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第二話 殺人計画
錦糸町にあるチェーンの居酒屋は金曜の夜にも関わらず閑散としていた、コロナが蔓延する以前は、お小遣いが少ないサラリーマンで活気に溢れていたこの店も流行のウィルスにはなす術がないようだ。
理沙の妹の旦那である白井直也は細身の体にピッタリと合った高そうなスーツを着こなし、腕には嫌味にならない程度に煌びやかな時計をしていた。投資関連の会社を経営していると聞いていたが、給料は自分よりもはるかに良いのだろうと推察した順平は左手首に巻かれたGショックをワイシャツで隠した。
「お疲れ様です」
白井が差し出したジョッキを順平はギリギリ触れない所まで近づけて乾杯した、非接触を意識した所でこの至近距離で話をしていれば、どちらかに陽性者がいれば巻き添えになるのは間違いない。
「どうですか? 最近は」
毎回、白井が最初にしてくる質問は同じだった。彼にはじめて誘われたのは一年前。「仕事終わりに一杯どうですか?」と急に掛かってきた電話に驚きながらめ瞬時に財布の中身を計算した。
「すみませんが、持ち合わせが……」
いい歳して飲み代も持っていない自分に辟易したが見栄を張った所で財布の中身が増えるわけじゃない。
「ハハっ、かまいません、今日はパチンコで勝ったのでご馳走しますよ」
それが自分に気を使わせないための嘘だと分かったのは三回目に飲んだ時だ、昔ハマっていたパチンコ台の話をすると白井は「パチンコはやった事がないんですよ」と、しれっと言った。
いつも飲み代は白井の奢りだったが入る店はチェーンの安い居酒屋だった。それもおそらく自分が引け目を感じないための配慮なのだろう。この男はそういった気遣いができる人間だった。
「相変わらずですよ、会話する気がない妻にまったくなつかない娘達」
ため息を吐いてビールを煽った、二日に一回、発泡酒しか飲めない順平にとって白井との月一の懇親会は唯一の楽しみだった。
「そうですか、うちも変わらずですよ」
白い歯をみせて笑う白井に悲壮感は感じられなかった。白井と気が合った一番の理由はお互いに家庭が上手くいっていないという共通点があったのが大きい、さらにその相手が姉妹となれば話は否応なく盛り上がる。
「一昨日なんか洗濯をして、干して、取り込んで、あ、僕がですよ」
白井の話に「分かってます」と答える。
「帰ってきた嫁がなんて言ったと思います、普通はいつも洗濯してくれてありがとう、とかですよね」
「ええ」
「パンツたたんでおいてくんない」
タバコを吸う仕草をしながら目を細めた、自分の嫁の真似をしているのだろう。
「感謝の言葉なしですか?」
「まったくです」
憤慨しながら白井がビールを飲み干すとタッチパネルでビールを二杯注文する、ついでにツマミも選び出した。
彼が憤るのも無理はない、白井の嫁、理沙の妹である麻里奈はいっさい家事をしないらしい。料理はもちろん、掃除、洗濯、ゴミ出しに至るまで何にもしない。ネイルサロンを経営していて休みは週に一回しかないそうだが、共働きならば家事は互いに協力するのが普通ではないか。
「とんでもない女と結婚しちゃいましたよ」
白井は空になったジョッキを傾けて最後の一滴まで飲み干した。
「旦那を敬う文化がないんですかね?」
在日韓国人の妻を持つ人間を白井しか知らないので確認しようがないが、世間では韓国は男性が女性に優しくて紳士的というのが一般的な見解らしい、インターネットで得た知識だった。
「女が甘やかされる文化なんでしょう」
それからはいつも通り互いの嫁の悪口で盛り上がった、しかし、先日、電話で会話した時に白井が発した言葉が気になって仕方がない。
――もう、殺しませんか?
