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ファミレス控え室
警視庁中央指令センターに、ファミリーレストラン「ジェントル」八王子駅前店のアルバイト店員からの一報が入ったのは、平成25年12月7日の午後10時を回った頃だった。
指令センターでは、既にベテランの域に入る木下葵は、通報してきた男性が
比較的冷静に、店名と住所を報告してきた事に多少の違和感を覚えた。
と言うのも、殺傷などの重大事件の場合、ショックが大きすぎて
一時的に、茫然自失になってしまう通報者も珍しくないからである。
木下は、坂田と名乗るアルバイト店員の通報内容を把握した後
「わかりました。至急、巡回中の警官を現場に向かわせますので、お店の方はクローズにしておいてください。はい。そうです。
中にいるお客様も全員待機で、店から誰も出ないように」
と要請した。
坂田学は電話を切った直後、自身がマネージャー殺害の第一発見者だと言う
紛れも無い事実に眩暈を覚えたが、レジ近くで会計を待つ客がいるのに気づき、何とか踏ん張って耐えた。そして、フロアの中央に進み、青ざめながらも気力を振り絞り、現状を伝える。
「すみません。たった今、奥の部屋で殺傷事件が起きました。警察に連絡したところ、従業員のみならず、お客様も全員、待機して頂くようにと言う事です。
お忙しい中申し訳ありませんが、警察からの要請ですので…お願い致します」
「えーっ、何。ここで、殺人事件が起こったってこと?」
「ちょっとーまだ、犯人、中に潜んでるんじゃない?大丈夫なの?」
女性客が騒ぎ始め、中は騒然となるが、それらを封印するかのように
「ジェントル」の敷地内にはpoliceと白字で抜かれたパトカーが、続々と到着し始め、客達は万事休すといった表情で席にへたり込んだ。
店は一階の全域を、駐車場として使用しており、警官達からレストラン内部は
見えなかったものの、中では、足止めを食らったレストランの客が、二進も三進もいかない状況から「一刻も早く、解放されたい」として不安な時間を過ごしているはずだった。
まず、先陣を切って入ってきたのは、三名の巡査で、客達に事情説明をすると、即座に、現状維持を遂行していく。
指令センターからレストラン「ジェントル」で男性の射殺体が発見されたとの
一斉連絡を受けた、八王子東署所属の巡査、森下薫は、スタッフに協力を仰ぎ、客らを店内の一角に移動させると、彼らに、順番に話を聞いていく事を告げた。
森下らと時を同じくして八王子東署、捜査一係所属の鳥羽克己も、鑑識、他の捜査員と共に現場入りする。
鳥羽は見知った顔の機捜隊の捜査員を見つけると、すぐさま駆け寄り、彼から事件の概要を聞く。
「それで、控え室はどこだ」
「こちらです」
捜査員は、店の奥に鳥羽を案内し、officeと表示が出ている部屋のドアを開け、中を見せた。鳥羽に続き、捜査員数名と鑑識、検視官が中に入り、現場の状況を隈なく調べていく。
中は空間を遮るようにロッカーが置かれ、手狭に映った。
幅の狭い机が、片側の壁に接するようにして設置されており、スチール製の椅子に掛けた男が、机の上に置かれたセカンドバッグに顔を埋めるようにして、突っ伏していた。
バッグに載せられた頭部周辺には、おびただしい量の血だまりが形成され、
床上にも、一塊の血が認められた。鳥羽は、さっと現状を見、既に死後、一時間余りが経過しているのでは?と判断した。
鳥羽は機捜の捜査員に
「通報者に当初の状況を聞きたい。その間に、客達の方を頼む」と言い、
所轄の巡査である森下に、レストラン従業員を連れてくるように言う。
鳥羽はレストラン内をざっと見回し、根拠は無いものの、犯人は既にここにはいないと考えた。
食事や買い物と言う一つの目的を遂行している最中は
「子供を遊ばせる為に公園に来た」などと違い、他者に関心を、示さない。犯人は、この老いも若きも集う、雑然とした場所を上手く利用して、まんまと怪しまれる事無く犯行をやり遂げたのだろう。
「鳥羽さん。通報者の坂田さんです。坂田さん、及び、他二名の方の身分証明書は取得済みです」
巡査に連れられて目の前に現れた男は、幾分、疲れたような顔をしており、
鳥羽が指し示した椅子におずおずと腰掛けた。
鳥羽の手元には、店で働いている男性三人の免許証のコピーがあり、それを見た坂田は、今、自分の身に、何か途轍もないものが押し寄せてきている様な感覚に襲われる。
「二、三、お聞きしますね。坂田さんはいつ頃から、この店で働いてるんですか?」
「大学に入って、最初の夏休みから働き始めました。今、三年目です」
「普通、三年生だとバイトなんかしていられる状況じゃないんじゃないの?」
「それはそうなんですけど。なかなか、新しいバイトが入ってこなくて。
マネージャーから、新入りが入ってきたら辞めてもいいと言われてましたから」
