第十七話 囚われた人間とポセイドン③

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第十七話 囚われた人間とポセイドン③

 人間はある程度の数に達すると細分化されていく、いくつかの大きな集団に分かれその中でさらに細かいグループが形成される。それらはやがて対立構造を生み出し争いが起こる。惑星シヴァーも例に漏れずその歴史を歩み出した。  不知火久徳(しらぬいひさのり)は熱心なユダヤ教信者だった、唯一神のヤハウェを信じる一神教信者の不知火は特に多神教である仏教やヒンドゥー教を毛嫌いしていた。  石井は熱心な宗教家ではなかったが両親がユダヤ教信者だった事を不知火に伝えると大袈裟に歓喜した。脳細胞から肉体を復元させて豊かな大地に再び足を踏み入れる事ができた功績は惑星すべての人間から称賛され、とりわけ不知火に至っては石井を神の使いだと崇めた。  ある日、些細な言い争いから事件は起こった。手製のボートに乗り釣りをしていた不知火は同乗していた男が釣り上げたイカのような生物を海に戻すように命じた。 「イカはタブーですよね? 石井さん」  同意を求められた石井は曖昧に頷いたが、男は納得がいかずに釣り上げたイカを網籠(あみかご)に放り込むと、激昂した不知火は男をボートから突き落とした。  幸い泳ぎが得意だった男は事なきを得たが二人の関係性には深い亀裂が生じた。男が怒り浸透なのは無理もない、どんな病気や怪我も再生するテクノロジーが確立されていたが、肉体そのものが海中深く沈んでしまい発見することが出来なければ再生のしようがない。それはつまり永遠の死を意味した。  不知火の行動は日に日にエスカレート、ユダヤ教を強要し食事制限を設けて、唯一神ヤハウェに毎日祈りを捧げさせた。住民はそんな不知火に辟易したが英雄である石井が信者であると吹き込まれた人々は逆らう事も出来ずに仕方なく従っていた。  そんな中でボートから突き落とされた男はいい加減嫌気がさしてそれまで住んでいた場所を離れていった。元々漁が得意だった男は海岸近くに住居を構えて生活の基盤を作ると、後を追うように次々と移住者が集まっていった。 「必ず天罰がくだりますよ」  不知火を(たしな)めようと石井は説得したが、この頃には熱心なユダヤ教徒が増え始め不知火を神の代弁者のように扱っていて、石井の声に耳を傾ける人間も少なくなっていた。その頃から一緒に住む優也の口数が減っていったが石井はあまり気にしていなかった。 「なんか怖いね……」  そう呟いた美玲の心配は的中した、惑星シヴァーでこれまでに経験したことがないほどに大規模な地震が発生すると、二百四十五名にもなった反不知火派が生活する海岸線には大津波が押し寄せ、ことの発端となった男を含め実に半数以上が波にさらわれて行方不明となった。  生き残った反不知火派は海岸近くは危険と考え住居を山に囲まれた盆地に移した、波にさらわれて永遠に戻らない仲間たちを哀傷しながらも天災ならば仕方がないと諦めた、しかしまさかそれが偶然ではなく意図的に引き起こされていたとは誰も知るよしもなかった。  西暦2700年代に起きた人類最後の大戦はゼウスが現れるまで、各国の人智を超越した兵器の応酬で何万人もの死者を出した。その中でも量産不可能な神のギフトと呼ばれたのが『ポセイドン』だった。  終末戦争の生き残りだった不知火は惑星シヴァーに送り込まれたポセイドンの存在にいち早く気づく。この兵器の秀逸(しゅういつ)なところは天変地異を自在に操る事だった、つまり自分たちには全く被害が及ばないよう敵のみを壊滅する事が可能だった。  それに加えて今回に関して言えば自然災害を装い、あたかも天罰がくだったかのように演出できるメリットが不知火にこの兵器を使う事をいっそう後押しさせたのだった。  不知火は盆地に移住した住人たちに再び声をかけた、不気味に感じた数人はユダヤ教入信に応じたが大多数はその場に留まった。 「愚かな……」  二日後、盆地は再び巨大な大地震に見舞われると、地割れに飲み込まれた半数が再び帰らぬ人となった。運悪く盆地に海洋物資を届けに出向いていた美玲もまたその犠牲者となってしまった。  石井は意気消沈して何も手につかなかった、そんな偶然が存在するのか。本当に天罰がくだったのか。