第七話 西暦 3025年①

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第七話 西暦 3025年①

 陽葵は長い夢を見ていた、果たしてこれが夢なのか現実なのか、はたまた過去の記憶なのかも判断できないまま。映像もない暗闇の中で、ただ意味の分からない会話だけが再生される。 「恐竜ってのはダメね、これ以上の文明は望めないわ」 「文明レベル0.1以下か、話にもならんな」 「一度、リセットする必要があるね」 「また、最初からかよー、かったりーなあ」 「そう上手くはいかんさ、しかし我々に必要な研究だ」  声が段々ハッキリと聞こえてくる、まるで陽葵のすぐ近くで会話しているかのように。モヤがかかったような脳内が少しずつ覚醒していくのが分かる。  あっ、目が覚めるな。陽葵はそう確信して目を開いた、つもりだった。確かに目を開けたと認識しているのに目の前は変わらず真っ暗な闇があるだけだった。自分が寝ているのか立っているのかも分からない、夢の中のように自分を上手くコントロールすることができなかった。 「起きたか?」  脳内に直接響いてくるような声に思わず耳をふさぐ。しかし、そのふさいだはずの手も耳も実体がない。混乱する陽葵を無視して声は続けた。 「イメージが大切だ、自分がここにいるという強いイメージ、それはやがて実体化されて現実になる」  その声に聞き覚えがあった、遠い昔、陽葵が眠りにつく前の大きな笑い声。陽葵を支えた力強い腕。 「神宮寺……さん?」  呟いた声がハッキリと聞き取れた、すると今までに見えなかった手のひらが目の前に現れる。顔、身体、足。確認するように両手で触れる。たしかに陽葵はそこにいた。 「覚えているとは光栄だ、おはよう、そしてようこそ三千世界へ」  気がつくと目の前には眠る前と変わらない、爆発したような頭に白衣の神宮寺が立っていた。 「あ、おはようございます」  言ってから陽葵はそれが正しい挨拶なのかどうか分からずに顎に手を当てて考える。そもそも本当にここは千年後なのか、辺りを見渡して異変に気がついた。 「あの部屋じゃない……」  陽葵が眠りについた部屋は十畳ほどで、酸素カプセルのようなものが両端に一台づつ設置されていた。しかし今たっている場所はどう見ても四畳くらいしかないし、カプセルも見当たらない。 「ああ、あの部屋は引っ越した」 「そうなんですね……」  引っ越し、という軽いキーワードに不安と安心が混ざる。聞きたいことは山ほどあるが何から聞いて良いか頭が混乱していた。 「ここは、千年後、なんですよね?」 「ああ、間違いない、西暦を使うなら3025年だ」 「どうですか、死のない世界になりましたか?」 「この世界に死は存在しない、老いる事もない、全ては思いのままだ」  神宮寺が嘘をついているようには見えなかった。本当にそんな世界が、陽葵は息を飲んで質問を続ける。 「春翔くんは、彼は無事ですか?」 「春翔はひと足先に目覚めた、今は新しい人生を謳歌している」 「会えませんか?」  なぜか春翔に会いたかった、猫背で背が低い、頼りない肩幅の春翔に。 「会ってどうする?」 「どうするって、別に」 「春翔はいま別の人生を楽しんでいる、会いたければ自分の人生で会ってくるんだな」  神宮寺の言っている意味を陽葵は理解することが出来なかったが質問をそのまま続けた。 「これからどうすれば良いんですか?」  質問してからしまった、と陽葵は考える。神宮寺の答えは一つしかない。 「好きにすればいい」 「でも、住む家とかお金とか、ご飯は」  言った後にお腹をさするが空腹感はまるでなかった。 「そんなものはこの世界にない、必要なのはイマジネーションだ」  英語の部分をやけに芝居がかった発音で神宮寺は言ったが。ますます陽葵は思考が追いつかない。 「つまり」 「はい……」 「人類は他人との共存、繁殖は諦めて自分だけの世界を永遠に生きる道を選択したんだ」  春翔ならすぐに理解できるのだろうか、少しイライラしてきた陽葵は開き直って神宮寺に言い放った。 