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大学生 雄太
大晦日まで残すところ一週間となり、八王子東署では、河合、後藤班が、
ノアの箱舟オフ会メンバーの三橋梢から得た情報が、特に有力であるとして、
その洗い出しに奔走していた。
ゲームセンターには、純粋にゲームを楽しむ為に来ている者と、何かから逃れたいが為に来ている者がいる。
完全に後者である鈴木雄太は、ここ数日不眠が続き、一度、医者の下に行き、診てもらわなければと考えていた。
目の前に広がるゲーム画面には、あらゆる敵を倒し、次の段階に進んでいくヒーローの姿が映し出されている。
「絶対に、やられるものか」
掌がじんわりと汗ばんでくるのと同時に、心臓の鼓動も激しくなってくる。
そうした中、雄太の前に「よっ」と言う声と共に、見知った顔が現れた。
男は雄太と同じ大学に通う副島洋だった。
副島はゲームオーバーまで、雄太の傍らに居続け、終了後
「雄太、久しぶり。最近、見かけなかったからどうしているのかな?と思ってたんだ」
といかにも親しいように言う。
副島は知り合って数時間後には、平然と呼び捨てにしてくるような調子のいい男ではあったが、表面上だけでもつるんでいれば周囲からの目も
ごまかす事が出来るのではと考え
「そうだよな。会う時には頻繫に会うのに、不思議なもんだよ」
と答える。
「そうそう、この間、お前がバイクで国道16号を橋本方面に走ってるの見たよ。ナンバーも一緒だったし、どこ行くのかなって思って見てたんだ」
「…」
「じゃあな」
自身の背を冷や汗が滑り落ちていくのを確認した雄太は、その場で見えない敵に叩きのめされそうな気がし、ゲーム場から逃げるように立ち去った。
寮に戻り、備え付けのベッドの上に敷かれた薄い掛け布団の上に身体を横たえる。
目を閉じた所で異様な興奮は冷める訳でもなく、心の奥底に、依然として居座っていた。「そりゃあそうだよ。人、
一人、やっちまったんだから。だが、俺は間違ってはいない」
雄太は、せめて、父が生きていたらこんな事にはならなかったと、堂々巡りの考えに陥るも、父、自分、米倉朝美、房子で楽しくやっていた頃に記憶を戻し、もう戻れない日々に思いをはせた。
栃木県真岡市で生まれた雄太は、幼少期、母を亡くす。
その葬儀の際には、父親の友人らしき人々が大勢来て、式の全てを執り行ってくれた。
それらが終わると、隣家に住む、米倉房子が「これ食べて」と、雄太宅に食事を差し入れてくれた。房子は、雄太の幼馴染である朝美の母で、雄太の母親が亡くなってからは、毎日のように総菜を届けてくれるようになった。
雄太の父は、数回のみならず、延々と続く食事の差し入れに恐縮し、そのお返しに、米倉親子をTDLやレジャー施設に連れて行き、もてなした。
小学生の頃、朝美の誕生会に招かれた際には、数名の女子の中に、一人だけの男で、嬉しい反面、こそばゆい気がしたのを覚えている。
父の背中に不動明王が描かれているのを知ったのは、雄太が幼少の頃だった。その時には、大人になる過程で勝手に模様が浮かび上がるものと
理解し、事実を知ったのは大分後だった。
朝美の母親の房子は、雄太が高校を卒業するまでの間、実の母親のように雄太の面倒を見てくれた。
授業参観には、強面の父の代理で来てくれたし、風邪で寝込んだ時には、汗でぐっしょりとなったパジャマや下着をマメに洗濯して届けてくれた。
こうした経緯もあり、父は幾ばくかの金をその都度、封筒に入れ、雄太を使い、房子の下へ運ばせた。
お互いの足りない部分を補うように、両家の、持ちつ持たれつの関係は続けられ、雄太自身、中学生になると「父さん、おばさんと結婚すればいいのに」と思うようになる。
ただ、その時には父が堅気ではないと言う事にも気づいていたので
「どだい無理だよな」と、諦めていた。
朝美の母も雄太同様、雄太の父が極道だと、気づいていたはずだった。
父は、外出する際、シルク仕立てのスーツにオードマピケの時計と金のブレスレットを付け、迎えの高級車に乗り込んでいた。その凡そ堅気には見えない姿で、夜半、出ていった父が帰ってくるのは大抵朝で、雄太とはすれ違いになる事が多かった。
雄太の父が所属する組織は、以前こそ、隆盛を極めた団体だったが、時代の変化についていけず、徐々に弱体化していったようだった。
”散るときには桜のように一気に”と考えていた父が、冷たい亡き骸となって、警察署の霊安室に安置されているという一報を受けたのは雄太が十八の時だった。
取る物も取り敢えず警察署に向かった雄太は、担当刑事から説明を受けた後、父が眠る霊安室へと案内され中に入る。
偉丈夫の父らしき遺体が部屋中央の寝台に載せられており
「確認願います」との言葉に従って、顔に掛けられた布をめくると、紛れもなく父だった。
遅かれ早かれ、こうした非業の死を遂げるとわかっていた父の顔は、意外にも安らかで、任侠の世界から、やっと、足が洗えると喜んでいるようにも見えた。
父の葬儀は組から来た関係者が仕切ってくれた為、雄太は、遺影の写真をぼーっと見ているだけで終わった。
米倉房子も、通夜、葬儀の間、母のように雄太の傍につき、絶望的な佇まいの雄太を励まし続けた。
朝美は朝美で、その華奢な体で雄太を抱き寄せ
「雄太には私がいるからね」
と告げた。その柔らかな、経験した事の無い感触に、電流が走ったかのような衝撃を受けた雄太は「いつの日か、朝美に見合う男になる」と誓った。
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