明確な答えが出ないままに自分だけを責めた。    肉体を復元なんてしなければ――。  美玲を殺したのは自分だ、そんな風に考えるようになった。茫然自失の石井に追い討ちをかけるように事件は起きた。優也が崖から飛び降りて自殺をはかったのだった。骨は砕け、頭が潰れた無惨な姿を見て石井は自分も死のうかと考えた。そうしたら二人の元に行けるのではないか。優也の亡骸を抱きながら石井は泣いた。そして二度とこの世に戻れない美玲を思い憂えた。  宇宙の果てには何があるのかなあ――。  不意に美玲の言葉を思い出す、今でこそ科学者、物理学者として精進していないが、かつて二度と誕生しない天才と謳われた石井は一つの仮説を立てていた。  時間が存在しない世界がある――。  それは漠然としながらも緻密な計算の上で弾き出した石井の結論だった。過去も未来も自由に行き来できる次元。正確には時間の概念が存在しないその世界では東京から大阪に移動するように未来から過去に移動する事が可能だった。  美玲に逢える。  一縷(いちる)の希望、砂漠で一粒のダイヤを見つけるが如く困難な道を石井は歩もうとしていた。  肉体が残された優也はすぐに復元した、復元して間もなく記憶が追い付いてくると優也は泣いた。 「どうして死なせてくれないの」  石井は優也の自殺の原因は美玲の死だと思っていた。彼女を母親のように慕い、美玲もまた本当の子どものように優也を愛した。だからこそ美玲にもう一度逢える可能性を力説した。二人でいつかまた美玲に会いに行こう、その手伝いをしてくれないかと哀願した。しかし、優也の答えは石井を驚かせ、絶望させた。   「美玲さんを殺したのは僕だよ」  量産不可能な神々のギフト。当時、劣勢だったとある国家が一躍実権を握る最右翼に躍り出ることになった神の名をもつ兵器『ポセイドン』  それは目の前で泣きじゃくる小さな少年の事だった。  長期間の冬眠は記憶が曖昧になる事も稀にある、優也は目覚めてからつい最近まで自分が終末戦争で使用された『ポセイドン』だという過去を忘れていた。いち早くその事実に気がついた不知火は優也に接触すると少しずつ過去の記憶を思い出させていった。 「君の能力で数億人の人間が死んだ、許されるには神のお告げに従わなければならない」  自身の能力で過去に人殺しをした事実、十五にも満たない少年が受け止めるにはあまりにも重圧すぎた。優也は救いを求めて次第に不知火のマインドコントロール化に陥っていくと二度の天変地異を引き起こした。  美玲の死で正気に戻った優也は自分の犯した過ちに耐えきれずに崖から身を投げて自殺した。  しかし、石井はにわかに信じる事が出来なかった。目の前で泣きじゃくる優しい少年が神々の作り出した悪魔の兵器などと誰が受け入れられるだろうか。  石井は優也を眠らせた、強引に冬眠状態にして地下施設に隠した。今の石井には優也を慰める言葉も、生きる希望を与える事も叶わなかった――。  不知火は命乞いをする生き残った住人たちに労働を命じた。献身的な労働こそが神の赦しを得る唯一の手段であると。もう不知火に逆らう人間は一人もいない、彼らは自らが収容される為の施設を自分たちで建設した。 「私は神ではない、神の声を届ける代弁者だ」  罵倒する石井に不知火は答えた。 「そもそも我々に肉体など必要なかったのだ」  不知火は最初からユダヤ教を信じた人たちを神子と呼び、それ以外の収容施設に入る生身の人間を鬼子と名付けて迫害した。死ぬ恐れがある生物など下等、神子は肉体を返還して元の幻影に戻った。  神子は暇つぶしに収容施設を訪れると鬼子同士に殺し合いをさせた。生死が希薄な神子は肉体が滅びる様に歓喜した。人間同士が殺し合い、(かたわら)で犬や豚の幻影が観戦するという異様な光景は惑星シヴァーの日常になった。  不知火は人間の数が減ってくると神子に一時的な肉体を与えて鬼子と交配させた。そうして生まれてきた子供たちはやはり神子たちに弄ばれ、蹂躙(じゅうりん)された挙句に飽きたら殺された。石井はなんとか彼女たちを救出したかったが、肝心の当事者が天罰を恐れて謂れのない虐待に甘んじていた。    そうして百五十年以上の月日がながれた――。 「許せない……」  陽葵はポロポロと涙を流した、自分よりも年下の子供がくだらない大人の争いに巻き込まれ、挙げ句の果てに母親のように慕っていた人を自らの手で殺めてしまう。