第二十六話 つかの間の平和

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第二十六話 つかの間の平和

 船内にある部屋のベッドに陽葵は寝かされていた。目は開いているが脳が覚醒していないのか夢の中にいるような気分だった。焦点の定まらない瞳がシミひとつない真っ白な天井をみつめる。すると金色の髪をした美しい女の顔が現れた。 『あなたさえ来なければみんな死ななかったのに……』  女は恨めしそうにこちらを見ながらそう呟いた。陽葵は金縛りにあったようにベッドに張り付いたまま動けない。 『人殺し……』  女はそれだけ言うと再び白い天井に消えて行った。  あなたが殺したのです――。  子供を創りなさい――。 「はやく。はやくしなきゃ……」  陽葵は起き上がるとシーツを羽織ったまま部屋をあてもなくフラフラと歩き回った。 「陽葵ちゃん! 入るよ」  声と同時に扉が開いた、春翔が駆け寄ってきて陽葵を抱きしめる。先程までの不安と恐怖がスッと切り離されたかのように遠ざかっていく。 「ごめんね、危険な目に……」 「春翔……くん?」 「もう大丈夫だから」 「春翔くん、わたし……。たくさんの人を殺した。だから子供を作らないといけないの」 「陽葵ちゃん! しっかりして」  春翔は陽葵の両肩を揺さぶるが陽葵の表情は虚ろで、瞳は春翔を見ているようでその先の虚空を仰いでいた。 「陽葵。大丈夫か?」 「あかんな、不知火になんか吹き込まれとる」  神宮寺と石井が遅れて部屋に入ってくるが陽葵は変わらず意識が朦朧としたまま夢と現実の狭間を彷徨っていた。 「ちょっと待っとき、不知火のアホンダラに洗脳の解き方聞いてくるわ」  石井はそう言って部屋から飛び出して行った。春翔は陽葵をベッドに座らせると慰めながら背中をさする。 「陽葵ちゃんはそんな事してないよ。みんなを助けようとしたんだよ」 「違うの、それが間違いだったの」  陽葵はいかに自分が身勝手で押し付けがましい正義を振りかざしていたかを熱弁した。相手の気持ちを鑑みずに自らの思想を押し付け、悦に浸る下等な人間なのだと。 「だからね、子供を作らなきゃいけないの……」  陽葵は一息に捲し立てるとがっくりと項垂れた。春翔はどうしたら良いか分からずにただ茫然としていた。 「こりゃあ重症だな。まぁしおらしくなって良かったじゃないか」 「神宮寺さん!」 「冗談だよ、冗談。しかしこんな短時間でここまで洗脳するとは只者じゃないな」 「陽葵ちゃんは純粋だから……」 「単純の間違いじゃないのか?」  春翔が睨むと神宮寺は「冗談だよ」と言って後ずさった。それから五分ほどすると石井は戻ってきた。 「あのインテリ、ちょいと脅したらすぐにゲロしよったわ。陽葵の洗脳を解くのは簡単や。チューすればええねん!」 「はぁ?」 「え?」  春翔と神宮寺は同時に石井を見た。 「せやからチューしたら治んねん、さっさとせんかい」 「なるほど、そりゃあ良い。春翔、早く済ませろ」 「ええー! 僕がするんですか?」 「他に誰がおんねん、ワシがしたってもええがクチバシじゃあよう出来ん。かと言ってこのモジャ男じゃあ陽葵が気の毒やろが」 「誰がモジャ男だ、しかしまあ春翔にしか出来ん仕事だ。後は頼んだぞ」  神宮寺と石井はそれだけ言うとさっさと部屋を後にした。陽葵はぼうっとその会話を聞きながらいつの間にか洗脳が解けて意識が覚醒していた。まず最初に不知火に好きなようにされた事を思い出して頭に血が上る。散々好き放題言われた挙句に体をベタベタ触られてキスまでされたのだ。今すぐ不知火を殴り倒しに向かいたかったが今の状況を陽葵は瞬時に理解する。  隣で頭を抱えて悩んでいる春翔はどうやら不知火が吹いたホラを信じてキスで陽葵の洗脳が解けると勘違いしているらしい。このチャンスを逃す手はない、陽葵は唇の端を上げた。 「春翔くん、あたし……。あたしなんて死んだ方が」 「陽葵ちゃん、そんな事ないよ! 陽葵ちゃんは明るくて、可愛くて、それでそれで、みんなの太陽なんだよ! 陽葵ちゃんがいるだけでパッと明るくなるんだ。そんな陽葵ちゃんが僕は大好きなんだ! だから……」  春翔はまっすぐ陽葵の目を見つめて熱弁した。それを聞いた陽葵は真っ赤になった顔を俯いて隠した。 「私のこと好き?」  陽葵は蚊の鳴くようなか細い声で春翔に聞いた。 「うん!」 「じゃあ、キスして……」 「う、うん」  陽葵は顔を上げて春翔を見つめるとそっと瞳を閉じた。春翔が陽葵の両腕を掴む、その手は小刻みに震えていた。春翔はゆっくりと顔を近づけると陽葵の唇にキスをした。そのぎこちないキスに陽葵は胸が締め付けられそうになった。 「ど、どうかな?」  唇を離した春翔が辿々しく聞いてきた。陽葵はそれに笑顔で答える。 「うん! 治ったみたい」 「本当に? 良かったー」  パッと笑顔になった春翔に陽葵は抱きつくと「ありがとう春翔くん」と礼を言い、どさくさに紛れてもう一度キスをした。
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