もちろん、冗談の類いだと思うが声のトーンがあまりにも真面目だったので思わず息を呑んだ、頷いた後に「はい」と答えた。それからは互いに無言になった。
「ところで」
五杯目のハイボールを飲み終えたところで順平は思い切って切り出した。
「こないだの電話、かなり酔ってましたよね?」
覚えていない可能性もある。
「いえ、電話した時はシラフでしたよ」
穏やかな顔を崩さずに白井は答えた。
「あ、そうなんですね、いや、なんか過激な発言があったので」
頼んでおいたレモンサワーが自分の前に置かれた、白井は最初の二杯はビールを飲んだがその後はウーロン茶だった、いつもそうだ、酒はあまり飲めないらしい。
「妻を殺す件ですか?」
店員が離れていったのを確認してから白井が言った、幸い周りに聞き耳をたてている人間はいない。
「あ、いえ、確かにこんな生活が一生続くなら死んでほしいと思うことはありますけど……」
さすがに殺すというのは現実感がない。
「二人で協力すれば完全犯罪も可能だと思いませんか?」
白井はウーロン茶のグラスを置くと身を乗り出して顔を近づけてきた。
「完全犯罪……ですか」
白井がどこまで本気で言っているのか計りかねた、飲みの席での冗談にしては真剣味を帯びている。そもそも殺す必要があるのか、一緒にいるのが嫌ならば離婚すれば良いだけの話だ。
「やつらは離婚には応じませんよ」
一瞬、心の中が読まれたのかと思いドキッとした。しかしそれは確かに白井の言う通りだろう。専業主婦の理沙が娘三人を養っていくのは不可能だ、たとえ養育費を支払ったとしてもそれだけで生活する事は困難だろう。
温かい家で晩飯だけ作って置いておけば、月末に金が振り込まれてくる生活を手放すとは思えない。
「うちはそうでしょうが、白井さんのところは」
白井のところは子供がいない、作らない理由までは聞いていないが、ネイリストとして仕事をしているのならば離婚のハードルは低いように感じた。
「だめですね、何度も離婚を持ちかけましたが」
そうか、掃除、洗濯、ゴミ出し、仕事から帰ってきたら料理を用意してくれる、高収入のイケメン旦那をそう易々と手放すはずがない。
「奴らは年齢的にも次がありませんから必死ですよ」
白井は五つ年下の三十七歳、妻の理沙は自分よりも二つ年上で妹の麻里奈は確か同い年なのでお互いに姉さん女房だ。たしかに離婚したとして次のパートナーを探すには年齢的に厳しいだろう。
「じゃあ殺すしかありませんね」
努めて明るく言う事で冗談めかしたつもりだった。
「その通りです」
白井は鋭い眼差しでコチラを見て言った、思わず視線をそらす。
「えっと、作戦と言うか、あるんですか?」
完全犯罪なんてできるのだろうか、少なくとも本やドラマでは殺人犯は必ず捕まってしまう。残りの人生が塀の中と考えたら今の生活の方がまだマシに思える。
「作戦は……。 ありません」
そう言って白井は破顔した、少し安堵する。すでに何らかの殺害方法を考えていて後は実行するのみ、後には引けない、なんて事にはならないようだ。
「これから一緒に考えましょう、捕まってしまっては本末転倒ですから」
なるほど、これは憎い妻を殺す手段を二人で考えて想像する事で多少なりとも溜飲を下げようという白井のアイデアなのかもしれない。
「そうですねー、やはり事故に見せかけて死んでもらう、とか」
ナイフで刺し殺したり、鈍器で頭を殴ったりすれば必ず警察は犯人を探し出す。しかし、交通事故なんかを故意的に起こす事ができれば事故として処理されるのではないか。漠然とだが意見してみる。
「すばらしい、さすが順平さん」
白井は小さく拍手している、褒められると気分は良い。会社でも家でも罵倒されてばかりだから。
順平はスーツのポケットからスマートフォンを取り出して、死亡事故の種類を検索した。
「交通事故、滑落事故、溺死、窒息死、焼死、中毒死、事故死と言っても多彩ですね、選び放題ですよ」
「へー、すぐに検索できて便利ですねえ」
白井は物珍しそうにスマートフォンを覗き込んできた。
「え、白井さんはスマホじゃないんですか?」
今時、ガラケーを持っている人間は少なくとも自分の周りにはいなかった。
「ええ、そうなんですよ、機械には疎くて、仕事柄パソコンはなんとか使えるようになりましたが」
意外だったが自分が勝てる分野が一つでもあったことに満足した。
「そうですか、では調べる役目は僕に任せてください」
毎回、ご馳走になっているので役にたてて良かったと安堵する。
「頼りになります、ちなみに『妻 殺害』で調べるとなにがでますか?」
なるほど、過去の事例やヒントが隠されているかもしれない。すぐにスマートフォンの検索エンジンに入力して調べるが、ほとんどが最近起きた妻殺害のニュースで、珍しい殺害方法などは出ていなかった。スマートフォンの画面を白井に見せる。
「ダメですね、ニュースばかりです」
「そうですか、なにかヒントがあるかと思ったのですが」
時計を見るとすでに十時を回っていた、都会暮らしの白井と違い千葉の自宅までここから一時間以上かかる。察してくれたのか白井は「今日はそろそろ」と切り出してくれた。
会計を済ます白井に「ごちそうさまです」と礼を言うと「うちは子供もいないし、金も使わないので気になさらずにまた行きましょう」と微笑んだ。
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