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ちぇっ! ぼくは肩をすくめた。
それでぼくは黒板に落書きをしたのだ。
丸の中に、ぐりぐりと黒丸を書くと、目みたいになった。そいつに命が吹き込まれたみたいだ。
「ナイチンゲールじゃないじゃ~ん」
教室にいたほかの男子たちも集まってきて「そのまんま!」、「むしろ、アル!」と口々に言う。
「アルチンゲール~! やべえ~」
直樹たちは、おなかを抱えて喜んだ。
それからというもの、ことあるごとにクラスメイトたちから「アルチンゲール、描いて~」とたのまれるようになった。誰にでも描けるような絵なんだけどさ。なんか、ぼくにだけそれを描く権利があるみたいなふんいきだった。それで、たのまれるたびに描いてあげていたら、いつのまにかアルチンゲールは五年三組の公式キャラクターみたいになってしまった。鈴木先生は苦笑いで、頭を抱えた。
高橋さんが読んでいたナイチンゲールの伝記は、クラスの本だなにあったんだけど、以来、読む人がいなくなった。手をふれようものなら「アルチンゲール~」と言ってからかわれるからだ。
この事態を重く見たのは、もちろん鈴木先生だ。
「そもそもナイチンゲールがどんなことをした人なのか、みんなはわかっているの?」
先生がため息まじりに聞いた。
「看護師さんでしょ?」
ぼくが言った。
「それで? ナイチンゲールはどんなことをした看護師さんなの?」
先生は聞くけれども、看護師ってこと以外、ぼくが知っているはずがない。
「山本くんのせいで、読みたい人もナイチンゲールの伝記を読むことができない。そうね、山本くんにナイチンゲールの伝記を読んできてもらおう。内容も知らずに、それを読もうとしている人をからかうなんて良くないでしょ」
先生が言った。
おい、おい、おい、おい~。
ぼくはナイチンゲールの生涯をからかっているわけじゃない。伝記を読んだところで、ナイチンゲールがウケる名前だってのは変わらない。だけど、先生にそう言われたからには仕方がない。もしかして伝記を読むことで、今後、アルチンゲールのキャラクターに深みを与えることができるかもしれないし。
その日、ぼくは教室のナイチンゲールの伝記を家に持って帰らされて、読むことになった。ページを開いたとき、新しい本の紙やインクのにおいが香り立った。三組の本だなに並んでから、いったい何人がこの本を開いたんだろう? この本を最後に読んだのは、たぶん、高橋さんだ。
胸の奥が、ズキンッとする。
教室で本を読む高橋さんの姿が目にうかぶ。休み時間に友達と遊ばずに本を読むなんて、信じられないよな。ぼくはそんなのたえられないけど、高橋さんはそれを気にするそぶりもない。むしろ、読書のじゃまをしないでほしいってオーラをビンビンッ出している。
(変なやつ!)
ぼくはズキンッと痛んだ胸をさすり、気を取り直して最初のページに目を落とす。
そして、最初の文章でどぎもを抜かれた。
『ナイチンゲールとお姉さんは、お父さんとお母さんが新婚旅行で訪れたイタリアで生まれました。フィレンツェで生まれたナイチンゲールは、町の名前にちなんでフローレンスと名づけられました。』
なんだよ、これ?
突っ込みどころがまんさいなんですけど?
新婚旅行で行ったところで生まれたってどういうこと?
ってか、新婚旅行中に二人も子どもが生まれてるって、どんだけ長い旅行なんだよ?
そして、なによりぼくがひっかかったのは、ナイチンゲールがフィレンツェで生まれたということだった。
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