第十六話 囚われた人間とポセイドン②

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第十六話 囚われた人間とポセイドン②

 ――惑星シヴァー 西暦2825年。    この惑星に持ち込まれた悪魔の数字と同じ数の脳は、当初決められた通りにそれぞれの保管室で夢想空間を堪能していた。  そんな中で石井だけは幻影を作り外の現実世界を一人楽しんでいた。やがて話し相手が欲しくなった石井は他の脳が眠る部屋を訪れるようになる。しかしそのほとんどが夢想状態でコミュニケーションを図ることはできなかった。  ある時、気まぐれに寄った部屋で一人の女性が幻影になり部屋の中をウロウロとしていた。突然入室した石井に小さな悲鳴をあげた後に聞いてきた。 「どうやってここまで?」  彼女の話を聞いて石井は初めて自分が普通の人間よりも幻影状態で遠くに移動できることを知った。美玲と名乗る若い女性の部屋に石井は入り浸った、また彼女も石井を歓迎してくれた。  夢想状態とは違う現実の会話に二人は夢中になり、恋に落ちるのにそう時間は掛からなかった。次第に石井は外の世界を美玲にも見せてあげたいと考えるようになる。  しかしいくら努力してもやはり部屋から出ることは出来なかった。石井は考えた、幻影のロジック、なぜ移動距離に幅があるのか。自分にあって彼女にないもの。  石井は一つの仮説を立てた。幻影とは脳で考えたものを具現化させたもの、つまりは想像力。天才物理学者と呼ばれた石井は普通の人間よりもイマジネーション能力が優れているのかもしれない。だったらもっと単純な、人間ほど複雑じゃない構造の生命体ならば移動距離も伸びるのではないか、と。 「ネコ? 出来るかなあ」  美玲は以前飼っていたネコを想像して幻影となった、よほど可愛がっていたのだろう。それはかなり精巧なロシアンブルーだった。石井が部屋の扉を開けると美玲が前足をゆっくりと廊下にだした、続いて逆の足、後ろ足。尻尾まで完全に廊下まで出ても美玲はその幻影をしっかりと保っていた。 「出れた!」  美玲は石井を見上げて歓喜の声をあげた、二人で地上に上がると彼女は美しい大地を駆け巡って喜びを表現した。  石井は色々な場所に美玲と出かけた。夏は海に、秋は山に登った。冬は雪の降る中で体を寄せ合い、春は美しい花たちが二人を歓迎した。 「生きるって自然を感じることなのかな……」  そう呟いた彼女同様、石井も幻想の世界に疑問を抱き始めていた。そしてもっと沢山の人間と喜びや悲しみを分かち合い、いつかは肉体と共に朽ち果てたい。  あの時のように――。  そんな未来を考えるようになる。皆もそれを望んでいるに違いないと信じて疑わなかった。しかし、それは人間の本質を忘れてしまっていた石井の愚かな考えだったのかも知れない。  次の日、石井は美玲と共に管理室に忍び込んだ、忍び込んだと言っても通常、具現化しても室内から出ることを想定していないので鍵すら付いていなかった。  地下施設の全ての脳の状態を適切に保つための管理室は自動制御でコンピューターが管理していた。外的な、例えば地震や津波などで以上事態が発生した場合に即座に対応できるようプログラミングされている。  薄暗い管理室には夥しい数のモニターが壁一面に設置してあった。近づいて見るとバイタルのような表示の下に経過時間と思しき数字が時間を進めていた。石井は瞬間で理解する。この一つ一つが各部屋の脳の状態を表している、進んでいる数字はおそらく夢想状態に入ってからの時間。 「わたしは二十七歳かな、若い人生を何回もやった方が面白そうだったからさ」  夢想状態を何歳まで続けたか聞いた石井に美玲は答えた、もしかしたらこの感覚は多数派かも知れないと石井は読んだ。だとすればそろそろ覚醒する脳があってもおかしくない。