崖から身を投げた時の少年の気持ちがなぜか陽葵の心に流れ込んでくる。 「なんや、泣いてくれるのか」  陽葵は涙を拭うと神宮寺が立ち上がった。 「話がちがうな、ポセイドンは住人が所有しているんじゃなかったのか?」 「そう言わんとコッチにこんかったやろ」 「なにが狙いだ?」  神宮寺の問いに石井は羽根を広げて羽ばたくと鳥籠に収まった。 「捕まっとる人間を解放してほしい」  石井は軟禁されている住人の解放、対立構造をなくすためにその住人を次の惑星に連れて行き安全そうならそこに移住させて欲しいと懇願した。難色を示す神宮寺だったが陽葵に説得されると渋々首を縦に振った。 「しかしその神子とやらは鬼子が解放されるのを指を咥えて見学しているわけじゃないだろう?」  神宮寺の疑問に石井は頷いた、神子にバレないように鬼子たちを解放しゼウスに搭乗させる。飛び立ってしまえば彼らに追跡する術はない。問題は常に見張りが付いている収容施設にどうやって侵入するか、さらに四十九人という数の人間をどうやってゼウスまで連れて行くかだった。 「だったらゼウスで収容施設の真上に付けて反重力装置で吸い上げちまえばいい」 「強引やなあ、せやけど一番リスクが少ないか」 「だが、ゼウスにエネルギーが貯まるのは十五年後だぞ」 「だめだよ!」  陽葵はその場で立ち上がり机を両手で叩いた。 「その間ずっと酷い目に合い続けるんだよ、それになんでこっちが逃げるように出て行かなきゃいけないのよ」  陽葵は自分がなぜこれ程まで怒りに打ち震えているのかわからなかった、ただ自殺した優也の絶望と悲しみだけが胸の中にとどまり続けた。 「じゃあどーする?」 「それは……これから考える」  石井はくれぐれもこちらの動きが不知火側にバレないように念を押した。なぜそんなに警戒するのか、動物の姿でしか地上に出られないならばあまり気にする必要もないような気がした。 「不知火がポセイドンを所有してるっちゅうのは半分ホンマや」  陽葵の疑問を察したのか石井はポセイドンの能力について解説をはじめた。 「この世界の全ての事象は数学で解明できると言った学者がいた」 「ラプラスですか?」  春翔がすぐに反応した、陽葵は嫌な予感が脳裏をよぎる。 「お、春翔は物知りやなぁ、陽葵とは大違いやん」 「うっさい! つづけて」 「まぁ、陽葵にも分かるように説明すると物質の動きや力学的状態を完璧に分析できれば未来を予知できるっちゅう話や」  まるで意味が分からなかったが陽葵は頷いた、いちいち説明を求めていたら先に進まない。 「無理くり数学に当てはめると現在が問題で未来は答えや、分かるな?」  庭に花の種を植えたのが現在(問題)ならば、その未来には花が咲く未来(答え)が存在する。では未来を変えるにはどうしたら良いか。問題を変えてしまえばいい。これを自然現象に落とし込み正確にコントロールするのがポセイドンの力。つまりあらゆる自然現象を最小限の力で巻き起こすことが出来る。 「ってことは?」  ますます意味が分からなかったが陽葵は石井に先を促した。 「極端な話、石ころ一つでも正確な場所に放れば大地震を起こすことが可能や、優也にはその悪魔の解が頭ん中に入っとる」  不知火は優也をマインドコントロールした際にいくつかの悪魔の解を聞き出していた、それはつまり不知火はいつでも天変地異を起こすことが出来るということだった。 「その力をチラつかせて奴は他の人間を従えとるんや、その気になれば陸地の少ないこの惑星なんぞすぐに海の底やで」 「えー、そんな些細なことで地震とか起こせるの?」  陽葵には俄かに信じられなかった。 「バタフライ効果や。蝶一匹の羽ばたきが竜巻を起こすってやつや、もちろんそんな事を計算して出来る人間はおらん、だからこそ悪魔の兵器言われとんねん」  なんとなく理解した陽葵は質問を変えた。 「優也くんはいつ起こすの?」  石井はしばらく考えたあとに小さな声で呟いた。   「わからんねん……」    この時にはすでに陽葵は優也を仲間にして旅をすることを考えていた、この惑星にとどまればきっとまた自殺を考えてしまうだろう。会った事もない少年がなぜか無性に気になって仕方なかった。
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