感情を表すのをぐっと堪えた。
(本当…辛抱強い人間になれたわー…)
なんて、今までの境遇を思い返す影尾の耳は、見事に染まった赤色だ。
*
服を選びたいと鼻息荒い相良が連れて行ってくれた先は、影尾が一人では絶対に入らないような、若手のデザイナーが数人で立ち上げたと言うブランド店。
どこで知り合ったのか、最近そのデザイナー達と顔を合わせたらしい古賀のおすすめと言う事もあり、ほいほいと店内をうろつく相良には何の迷いも無いが、こちらはどうだろうか。
(う、わ…)
あまり顔色の宜しくない影尾が出来上がっている。
金の問題だとか、趣味ではないとか、そこでは無い。
人見知り、小心者、内向的と言うトリプルコンボが揃うには打ってつけの場所だから、だ。
影尾の脳内で、よく言われるショップでのあるあるが思い出される。
(絶対に店員に声とか掛けられたくない…っ!!!!)
服を選んでいて店員に声なんて掛けられても上手く対応出来る気がしない。それどころか、普通に喋れるかも問題だ。
躱せるだけのスキルがあればいいが、知らない場所、何の情報も持っていない人間に対しては多少ただの挙動不審気味な男子高校生に成り下がってしまう。
案の定と言うか、その店の従業員達がこちらの様子をチラ見しながら笑顔で挨拶をしてくれるのだが、曖昧に視線を逸らす事で精一杯。
「一緒に服選ぼう、影尾ー」
と、笑顔の相良には悪いがダラダラと付き合ってもいられない。
相良の背後から一緒に店員が近づいてくる。
いや、無理、マジで陰キャを舐めないで欲しい。
「よしきた、相良。俺が見立ててやるよ。上から下まで、任せろ」
「え、いや、ちょ、ま、か、影尾、っ」
そんな思いが通じた訳は絶対に無いだろうが、金粉を巻き散らかさんばかりの笑顔で相良を引き摺って行く古賀に、この時ばかりは両膝を突いて感謝してやってもいいと思えたくらいだ。
だが、そんな安堵している場合では無い。
店員が近付いてくる前に適当に選んでしまおう。
正直服の良し悪しなんて分からないが、それなりに人気があるブランド物ならば何を選んでも別にいいのでは、と、取り合えずサイズだけでも確認する影尾だが、すっと近付いて来た人影に思わず舌打ちが出そうになってしまった。
(来た…)
センスとお洒落と言う文字を着ているだけにしか見えない従業員。
(―――取り合えず、一人で見たいと言お、)
「木澤はさぁ、顔が地味なんだからちょっと明るい色着たら?」
「―――へ、」
真横と言うよりは、真上から聞こえた声に咄嗟に顔を上げれば、背後から伸びた手が影尾の手元よりももっと右側から一着の服を取り出す。
「顔の造形なんて整形しないと変えられないんだし、せめて色味で明るくするくらいしてもいいんじゃない?」
ひとつの会話にいちディスリ。
一日一善の真反対、思春期の反抗期の絶頂と中二病を掛け合わせたようなそれを座右の銘としていると思われる早水から渡されたのは、淡いくすみカラーのサマーニットだ。
少しオーバーサイズのそれを影尾の身体に合わせると、一人頷いている。
「…え?」
「こういうのひとつあると着回せるからさぁ。壊滅的なセンスでもやっていけるって」
―――何故?
いや、壊滅的センスだと何故知っているかの何故?では無く、この場合何故早水が影尾の服を選んでくれるのかと言う、何故。
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