「なるほど。これだけの大手ファミレスチェーン店だと、募集はお手の物だと思うんだけど、それでも誰も応募してこない?」
「応募してきて、いざ採用されて働き始めても、樋口マネージャーが新入りに辛く当たったりするので、皆、やってられないとなって、辞めていってしまうんです」
「その樋口さんの事をお聞きしますが…本来ならば9時に15分間の休憩に入るマネージャーが9時45分になっても、フロアに戻らないので、あなたが呼びに行った、と言う事で間違いないでしょうか?」
「そうです。で、ドアを開けたら、マネージャーが机に頭を載せていて、寝ているのかと思ったら、机一面、血の海で。
マネージャー自体、マネキン人形のように微動だにしない感じで…
これは、死んでいるに違い無いと思い、急いで、厨房の橋本さんの下に行きました」
「それで?」
「橋本さんは、机に突っ伏していた状態と、周辺のすごい量の血を見て一瞬怯んだかのように見えたんですが、深呼吸した後、マネージャーの傍まで行って脈を取り、数秒後、ダメだ。死んでるって」
「もう一人の、ホール係の滝沢さんに知らせなかったのは何故?」
「お客さんが、まだいたし、三人でパニックになったら大変だと思ったからです」
「よく、わかりました。捜査員があなたの所持品を調べますけど、これも捜査の一環ですので、ご理解願います」
鳥羽は、次に控えているレストラン、ホール係の滝沢との面会の前に、八王子東署の地域防犯課所属の阿川を呼び、ファミリーレストラン「ジェントル」
の統括本部に至急連絡を入れるよう申し付けた。
もう一人のホール係、滝沢を目にした鳥羽は、彼を、学生時代から自己主張する事もなく、その場その場を流されるまま生きてきたような人物と推定する。
坂田同様の質問をし、坂田より半年前に入店した事、バイト採用と言っても
将来的には正社員としての道も開けるとした説明を受けていた事などを聞き出した。
樋口に対しての印象を聞くと、ミスをしない限りは、ほぼ、普通の対応をしてくれたと話す。
続いてのレストラン厨房係の橋本は、鳥羽が口を開く前に
「厨房スタッフの橋本です。入店したのは六年前です。前の二人から聞いて
知っているとは思いますが、マネージャーは言い方とかがキツくてね。
厨房も、これ位の規模の店だとあと一人は必要なんだけど、前の人が俺と前後して辞めていってしまって。
ただ、俺の場合、喫茶店での雇われ店長歴も長かったので、料理を作るのだけはね、何とかこなしてましたよ」
と一気にまくし立て、先程目にした強烈な光景を一刻も早く記憶から葬り去りたいとしているようだった。
「それで、坂田さんは、まず、開口一番何と言ってましたか?」
「そんなに慌てた様子はなかったけど、やっぱり、血の気は引いてたかな。
嘘をつくような子じゃないから、控え室で樋口さんが死んでますって言われた時には、何はともあれ、部屋に直行だったね。
で、ドア開けて一歩足を踏み入れた時点で、こりゃダメだと思い、ガタガタ震えがきたけど、坂田に『110番、通報して』って頼んだんですよ。
彼が通報している内容を聞きながら、マネージャーの脈を調べて」
「冷静ですね」
「いや、自分でも不思議だなと思いました。膝が笑っている状態でも、
やるべき事はやると言うか。テレビとかでそういうシーンをさんざん見てきているから、何とかやれるんでしょうね」
「有り難うございました。質問は以上ですので、こちらの業務については
これから来られる統括本部長さんと皆さんで、よく話し合われて下さい」
一時間程の現場の捜査で、控え室のテーブルの脚部の陰に銃弾一個が落ちているのが確認される。
ほぼ銃殺で間違い無いという見解ではあるが事件という事で、遺体は、司法解剖が行われる医科大へと搬送された。
「鳥羽さん、レストランの統括本部長が到着しました」
「よし、会おう」
鳥羽は相手を迎えるまでの間、立ち上がって、レストランの隅に集められた客達を見た。
二名から四、五名で来店していたと思われるその総人数は30名弱と数えられ
一人で来ている者がいるならば、当然、その者を徹底的に洗う必要があると考えた。
鳥羽は、先程作成されたプリントに目をやり、客全員の氏名、年齢などを見てみる。
やはり大半が、グループで訪れているが、単独で来ている者もおり、その詳細を見ると、52歳の女でレストラン近くの無認可保育園勤務と記されていた。
鳥羽は、女の方に視線を向け、ちらっと見て見るも、まず有り得ないだろうという結論を出す。
鳥羽は、店内をせわしなく歩き回っている八王子東署の阿川を呼ぶと
「再度、客の荷物検査を徹底的にやれ。
男性には金属探知機による、ボディチェックを行い、それが通った者は
帰らせていい」
と指示した。
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