第二十三話 天野 春翔

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第二十三話 天野 春翔

 天野春翔は棄児(きじ)。いわゆる捨て子として施設で五年間過ごした後、子宝に恵まれなかった若い夫婦に引き取られて養子縁組をした。当然、幼い春翔に選択権などは存在せずに大人たちが勝手に決めたレールの上をただ転がされているだけだった。  数年間はなに不自由なく可愛がられて育った春翔に転機が訪れたのは、この夫婦に本当の子供が出来てからだった。不妊治療を粘り強く続けていた夫婦は娘の誕生に狂喜乱舞し喜んだ。  我が子を授かり小学生になった春翔を疎ましく思うようになった夫婦はあからさまに態度を変えた。食事を与えず、躾と称した暴力は日常と化した。小学校の給食と水道水だけで暮らしていた春翔はみるみる衰弱していったが根暗で周りに友達もいなかった春翔の異変に気がつく人間は誰もいなかった。  春翔は空腹を癒すためにコンビニでパンやおにぎりを万引きするようになったが、存在感のなさが幸いしたのか一度も補導されることはなかった。 「気味が悪いのよね……」 「ああ」 「だからあの時に女の子にしようって、そうしたらせめて綾香と姉妹で」 「男の子が良いって言ったのはお前じゃないか」 「そうだけど……。心配だわ、綾香が大きくなってちょっかい出されたりしたら」 「施設に戻せないのか?」 「あなた、そんな事したらご近所になんて言われるか……」 「事故に見せかけて殺してしまうか?」 「いいわね、何か良いアイデア――」  リビングで話す両親の言っている意味を春翔は理解していた。しかし、物心ついた頃にはいつ死んでも良いと思っていた春翔は特に恐怖を感じることもなかった。    ああ、死ねばお腹も空かないし万引きする必要もなくなる。その程度の想いだった。それからも虐待はどんどんエスカレートしていったが、痛みにも慣れた春翔はただ時間が過ぎるのをジッとまった。そしてそんな時、決まって脳内にノイズのように音声が響く。チューニングの合っていないラジオのような耳障りな声は晴翔に命令するようにいつもこう言った。    ――この種を絶滅させろ。      娯楽の類を一切与えられなかった春翔は図書館でひたすら本を読んだ。中でも宇宙に関する書物を好み、広大な宇宙の果てに何があるのか、自分はいったい何のために生まれてきたのか。そんな事に興味を抱くようになっていった。  自室にこもり、ひたすら本を読み漁る春翔を両親は一層不気味がったがまたしても事態は転化する。中学生になりテストの結果と順位が発表されるようになると異常な学力の高さに目を付けた担任がメンサの入会テストを受けさせた。  メンサとはIQ130以上の天才のみが入会できる特殊な組織だが春翔はこのテストでIQ230を叩き出した。これは長い歴史をもつメンサでも最高の数字で本来ならば十五歳以上しか入会資格がない組織が特別に許可をしたほどだった。  一躍その世界では有名人となった春翔に日本のみならず世界のメディアが取材に訪れた、そして、それは春翔本人のみならず育ての親である義両親にも向けられた。   『天才の育てかた』 『学力向上のための食育方法』    適当な取材を書籍化した本は飛ぶように売れた、しがない中流家庭だった天野家は右肩上がりで贅沢な暮らしにシフトしていく。そして、その頃には春翔と本当の娘の立場は逆転。義両親は腫れ物を扱うように春翔に気を使い、機嫌を損ねないよう努めた。  しかし、いくら周りの環境が変化しようとも春翔自身は何も変わらなかった。図書館で本を読み漁り、宇宙の事を考えた。    もっと未来だったら自由に宇宙を旅できたのに――。  そんな風に考えるようになってから一年が過ぎた頃、高校一年生になった春翔が図書館に貼ってある一枚のポスターを目にした。 