夢想状態から覚めると一度具現化して現実に戻る傾向がある。そんなルールがあるわけではないが、なんとなくリセットの意味合いもあり戻ってくるのだ。そのタイミングで接触できれば、と思案していると一番右隅のモニターの数字が0になっている事に気がついた。 「え、今起きてるってこと?」  驚いた美玲に石井は頷いて、もう一度モニターに目をやった。ご丁寧に部屋番号に名前までふってある。 『666 海城 優也』  すぐに二人は管理室を飛び出した。目的の部屋は管理室から一つ上の階、一番奥にあった。中に居るかも知れない幻影を驚かせないよう石井はゆっくりと扉を開く。そこには部屋の隅で体育座りをしながら、虚な目でコチラを見る銀髪の少年がいた。 「こんにちは」  美玲が話しかけると少年は一瞬ギョッとしたが、それがすぐに幻影だと理解したのか「こんにちは」と挨拶を返した。  少年は自分の名前以外の記憶がなかった。どの時代に生まれ、なぜここにいるのか。見た感じで歳の頃は十二歳前後と思われた。  二人は少年を我が子のように可愛がると固く心を閉ざしていた少年も次第に心を開いていき、季節が一回りする頃にはまるで親子のように仲睦まじくなっていた。驚いたことに少年は石井と同じように人間の幻影を維持したままで部屋を出ることができた。 「美玲さんは想像力が足りないんだよ」 「うるさいなぁ、君たちが特殊なの」  二人のやり取りを石井は目を細めて眺めていた、そして、それからまた何度目かの春を迎えた。  その間に石井はいくつもの幻影に部屋を出るための方法を教えた、やはり石井と少年以外の幻影は人間の体を維持したまま部屋を出ることはできなかったが、犬やネコの小動物や昆虫などになることで解決した。  再び夢想状態に戻る者もいたがほとんどの人間が現実世界で交流する生き方を選んだ。自分の考えはやはり正しかったと石井は安堵した。 「肉体を元に戻すですって?」  美玲は驚いていたが石井はずっとその可能性について考えていた、肉体がもどれば美玲はもちろん他のみんなも犬ネコの姿で出歩く必要がなくなる。何よりも本物の身体でこの美しい星の自然を感じたらどんなに素晴らしいだろうか。そんな未来を想像した。 「でも、もう身体はないんでしょ?」  優也の質問に石井は首を横に振った、この時代に来る前。あの『終末戦争』が勃発した時にはすでに僅かな細胞から肉体を完全復元するテクノロジーに石井は辿り着いていた。 「わたし戻りたい……普通の人間に」  神の作った(ことわり)すら恐れないその装置を石井は僅か一年で作り上げた。その昔、その時代よりもさらにずっと前。世界中から天才と崇められた物理学者はまたしても前代未聞の発明をした。  こうして惑星シヴァーの住人たちは本物の身体を取り戻し、地上で生活を始めた。幻影ではない身体は当然腹が減る、住人たちは協力しあって畑を耕し、野生動物を捕まえた。漁に出る者も現れると食卓は年々豊かになっていく。こうして彼らは全ての五感を取り戻した――。 「いっくんすごいじゃん!」 「本当に凄いです」 「せやからそう言うとるやろがっ、尊敬せんかい」 「じゃあどうして今、この惑星には人間がいないんだ? いや、正確には四十九人しかいないんだ」  陽葵と春翔が敬服しているといつの間にか柱の影で話を聞いていた神宮寺がわって入ってきた。確かにその通りだと思った陽葵は神宮寺に向けた顔を石井に戻す。 「それを今から説明するところやっちゅうねん」 「フンっ」  神宮寺は鼻を鳴らすとソファにどっかりと座った、ダイニングテーブルに背を向けているが続きが気になるようだった。 「人間っちゅうのは愚かな生き物や……」    石井は再びポツリと話し出した――。
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