「全然わかりません、簡潔、かつ論理的にお願いします」 「ええー! 今ので分からない?」 「はい、まったく」  神宮寺はモジャモジャの頭を掻きむしると陽葵の後ろにある壁の前に立った。よく見るとそこには鍵穴なようなものがある。白衣のポケットから刑務所の看守が持っているようなシルバーの輪っかを取り出した、大小さまざまな鍵が付いている。 「どれだったかな、えっと、これかな」  その中の一つを鍵穴に差し込むと、コインロッカーほどのサイズの扉が開かれた。 「キャッ」  その中を覗き見た陽葵は小さく悲鳴をあげた、そこには水槽のように液体が満たされたガラスケースの中に人間の脳のような物が浮かんでいた。脳にはいくつもの管が付いている。 「これが今の君だ」  コレガイマノキミダ――。  心の中で復唱してみたが意味は理解できなかった。 「えっと、すみません、このキモいのが私なんですか?」 「そうだ」 「え、じゃあ今いる、この私は何なんですか?」 「それは脳が作り出した幻影に過ぎない」  三千世界では肉体を持つ人間は存在しないらしい、なぜなら必要がないから。人と人との関わりは最低限になり争いは無くなった。それぞれが脳の中でイメージした人生を生きる。それはどんな世界も自由自在で、やり直すことも、飽きたら途中でやめることも可能。その状態をここでは『夢想』と呼んでいるらしい。培養液に使った脳は永久に朽ちることなく存在する。  これ以上は簡単に説明できん、と言った神宮寺の説明で陽葵も大体のことは理解できた。 「どれくらいの人、えっと脳があるんですか?」 「この星には現在、六百六十六個の脳が現存している」  不吉な数字ですね、と喉元まで出かかって止めた。その内の一つが自分なのだ。 「他の人と話したりはできないんですか?」 「可能だ、現に私たちはこうして会話している」 「春翔くんは?」 「残念だが彼はいま夢想状態に入っている、次に目覚めるのが何十年後か分からない、彼と話したいなら君も夢想状態になれば良い」 「でもその春翔くんは私が想像した春翔くんで、本物とは違いますよね?」 「君が想像した世界がすべてだ、ここでは他人に干渉する事のほうがマイノリティだからな」 「その夢想状態にはどうやったら?」 「ああ、肉体をイメージして具現化したのと同じ要領だ、自分の意識を想像した世界にダイブさせる」 「難しそうですね」 「皆そう言うがやってみるとそうでもない。寝る前に妄想するイメージと変わらない」 「あ、もう一つだけ」  陽葵は申し訳なさそうにお願いすると「いくらでも構わんよ」と白い歯を見せて笑った。 「子供、えっと、繁殖はしないって事なんですか?」 「ああ、これからは減ることはあっても増えることはない、君が最後の過去人だ」 「えっ、え。減る事があるんですか?」  不老不死なのに、素朴な疑問だった。 「考えるのが疲れた、そんな人間も中にはいる」 「そんな……」  神宮寺が部屋から出て行った後も、陽葵はその場に立ち尽くしていた。自分の肉体はもうなくて、目の前にある脳が陽葵だと言われてもそれほどショックを受けていないのは、実際に体があるからだろう。例えそれが脳が作り出した幻影だとしても。  ここが陽葵の夢見た理想郷? 無機質な空間に不気味に浮かんだむき出しの脳。誰とも関わらないで想像の世界で永久に生き続ける。たしかにその世界に陽葵は存在する、だけど――。  なにか腑に落ちない気持ちを抑えて陽葵は目を閉じた、眠る前のように理想の世界を想像する。  捨て子じゃなく優しい両親に大切に育てられる陽葵。親友と恋バナをする陽葵、バスケ部で全国優勝する陽葵。好きな人と結婚する陽葵。子供を生む陽葵……。  次第に意識は薄れていき空気中に漂い始める、夢の中に誘われるように陽葵の思考は混ざってとけた――。
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