『三千世界。一千年後の未来で生きてみませんか?』  スマートフォンを持っていない春翔は図書館のパソコンですぐに情報収集した。怪しげなキャッチコピーや嘘くさい文言を見ても、まるで疑う余地なく春翔の心は踊った。  義両親に相談するか悩んだ、しかし金蔓(かねずる)として散々利用してきた春翔をそう易々と手放すとは思えない。この頃にはとっくに義両親たちの自分に対する評価、役割を把握していた春翔は黙ってこの時代を去る決意をした――。 「変だな、音声が途絶えたぞ」  陽葵の出発前に神宮寺が渡した盗聴+位置情報が分かる発信機は突如音声だけがプツと途切れた。 「どういうことや?」  神宮寺が見ているパソコンモニターを石井が覗き込む。 「まさかあの馬鹿、飲んじまったんじゃないだろうな」 「下剤なんて言うからやろ!」 「そんな、やっぱり僕が行けばよかった」  春翔は陽葵の音声が途切れたパソコンモニタの前で頭を抱えた。 「まぁ透明な帽子があれば見つかる心配はないやろが、陽葵はオツムの方がなあ……」 「助けにいきましょう!」  春翔は立ち上がり出発の準備をしようとするが、すかさず神宮寺が止めに入る。 「まて春翔、向こうの状況がわからない状態で行くのは危険だ。それにコイツの言う通り帽子と靴があれば捕まるようなヘマはいくら陽葵でも考えにくい、それに位置情報は生きているからいつでも救出には向かえる」  春翔は何か嫌な予感がしたが、二人にそう言われてはそれ以上意見することは出来なかった。    陽葵に初めて会ったのは混雑した電車の中だった、他人と関わるのが極端に苦手な春翔は咄嗟に掴んだ痴漢の手を見ても自分が一体何をしたのか理解するのに数秒かかった。それからの事はあまり覚えていない、気がつくと家に帰っていた。  可愛い子だったなぁ。また会いたいな――。  その願いはすぐに叶えられた、三千世界を目指すべく向かった場所にその女の子はやって来た。目を疑う自分に彼女は気さくに話しかけてきた。その見た目だけじゃなく、声、仕草、笑い方。全てが太陽のように眩しくて、そこにいるだけでパッと周りを明るくした。  春翔はふと窓の外を見た、この惑星には珍しい曇空にさらに分厚い黒い雲が遥か上空に集まって来ている。その異様な光景に思わず窓を開けた。 「神宮寺さん、石井さん……。あれは?」  見た事もない黒雲を春翔は指差した、すぐに二人が窓際に来ると春翔が指差した方角を仰ぎ見る。 「なんだあの雲は?」 「あれは……。あかん、ポセイドンや」  次の瞬間、かなりの距離があるにも関わらずものすごい轟音が鳴り響いた。幾重にも重なるジグザグの閃光が上空にある黒雲から地面に降り注いでいる。  春翔はもちろん、神宮寺と石井もただジッとその地獄の光景を見つめていた。人間にはどうする事も叶わない規模の自然災害。それを意図的に引き起こす悪魔の兵器ポセイドン。その恐ろしさを三人は目の当たりにしていた。 「まさか、あの方角って……」  春翔は震える手で窓の外を指差しながら神宮寺に問いかけた。神宮寺は「クソっ」と言いながらテーブルに開かれたままのノートパソコンに駆け寄りキーボードを叩いた。 「大丈夫だ、位置情報はまだ生きている。陽葵が発信機を持っていると仮定すればポセイドンの餌食にはなっていないはずだ」 「なんにせよ緊急事態や、様子見なんて言ってられへん」 「分かってる! すぐに飛空挺で陽葵の回収に向かう」  神宮寺はノートパソコンを閉じて脇に抱えると即座に準備を整えて部屋を出て行った。その場に立ち尽くす春翔は「早よせんか!」と石井に声をかけられてようやく目が覚めたように走り出した。
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